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ドナー体験記

登録から確認検査まで 私の骨髄ドナーへの道

骨髄バンクがあるというのは、なんとなく知っていたと思う。
1995年の秋に、確か登録をしに行った記憶がある。
私がバンクに登録をしようと思ったのは、特にたいしたきっかけはなかった。
周りにドナー登録者がいたわけでもなく、移植をまっている患者さん側の人がいたわけでもない。
テレビの骨髄バンクのCMを見て、元気になった女の子の姿を見て、そのまま電話番号を書き留め、
翌日には資料請求をしていた。(「私を救ってくれた人がいる」篇)
そのままとんとん拍子で登録・検査を進めていった。
血液検査をするって遅刻とか早退とかしてたから、会社には病気なのかと思われてたみたいだった。

とりあえず家族の同意も必要になってくるとかで、
私は独身で、しかも家族と離れて一人で暮らしていたので、電話で親に
「骨髄バンクに登録するけど、いいかな?」って聞いたら、
父親は「悪いことするわけじゃないから別にいい」とか、そんな簡単な会話をした記憶がある。
よく家族の反対とか聞くけど、うちにはそんなものはなさそうだ。

平日しか出来なかったり、当時は1次と2次が別々の日に行われていて、面倒だったなぁ。
そういうのも、登録者が増えない要因だったのかもしれない。

連絡が来た!

2002年1月の後半だった。
いつも通り、会社から帰ると、ポストのに骨髄センターから大きな封書が・・・。
「まさかとうとう、私にもその時がきたのか・・・、まさかね」なんて思いつつ、
部屋に入って封を開けてみると、そのまさかだった。
私が候補の一人に選ばれたそう・・・。
2月4日まで問診票の様なものと現在の提供意思の確認を、返信しないといけないらしい。
もちろん、提供意思は変わっていない。
問診やら、希望病院やらの記入をして、直ぐにも返信をした。
ちょうど2月は、会社の都合で、19日間休暇を取らないといけなかった。
検査をするのにはちょうどいいな〜なんて思っていた。

が、待てど暮らせど、全く連絡が来ない。。。
(病院とコーディネートさんは決まった、郵便で連絡がきた)
私の調整医師を決めるのに、時間がかかっていたのだという。
もう私の休みが終わる頃、やっと連絡がきた・・・。

しかし仕事に復帰まもなく、気軽には休めない。
とりあえず3月に入って、仕事が落ち着いたころに再度、検査の日程を決めることになった。

こんなにゆっくりでいいのだろうかって思った。
患者さんは少しでも早く、手術を待っているのではないのかな?


ちょうど私がドナー候補の一人に選ばれたと連絡が来たとき、
TBSの昼のドラマ(MBS系)で「ピュアラブ」と白血病に関係したドラマが始まった。
休みの間も、仕事に復帰してからもビデオを撮り、毎回楽しみに見ていた。

これを見ていたときは、まさか自分が最終的にドナーに残るなんて、
そこまでは思っていなかった。
(詳しい検査で患者さんとは合わないとか、他の人に決まっちゃうとか・・・)
このドラマを見ていくうちに、HLAの型が合うってのは、すっごい確率だったり、
移植さえも出来ない人や、移植してからもすべてが順調にうまくいかないとこを知った。
最初に説明は受けて分かってはいたんだと思うけど、実際に今の状況になって、
ドラマの内容にも引かれつつ、今まで以上に骨髄移植に関心を持って見ていたから、
いろんな情報が目に止まったんだろうなって思う。

患者さんだって、移植をするのは怖いんだ。勇気がいるんだ。
もし患者さんがそれでも移植を望むんだったら、私は提供をしたいって、今まで以上に思った。

確認検査

私の調整病院は、東京都内にある「某大学付属病院」。

私は平日は働いているので、出来るなら休みたくはない。
しかも、2月に多量に休んで(休まされて)しまって、
もう有給休暇も残り一日しかない。
派遣勤務で時給制のため、出来るだけ時間を割きたくないのが本音。
しかも私の仕事は夕方が忙しいので、午前中の検査にしてもらった。

午前中の検査が出来るのは、金曜日だけらしい。
3月15日(金)10時〜、確認検査の日が決まった。

ここで初めて、コーディネーターさんと会う。(今までは電話だけ)
病院のA棟1階受付近くの椅子に座られていた。(財団の黄色い封筒が目印)
面接は小児科の1室だった。
ボブヘアの女医さんが調整医師のようだ。

コーディネーターさんから「骨髄提供者となられる方への説明書」を見合わせて、
説明を受けた。
「なるほど、なるほど・・・」なんて聞いているが、
実際私は理解できているのだろうか。

「何か質問は?」と聞かれたところで、質問なんて、なかなか浮かばないよな。
実際には想像付かないことだから、何を質問していいかもわからないんだもん。
でも、ちょっとした質問に、コーディネーターさん、女医さんが答えてくれる。

骨髄採取に使う穿刺針を見せてもらった。
鉛筆の芯くらいの太さの針。これで腸骨(腰骨)から骨髄を採取する。
左右2〜数箇所皮膚に刺し、同じ皮膚の穴からさらに骨に数回場所を変え刺すんだそう。
「まぁ・・・(-_-;)」とびびりそうになったけど、
どうせ麻酔で眠ってるから・・・と納得する私。
それよりも、手術中、導尿カテーテルを入れることの方が気になる。

説明を受けた後だって、私の提供意思は変わらないよ。
まだ私に決まるか分からないけど、提供出来るならしたいって思ってる。
確認検査の同意書にサインをして、検査をすることに・・・。
問診、聴診、血圧測定。特に問題なし。
次に身長・体重を測る。そして、血液採取。
何本も血液採取用の試験官みたいなものが見えて、こんなに採るの〜って思ったけど、
針を刺すのは一回だし、見たところそんなに多くはなさそう。
朝飯前だよ。はははっ。

こんな感じで、確認検査は終了しました。
検査結果は1〜2週間位後。ドナー選定も1ヶ月位はかかるようだ。
さて、どうなるんだろうね。

最終同意までの日々

3月の最終週、確認検査から2週間くらいして、私の元に封書が届いた。
「血液一般検査結果のお知らせ」を見てみると、
「財団の基準では問題ありませんでした」にチェックがされていた。
よしよし、いい調子だ♪HIVも陰性だよ。
提供へ一歩進んだ気がした。

4月10日、残業を終えた後、疲れて家に戻ると、
ポストに財団から封書が届いていた。
「おっ、もしかしたら選ばれた・・・?」
「でももしかしたら、他の人に決まったっていう知らせかも知れないから、
期待しないようにしよう」って思いながら、部屋に入ると、留守電が入っていた。
コーディネーターさんからの電話だった。
特に詳しい事は言ってないなぁ。この封書の内容のことかな〜。

封を開けて中を見てみる。
「ドナー選定のお知らせ」が入っていた。読み進めていくと、
最終的なドナー候補に選ばれたって書かれているじゃん。
私に提供する機会が与えられたんだ。

嬉しくなり、友達にメールし報告をしていた。


4月18日
姉よりメールがくる。
登録したことも、ドナーの候補になったことも、言ってなかったからな。
ちゃんと同意書にサインしてからでも、言うのはいいかなって思ってたし、
わざわざ言うほどでもないかとも思ってたし。
義姉や親から話を聞いたみたい。


翌日19日、義姉よりメールがくる。
母親が心配になって、姉に「ドナー提供を考え直すよう」言ってくれと言ったとか。
ああ、だから昨日メールがきたんだ。でも辞めるようには言われなかったけど・・・

4月22日
もう何人ものドナー候補の家族の中で、こんな事はあっただろう。
うちもそんな家族の一つだったんだ。(まさかうちの家族が・・・)

登録するときも、確認検査前も、父親に確認した。「いいよね」って。
特に反対も無い様子。やりたいならいいよって。
確認検査後最終候補に残ったときも、特に反対されてもない。
心配しているようすなどなかった。

義姉の話では、母親が辞めさせられないかと考えているとのことらしいが、
特に親からは私のところに、なにか言ってもこなかった。

今日の昼休み、そろそろ同意書にサインをしたいので、親の都合を聞くため電話した。
先週バンクの方から、実家にビデオや資料を送ってもらっていたので、
もう見終わっているころ。ちゃんと理解してくれたかな。

1度目に送ったビデオは、デッキからテープが飛び出てきて、見れなかったとのこと。
バンクにその旨電話して、再度送ってもらってたらしいビデオも、同じ現象だとか・・・。
なんじゃそりゃ?どう考えても、デッキが悪いんだな。
まぁ別にビデオ見なくても、他に資料があるからいいけど。

話をすると、この期に及んで、なぜかすっきりしない返事。
なになに、身体が心配?仕事の方は大丈夫か?同意書にサインをしにこっちに出てくるのが面倒?
なにを今更・・・
身体のことも、それなりに理解して、覚悟を決めてのここまで来てるし、
仕事のことだって、言われなくたって考えてるよ。
その上で話を進めてきたんだよ。
出てくるのが面倒・・・そりゃ、田舎者で、少々歳をとってきてるから分からなくもないけど。
「面倒だけで、私の志を邪魔しないで〜」って感じなの。

結局「都合の悪い日がないなら、勝手に日にち決めるから」ってことで、電話を切った。


4月23日
コーディネーターのIさんより、電話が来る。
今度の最終同意の日にちのこと。
うちの会社が5月1日が休みだから、その日が良かったんだけど、
担当の調整医師の都合でダメとのこと。残念ね。
どちらかと言うと土日の方がいいみたいなので、
私も平日は仕事だし、なるべく早めにささっと同意しちゃいたいから、
土曜日がいいと言った。出来れば一番早い、5月11日希望。


4月24日
昼休み、実家に電話する。
いつもは父親が出るのに、母親が出る。(いつもと違うぞ)
父親は、電話に出ないとかって言っている。
母親は、反対だとかって言っている。
「心配だ」「いやだ」そればっかり。
しかも私になにも言わず、勝手にバンクの方に、
反対の旨書いたものを送ったという。(やってられん)
私になにかあったら、兄のお嫁さんに迷惑かかるようなことも言ってた。
私に医療ミスがあって、不自由になって、お嫁さんに介護させるのは忍びないってか??
私の心配する前に、自分たちがお嫁さんの介護の負担にならないよう気をつけろって感じ。

いままでこの32年間(もう少しで33年間)、今まで私のことなんて、
心配とかしたことあったのか〜?
18歳で実家を離れて、ふだんも家になんて殆ど戻らない。
家からも電話なんて来ないし、私からだってかけない。
きっと私が倒れてても、死んでても気が付くのは、誰よりも後なのがうちの親だろう。
そんな風に生きてきたのに、突然心配を押し付けられても、はっきり言って迷惑。
心配してくれて嬉しいとか、心配してくれてありがとうなんて気持ちになれないよ。

家族はなぜ反対するのだろう。
なぜ賛成して、応援をしようとしてくれないんだろう。

さんざん反対されて、電話に出てもらえなかったりした後、
姉から携帯にメールが来た。
うちの会社の私の席は、良く携帯の電波が圏外になる。
親から姉のところに、私の電話番号を知りたいと連絡があって、
私のところにかけたけど、電話がかからなかったんだって。

賛成してくれるって事になった。ほっとした。。。

夜、コーディネータのIさんに電話した。
資料のビデオを返送したときに、親が反対の書類を送ったけど、
賛成してもらえたので、最終同意まで進めて下さいって。
Iさんには、うちの家族の愚痴までいろいろと聞いてもらってしまった。
このドナー提供の話し合いを機会に、
今後のよりよい家族関係に進めていって欲しいと言ってくれている。
・・・でも今までが今までだし。
家族って面倒。
もう結婚でもして、○○家の中から抜けたいって本気で思った。

なぜ今の骨髄移植は、本人の同意だけではダメなんだろう。
20歳以上の大人が考えて、理解したうえでの提供なのに。

どんなに反対されたって、私の提供意思はゆるがないよ。
でもこの揺るぎない気持ちが、最終的な提供までに繋がるんだろう。

以前コーディネーターのIさんは言った。
「今回がダメでも、またチャンスは来ますよ」(確かこんな内容だった)
でもそれは私側の提供レベルのチャンスであって、
患者さんは今がチャンスなんだ。
次のチャンスは、また次の患者さんのチャンスなんだ。


4月26日
昨日、コーディネーターのIさんが、私の実家に電話をしてくれている。
コーディネーターという立場の人は、
骨髄提供をして欲しいとも、しないで欲しいとも言わない。
どっちの意見でも尊重してくれる。

骨髄提供の正しい情報を提供してくれて 、質問をすれば答えてくれる。

電話ではどんな話をしたんだろう。
昨日は残業で帰りが遅かったため、、留守電が入っていたけど、
詳しい内容は入っていなかった。

そして今日、連絡ない・・・。不安。
かといって、どんな話をしたの?と家にも電話をしたくない。

昼間会社でメールをチェックすると、義姉からメールが届いていた。
それによると兄が家族の同意の時には「俺が行く」と言ってくれてるそうな・・・
ありがたい。

もっと特に問題もなく同意して、移植して・・・って感じだと思ったのに。
私にとっては、骨髄ドナーって日常のちょっとした出来事くらいにしか
考えてないのに、そう考えない人もいるんだね。


5月1日
メーデーでお休み。
昼まで寝ていて寝ぼけ眼でいると、電話が掛かってきた。
コーディネーターのIさんからだった。
先週、実家に電話をしていただいて、翌日留守電に伝言は入っていたものの、
肝心の親との話の内容については分からず、
どうだったんだろうと、少し心配していた。
でもそんなに何度も掛かってこないところをみると、
悪い結果ではないんだろうと自分に言い聞かせていた。

うちの親は、私の決心が硬いこともあって、賛成をしているとのこと。
でも同意をしに東京に出てくるのは大変で、兄を・・・って話があったが、
兄が同席するのは構わないけど、同意はあくまで(私の場合)父親か母親どちらかであること。
他、日程の事など・・・

でも良かった。親の気が変わってなくて・・・。

最終同意

5/11(土)午後 最終同意。

12:00に某駅(某大学付属病院がある)の××口で父親と兄と待ちあわせ。
私は地下鉄で行ったんだけど、地下鉄から降りて地上に出ると、
今日の面談の病院「某大学付属病院がある」がある。
でも、待ち合わせは某駅の方の××口だから横断歩道を渡る。
しかし、この横断歩道、いつもタイミング良く渡れた試しがない。
地上に出ると、運悪く信号は赤。しかもすっごく長い。
いくら家族だからといって、遠くから来てもらってるのに、
待たせるのは悪いよ〜。(だったら、もう少し余裕みてくればいい話なんだけどさ)

御昼を一緒にとって、早々と40分頃には病院の方へ向かう。
土曜日なので、休日夜間入口が待ち合わせ場所。

13時待ち合わせだから、少し早すぎてコーディネーターさんも来ていない。
でも、しばらくして合流することが出来た。
コーディネーターのIさんが、弁護士さんと家族を紹介しあい、
この間の確認検査を行なった調整医師K先生のいる4階の小児科へ向かった。
休日なので、人がいなくて、すごい静かだった。
先生はこのために来てくれたんだろうか?

この間と同じ部屋へ入った。6人という人数にはちょっと狭い。
小冊子「骨髄提供者となられる方へのご説明書」を開き、
それに沿って、説明がされた。
私にとっては2度目。家族にとっては初めての説明。
私は1度目から今日まで、いろいろな方のHPを拝見して情報を
少なからず得てきたので、大分理解はしているつもり。
(1回目の説明時は、HLAのことは良く分かっていなかったかも)
でも兄と父親は、今回の説明で理解をしてくれるんだろうか・・・

大事なことなので真剣に聞いていたけど、2時間くらい行われたいたので、
最後の方は疲れてしまった。

兄は何かと質問をしてくれていた。
父はというと、採取をするのは本人だから、
本人がいいって言うならいいけど、(自分が痛いとかではないんで)
私が一人で生活しているから、採取後それが心配だとか・・・。

説明後、提供意思の確認をされた。
もちろん、「提供します♪」。父も兄も同意をしてくれた。
確認として、弁護士さんから質問されました。
骨髄提供の動機と、提供による採取の不安(だったかな?)

動機は、CMをみて。
今まで治らなかった白血病のような血液の病気の人が、
骨髄提供によって治ることが出来るんだったらって思って、登録したこと。
特に不安はないことを言って、書類にサインをした。

これで最終同意がされた。もう後には引けないよ(引くつもりないけど)。

最初の登録から、「治ることが出来るんだったら、提供しよっ」なんて、
私自身が安易で(これは今の時点でもかわってない)、
もちろん親も安易に「いいよ」なんて言っていた。
でも登録したってことは、提供出来ることを望んでいるわけで、
候補に選ばれたと連絡が来たときは、「よし、やってやる!」って感じで
希望に燃えていた。
だけど、思いもよらず家族からの反対にあったときは、正直びっくり。
本人の意思があるのに、健康状態で提供出来ないとか、患者さん側からダメになったとか
だったらしょうがないと思えるのに・・・
なんとか私の強い意思を理解してくれてか、賛成(反対をしない)をしてくれることになった。
こういう家族の心配や反対を振り切って(言い方悪いかな?)、
多くの人は提供をしているんだろうな。
とりあえず、最初のハードルはクリアです。やったね。

ちょっと思ったこと

登録してから今まで、特に、人に登録していることを言ったり、
勧めたりすることもなかった。
本当は、勧めてもっと多くの人がバンクに登録したり、
理解を深めたらいいんだろうけど、ボランティア的なことだから、
本人に興味や意思がなくては出来ないことだし。

興味がありそうな人、そんな話になったときに、話をしたことはある。
バンクの連絡先を教えたり、自分の意見を話した。
一人は実際に登録をした。もう一人は資料を請求したけど、
登録しに行く時間とかの理由で行ってないと思う。

今実際に候補になってから、少しずつ人に話すようになった。
そこで意外と骨髄提供って知られていないことが判明。
女性は案外知っている(ドラマとかあるからかな?)。
男性って「へ〜、偉いね」とか、また、簡単に提供が出来ると思ってたり、
「死んでから提供するやつでしょ?」(それは臓器提供だよ)とか言ったりもする。

まだまだ知られていないんだ。きっかけがないんだろうか?

私はあの1995年の「私を救ってくれた人がいる」篇を見なかったら、
登録をしていなかったかもしれない。
それだけあのCMは、私の中に入ってきた。
ドラマとか、その後のCMだったら、登録していたかな?って思う。
今の骨髄提供に理解を深めるCMよりも、本人が出ていた初期のころのCMって、
心を動かすと思った。

健康診断

6/×(●曜日)

採取一ヶ月前の健康診断の日です。
私の採取病院は、東京某所にある病院。この間の調整病院とは別な病院です。
この前ネットで調べてみたら、案外キレイな病院だったけど、
ちょっと家からは遠いかな(大体1時間くらいのとこ)

10時に受付ロビーで、コーディネータのIさんと待ちあわせ。
しかし思った以上に時間がかかってしまって、
5〜6分遅刻してしまった(^^;)

外観はキレイ。中に入ってみてもキレイ。なかなか良いかも♪

受付の書類を記入して、あとはI さんがいろいろと手続きをしてくれると、
i.yさんという病院内のコーディネーターさんが来てくれた。
挨拶をして、さっそく検査です。
まずは2階で血液検査。
血を抜くのは、この間の確認検査の時以来です。
自己血の話を聞いたり、体験談で読んだりしていたんで、
もう採る気まんまんでいたんだけど、患者さんがちいさい子だとのことで、
今回は必要ないらしい。なので採血は入院までこれが最後。

ここ数年、針をさして血を抜く瞬間ってみれるようになった。
大人になったのだろうか。もっと若いときはみれなかったよなぁ。

次は尿検査。
朝10時半。さて出るのかしら・・・と思ってたけど、
なんなく検査コップを前にしたら、言われていた量よりも
4倍近く多い量がとれた(出た!)。なかなかいい調子。

さて、次はエレベーターで5階に上がり、心電図と肺機能の検査。
心電図ではストッキングを脱ぎ、ブラをはずして横になった。
(なんか文章にすると、エッチっぽい)
足首と手首を挟まれて、左胸に何やらプチプチと付けられた。
(これも文章にすると、意味不明)
ただ普通に横になってるだけで終了。

次は肺機能。
まず身長と体重を計った。
146センチ 42キロ。いつもと変わらない結果。大きくなりたい。
そして肺の方の検査。
肺活量を計るような、筒を口にくわえてて呼吸をした。
最初は普通に呼吸。次にいっぱい息を吐き尽くして、
今度は目一杯吸って、また息を吐き尽くして普通の呼吸。
良く出来たらしい・・・。

今度は普通に呼吸してて、次に目一杯息を吸い、勢い良く息を吐き、
息を出し尽くして普通に呼吸。
いいですよと言われたけど、もう一回やらされた。下手だったのかしら?

次は4階から3階に移動してレントゲン。
ブラをとって、シャツだけになって撮影。
これも難なく終わった。

ここまでざっと1時間くらい。
こんなに手順良く検査が進むのは、ドナーとしての検査だからなのでしょうか。
この後は、担当医と麻酔担当医の話があるようだけど、
一番最初にやった血液検査の結果をまってからの面談なので、
ここに来て少し待つことになる。
今日は午前中で済むということで、会社を午後出社にしたんだけど、
このままだと、さらに遅刻になってしまうが仕方ない・・・。

検査結果と医師との面談を待つ間、病院のコーディネーターのi.yさんに、
入院時の説明をしてもらった。

ようやく12時近くになって、担当医のT先生と会った。
血圧測定、採取部分(腰)のチェック(?)、検温。聴診器を胸と背中にあてられた。
今日やった検査結果で、私は健康らしい。良かった。
それから、骨髄採取と輸血に際しての説明を受けて同意書に署名。

輸血の同意書にサインをするのは、ためらった。
私は自己血を採らない。
もし万が一の時は、他の方からの血が輸血となる。
基本的には輸血が必要な事態にはならないと思うけど、万が一の時の為。
「極力輸血が必要になる事態は避けてね」という気持ちで、
(じぶしぶ)サインをした。


この後は、5階にいる麻酔の先生のところに、話を伺いにいく。
きっと普段は入れない部屋に入ることになった。
っていうか、病院自体もめったに行かない私。
しかもこの病院自体、専門的な病院だから、何かそういうことにならないと、
絶対立ち入らない病院なんだろうな。

麻酔をさます段階の部屋の脇にあるナースセンターに先生がいて、
そこで麻酔に関して話を聞いて、「何か質問は?」と聞かれても、
そう疑問なんてないし・・・

なんとか今日予定していた検査とお話が終わった。
次にこの病院に来るのは、1ヶ月後の骨髄採取の前日だね。

入院前に思うこと

7/×(●曜日)

気が付くと、骨髄採取まであとわずかになった。
一ヶ月前の健康診断後、入院まで自己血の採血がないせいか、
なんとなく実感が湧かなくって。
ついつい夜更かしなど、生活を乱してしまってた・・・いかん(^^;)
でも、飲酒とか風邪などの体調不良には、気を使っていました!
(自慢することではないですね・・・)

でもこの1ヶ月、季節の代わり目だったせか、
何人も風邪に倒れる人がいたのを知っているので、
私的には、上出来な健康管理だと思ってるんだけど〜。

だんだんその日が近づくにつれて、
実感が湧いてきて、ちょっと緊張してきた。
今ごろ、私がドナーとなる患者さんは、もう前処置にはいっているんだろうな。
私のことを待っていてくれているんだろうな。

よし、今日から早く寝るようにしよう!
万全な体制で提供できるように。

移植前日(入院1日目)

7/×(●曜日)

今日は天気が良く、そして一段と暑い。
昨晩は眠れなかった。
入院による緊張からか・・・
退院時のことを考えると、不安になった。
往きは元気なのでいいのだけど、帰りはきっとしんどいだろう。
暇つぶしと思って、ノートPCを持ってきたり、
普通にタオルや着替えを持ってくると、バックはパンパン。
それなりに重い。
体力を失いぎみの、痛みを伴った体で、病院から帰ってくるのを考えると・・・

帰りの不安を持ちつつ、家を後にした。
外はむっとした暑さだった。
電車に乗り、家を出て1時間くらいで、病院のある最寄り駅についた。
この間の、健康診断の時のように、またまた遅刻。
コーディネーターさんに電話をしても、留守番電話サービスで繋がらない。
(病院だから、電源を切っていたらしい)
約束の時間を10分ちょっと遅れて、病院に着いた。
「ごめんなさい、電話したんですが・・・」すぐに謝った。
コーディネーターさんは、嫌な顔ひとつせず、優しく接してくれた。も〜、やさしい。

入院する病棟に直接向かうことになった。
18Fの個室だそう・・・。どんなんだろう。パンフレットには特別病棟と記されていた。
病棟のフロアについても、広くて、どこを歩いているんだか、よくわからない。
ナースステーションをやっと見つけ、部屋に案内をしてもらった。
「おお、ここが私が4日間お世話になる部屋ね・・・♪」
(実際の入院は4泊5日だったが、勝手にこの時は4日に退院と思い込んでた)

私の担当の看護師さんが来てくれ、体温と血圧を測った。
その後、部屋とフロアの説明をしてくれた。
途中、身長と体重を測るも、身長は押さえぎみにされたので、ちっちゃかった。
部屋はともかく、フロアはざっと見て回ったが、
広すぎて、似たような場所に見えて、理解したような理解出来なかったような・・・
部屋のテレビがただで見れることに感動(当然って気もするんだけど、
カード式で見るって話を聞いたことあったから、嬉しかった)
部屋にはシャワーがあるけど、フロアにお風呂があるらしいので、これも楽しみ。

この前の健康診断時にお世話になったi.yさん、先生方が来てくれた。(゚゚)(。。)
その後そのうちの一人の先生(副担当医師)がいらして、
聴診、触診して、翌日の術後の点滴の為の、なにか調べる注射をされた。
説明をしてもらったが、忘れた・・・(笑)痛かった。
その後、麻酔担当の先生がいらして、問診された。個性的な先生だ。
家族の麻酔歴とか聞かれたけど、そんなの離れて暮らしているし、
案外秘密主義な家族だから(個人主義ともいう)、よくわからない。
私も麻酔に関して、聞いてみた。
麻酔って、手術の時間を予想して麻酔の分量を入れられるのかと思ってたら、
手術の間、麻酔を体内に入れ続け、終わったら止めるという仕組みなんだって。
歯医者の麻酔しか知らなかったから、ちょっと知識を得てしまったわ。
(な〜んて、みんな知ってるんだろうな、常識!?)

その後、看護師さんがまたいらしてくれ、外出の許可願のことや、
明日の手術についての説明をしてくれた。
気になることを聞いてみる。
下着はどうするのか?浣腸はないのか?等々
(下着つけない。浣腸はしないとの事で一安心。腰の毛も産毛くらいなら剃らない。)

お昼ご飯を食べ(朝食べてないので、待ち遠しかったよ〜)、
やることもなく暇だったので、外に出かけた。
いやいや、外は暑いね。
ぶらぶら近くの街まで出かけ、疲れたので早めに帰ってきた。
(病院の写真を外から撮ったりもした、記念にね♪)

もう出かける予定もないので、パジャマに着替えた。(これも記念に撮った(笑))
う〜ん、暇すぎ。

夕食前、手術室担当の看護師のHさんが来てくれた。
なんとなくアミューズメントテーマパークにいるお姉さんの雰囲気。
明日の一連の流れを説明してくれた。(特に覚えなくていいみたい)
ふむふむ。想像しながら聞いていた。

手術室に行くまでの流れ。
(最初に回復室に入り、そこで名前を血液型を伝えること等・・・)。その後の、手術時の体勢。
導尿カテーテルについて(これが一番大事!!)
Hさんのお話では、いとも簡単にはいるとのこと。・・・びっくり、そうなの?
寝ているときは、素っ裸。うつぶせ、仰向け・・・回されてしまうらしい。
恥ずかしいよ。

夕食になった。
もうこの夕食後は、明日の夕食のお粥まで食べられないのか〜。
昼食に引き続き、ぺろりと全部食べる。
いいよなぁ、何もしないでいてもご飯が出てくるなんて・・・。
入院生活は、みんな良くしてくれて、食事にもありつけるし、お風呂にも入れるし。
といっても、お風呂は今日の初日だけ。
明日は無理だし、明後日はシャワーになると思う。

お風呂は夕方、時間外だったけど、明日採取ということで、入れてもらえた。
想像していたより、広くて綺麗なお風呂だった。
湯船は2〜4人くらいの家族で楽しめそうなくらいの広さで、超音波風呂。
お湯がジェットでぐるぐる回ってた。
うちのお風呂は、ユニットバスの狭いお風呂だから、ちょっと感動(:_;)
洗い場も広いし、ゆっくりと入った。汗だく(^-^; 幸せ。
しかも窓から見える夕暮れどきの風景が綺麗だし。
一番星なんかも見つけちゃったりして。

お風呂から部屋に戻ってきたら、部屋の窓から見える夜景も綺麗だった。
思わず部屋の電気を消して、窓から見える夜景を撮った。
ちょっとしたホテルのシングルって感じ。
室温も快適。個室って、なんて贅沢なのかしら・・・。

※健康診断の時に、こちらの病院はドナーには個室に入院してもらうという話しを聞いた。
病院の案内を見ると個室って普通のホテル以上に、料金が高いなって思った。
一泊でこの金額だから、×数日でとても凄い金額になる。
もの凄く申し訳ない気がした。
これは患者さんに請求されるのだろうか?
それともあの説明のニュアンスから思うに、病院側が用意してくれたものなのだろうか?

なんてのんきに過ごしているけど(うきうき体験か?って感じ)、
患者の男の子は、今ごろどうしているだろう?
辛いのを頑張っているんだろうな。
こんなのー天気な私の骨髄が体に入るんだもん、きっと今辛くっても、
乗り切ってしまうよ。
明日だよ。お互いに頑張ろうね。


睡眠薬を処方してもらったけど、今朝眠れなかったし、
そのまま飲まないでも眠れるかな。
一回寝たけど、暫くすると目が覚めた。布団の中が暑くて眠れん。
一度、目が覚めると、さっきまであった眠気も覚めて、眠れない。
眠れない状態が一時間ほど続いたので、薬を飲んでみる。
夜9時以降は水分もとってはだめと説明にはあったんだけど、薬を飲む水分はいいみたいだった。
飲んでから30分くらい眠れなかったけど、
いつの間にか朝が来ていた。どうやらぐっすり眠れたいたみたい。

移植当日(入院2日目)

7/×(●曜日)

朝7:00起床。体温、血圧を測る。
今朝は食事をとらない。トイレに行き、体重を量った。
昨晩寝る前に量ったときより、0.6キロ体重が減っていた。
鏡で見たら、顔がベタベタ。洗顔をして、さっぱり。
鼻をかんだ。
というのも、鼻から胃にかけ管を入れるので、何か付いたら恥ずかしいし(笑)

しかし、久しぶりの早起き。(もうすぐ眠らされちゃうけどね)

緊張をしてるようで、それでいて落ち着いてるような気分。

8時半ちょっと前、点滴の為の管(針)を入れる。
血管が浮き出ないので、入れるのが大変そう。ごめんね、先生。
結局いつも献血とかで採血する右うでに入れた。・・・進みだした。

9時半前後くらい。部屋を出発用意。
手術用の術衣に着替え、下着を全部とった、うふっ。
用意されてるストレッチャーに乗る。
筋肉注射をされた。これがとっても痛い。(この入院中、一番痛かったよ)
横になって、とうとう鼻から管を入れることに。。。。
管にジェル状のものを塗って、右の鼻の穴から入れたんだけど、
一度「ウェ〜ッ」っとなったけど、なんとか入っていく。
ノドを通るとき、ごくんとすると、そのままするする入る。
なんかノドに違和感だけど、思ったよりも入りやすいもんなのね。
点滴を入れて、髪の毛を包み込む帽子をかぶり、
左腕に、名前と血液型が書かれた輪っかを付けた。
準備は整った(記念撮影をしてみた(笑))

ストレッチャーに乗せられ、手術室へ向かった。
回ふく室に入り、昨日説明をしてもらった看護師さんに名前と血液型を自分で告げた。
乗ってきたストレッチャーから手術室へ向かうベットに、乗り換えた。
体の上に、暖かい布が被せられた。

手術室に入った(確か15号室だったような気がする)。
とても明るい部屋。壁も天井も白い。
昨日説明を受けた看護師さん、麻酔の先生、担当医師。みなさん声をかけてきてくれた。
(明るい雰囲気でこれから手術なの?って感じ)
でも、さっき打たれた筋肉注射のせいで、なんとなく眠くて既に、ぼーっとしてる。
横目で、鼻から入れた管で胃の中から吸いだしている様な光景を見た。
酸素マスクをあてられ、呼吸をするように言われた。
5〜6回呼吸をしたとこまでは覚えている。

次の瞬間、私を呼ぶ声がした。
『やべっ終わってる』と感じた。よく体験談を読んでいたので予備知識はあったので、
これが採取後の麻酔から覚ます呼びかけだと、朦朧としながらもすぐに気が付いた。
手とか足とか動かすように言われて、動かした。
病室に戻って来て、ストレッチャーからベットに板をかけられ、
その上を越えてベットに移された。
何か話をしようとしても、声が出にくい。ノドが痛い。
12時くらいには、戻ってきてたのだろうか?

酸素マスクを付けられた。
病室の冷房が効いていて、とっても寒かった。
寒くて寒くて、冷房を切ってもらった。

目が覚めたり、眠ったりの繰り返しだった。
腰が痛い。そのまま仰向けに寝ているのも痛いし、ちょっと腰の位置をずらすのも痛い。

さっきは寒いと訴え、冷房を切ってもらったが、
今度は暑くなり、また冷房を入れてもらう。

3時頃、コーディネーターさんが来てくれた。
当日用のアンケートとノド飴を持ってきてくれた。
その後、担当の先生が来てくれた(ような気がする。ウル覚え)

5時頃、トイレに行ってみた。 点滴をしながら立って動いた。(導尿カテーテルは手術中だけ)
個室の病室の中にトイレがあるんだけど、そのほんの3〜4メートルくらいの移動で、
戻ってくるときにはフラついてしまってた。
この時、トイレにいって初めて、自分がT字帯をしていることに気が付いた。
「いつのまに・・・」しかも「このパジャマはいつ着替えたのだろう・・・」と
そんなことが頭をよぎった。
(あんな明るい手術室で、カテーテル入れられたり、仰向けやうつぶせにさせられ、
T字帯を付けられ、パジャマを替えられていたのかしら・・・。)

フラついたので、担当医師のT先生が来てくれた。
この時だったか、その前の3時頃のときだったか、
患者さん側の担当の先生が、無事、骨髄液を持っていかれたことや、
いい骨髄液が採れたことを教えてくれた。
良かった。ちゃんと採れて。

夕食になった。全粥なんだよね、採取後は。
お粥だけかと思ってたら、おかずもちゃんとあった。良かった。お腹空いてたの。
ちゃんと全部食べ、テレビを見たり、やっぱり眠っちゃったり、トイレに行ったり、
そんな繰り返しだった。
夜は何度かトイレに行った。お小水はビーカーにして溜めて下さいということで、
わざわざビーカーに取ってした。面倒だった。

移植後(入院3日目)

7/×(●曜日)

朝が来た。
まずトイレに行くのに目が覚める。それでまたウトウト。

昨日の朝と同じようにナースステーション前に体重を量りに行った。
と看護師さんから「どうしたんですか?」と聞かれ、
「体重を量りに来ました」と言うと、体重は手術前だけでいいんだそう。
ちょっと恥ずかしくなりながら、点滴を引きずり部屋に戻った。

体温と血圧を測る。
血液検査の為の血を採った。
朝食は一苦労だった。
点滴が右腕のちょうど曲がるとこにはいってるもんだから、
普通に曲げて食事が出来ないのだ。
ちょっと曲げて食べていたら、点滴が閉塞したとかで「ピーピー」鳴る。
極力腕を曲げないように食べた。箸に上半身(特に口)を無理やり近づけ、手首をつかった。
食べにくいながらも、結局全部食べきり、またもウトウト眠る。
11時頃、腰のガーゼを換えてもらう。
今までは大きいガーゼだったが、両腰に2枚、薄手の小さいものになった。
そして、やっとT字帯から普通の下着に履き替えた。
なんとなくホッとした。

昼食を、また点滴で食べにくいながらも、全て食べきった。
そして1時頃、とうとう点滴終了。
やっと腕から抜いてもらえた。
もう点滴と一緒に行動しなくてもいい。快適だ。
点滴と一緒に食事の片づけをしたり、トイレにいくのって面倒だったもの。
利き手の右腕に繋がっていたのは不便だった。

兄夫婦がお見舞いに来てくれた。
ドアをノックする音が聞こえて、「ハイ」と返事をしたけど、誰も入ってこない。
またドアをノック音。「ハイ」と返事をするが、入ってこないので、
ドアまで行って、開けてみた。いらっしゃい。
部屋の中で、暫くお話をしたり、お見舞いのお菓子を食べたりした後、19階に行った。
19階には食堂・喫茶店がある。
まだ昼食をとっていなかったらしく、喫茶店で遅い昼食をとった。
私は、すでに食べていたので、コーヒーを頂いた。
私の移植したくらいの時期あたりから、
入院時の家族(1名分)の面会による交通費支給がなくなった。
交通費も支給するのも、財団および患者さん方にとっては大変なことだろうなと思う。
そんな大した手術ではないので、わざわざ遠くからお見舞いに来てもらわなくても大丈夫ではあるが、
(それに私の場合普段一人暮らしのため、何日も一人でいても結構平気)
でもやっぱり少し弱まっているところを見舞ってもらうのは嬉しい。

部屋に戻って来て、暫くして帰っていった。また独りぼっち。
暇なのでまたウトウトと眠る。
5時過ぎ、シャワーを浴びることにする。腰のガーゼを濡らさないように、
防水のシートみたいなものを貼ってもらった。
シャワーは備え付けの折畳み椅子に座って浴びた。髪も体も、さっぱりした。

夕食を食べる。
そう言えば、なにかとお魚料理が多いなぁ。今のところ6食中3食。
今回も、出た食事を食べきった。
点滴がないので、食事のトレイを戻すのは楽だった(でも、まだ歩くと、腰は痛いけど)

ノドが痛い。鏡で見ると赤くなってる。
右上唇はまだ、腫れていて痛い。
(きっと手術中、うつぶせになってるときに、犬歯が唇に当たってたんだと思われる)
体は、当然腰は痛い。激痛って感じではないけど、起き上がったり、ベットにあがったり、
横になったり、寝返りをしたり・・・鈍い痛みがある。
右腕に筋肉注射をしたとこも、なんとなく痛い。
寝過ぎなのかなんなのか、頭もすこし痛いような、痛くないような。
熱を計ると、37度ちょっと越すぐらいあって、そのせいだろうか。

移植後(入院4日目)

7/×(●曜日)

夜中なんとなく、頭が重い。
熱を計ると、37度5分くらい。大した熱ではなさそう・・・。
看護師さんが見回りに来てくれたときに、熱のことを話をすると、
氷まくらを用意してくれた。
氷まくらの上に頭を乗せて寝ると、気持ちがいい。
朝まで何度か、トイレに目が覚めたけど、よく眠れた。
そう言えば、入院してからというものの、なんだかトイレに行く回数が多い気がする。
特に夜中。家にいるときなんて、朝までトイレに起きることなんてないもんな。
室温が快適すぎて、汗をかくことがあんまりないからかな?

朝、熱は下がっていたようだったが、新しい氷まくらに換えてくれた。
朝食をとって、なんとなくウトウトしてると、
(不思議なくらい寝ても寝ても眠かった)
コーディネーターさんが来てくれた。アンケートに答える。
その後、またウトウトしていると、副担当の先生が回診に来てくれた。
退院は明日になるとのこと。退院後の健康診断(血液検査&検尿)の日を決める。

またまたウトウトとしていると、昼食の時間になった。(ウトウトしすぎ!)
あっまたお魚だ。魚料理多いな〜。
トレイの上に乗っている名前に「鶏肉禁」とあった。
私が最初に入院してきたときに、鶏肉が食べられないと言ったので、
本当は鶏肉料理だったかもしれないところ、魚料理になったのだろうか?
助かった。

家にいると、普段朝食をとることがない。
しかも自分で食事の用意をしないといけない。
入院をしていると、3食食事が出てくるので、とっても助かる。
確かに採取辺りの腰は痛いけど、それを除けば結構快適なのだ。
室温も快適に保たれてるし。
でもやっぱり、携帯やネットを自由に出来ないのが、不便だね。
(ネットは出来ないが、持っていったノートPCでこの入院日記はつけていた)

家に早く戻りたい反面、結構快適な入院生活もいい感じ。
誰も送り迎えしてくれる人がいないので、
今日帰るんだったら、まだ体力的にはきつかったかも。
荷物を持って帰るのは大変そうだもん。

夕方友達のAちゃんに、電話をした。
とっても退屈だったので、楽しいひとときを過ごせた。
いろいろ心配をしてくれて、Aちゃん、どうもありがとう。

最後の夕食をとって、シャワーを浴びた。
今日のシャワーは、もう防水のシートを貼らなくてもいいらしい。
シャワー後、用意されているバスローブを着てみた。バスローブ初体験。
最後の夜景を楽しんで寝ることにした。

ベットの上り下りが、まだ腰が痛い。
一人「イテテテテッ」なんて言いながら、ベットに寝ころぶ。
仰向けにただ横になっても、腰が痛いので、薬をもらって飲んだ。

移植を終えて(入院5日目)

7/×(●曜日)

朝暑くって目が覚める。
病室に日差しが入ってきて、もろ日の光を浴びてた。
ブラインドを閉めて、また一眠りした。
7時半過ぎ、最後の食事が運ばれてきた。
食事中、副担当の先生が回診に来た。次の検診の日付けを決めた。
その後看護師さんが来てくれ、退院に付いて話をしてくれ、腰のガーゼを剥がしてもらった。
鏡で初めて、自分の採取跡をみた。
かわいらしい跡が、左右2つずつあった。案外大したことないのね。痛いわりには。
(・・・痛いと言っても、ものすごく痛いわけではないけどね。)

退院の支度をしてると、担当医師のT先生がいらして下さったので、最後ご挨拶をした。
いろいろとお世話になりました。
先生、看護師さん、ありがとうございました。

今振り返ると、5ヶ月位前から話が来て、なんとなく過ぎてしまった気がする。
本当に提供したのに、実際の採取の時も眠ってたし、どんな骨髄液なのかも見てないし、
渡したところも見ていないし、先生の言葉でしか知らされていないので、実感が薄い。
提供日記が、後半はただの入院日記みたいになってる気がするんだ。
でも、この腰の左右2つずつの採取跡と、痛みが、実際にあったの証拠。

どこかで私を待っている人の力に、なれたのだろうか?

患者さんのことは、採取当日の担当の先生に、無事骨髄液が託されたことしかわからないけど、 私の骨髄液は、患者さんの体の中に入って、きっと闘っている最中だろうね。
頑張ってね。元気になることを祈ってます。

戻ってきてから

今日から病院ではなく、家で過ごしている。
病院にいたときは、たいぶ痛みも治まってきたから「平気平気!」と思ってたけど、
いざ家で過ごすと、結構痛みがある。
病院では安静に過ごしていたもんなぁ。
そんなに動き回らず、座っているだけなのに痛いよ。
こんなことなら、痛み止めもらっとけば良かった・・・。
ぐすん(:_;) 痛いよぉ。。。

戻ってきてから2

熱っぽいし、腰も入院中より痛かったりして・・・。
でもそんな今、おこがましいけど、ちょっとだけど、患者さんと辛さを分け合えている気がする。
きっともっともっと患者さんはしんどい思いをしてると思うけど、
ちょっと辛い状態の今、勝手にだけど、辛さを分け合ってる気がする。
回復に向けて、きっと体は頑張ってるよ。元気になろうね。

復活

いつの間にか、体調も元に戻ってきた。
腰にはちょっと違和感はあるけど、もう普通に生活できる。
振り返ってみると、そんなことあったよな〜って感じになってきてる。
私にとって、日常の中の普通の出来事だったって気がするよ。

退院後の健康診断

7/○(■曜日)

今日は術後の健康診断。
懐かしい採取病院へ行った。
ここには、2週間前に5日間入院してたんだよね。

採血と採尿をした。
検査結果が出るまで、コーディネーターさんと時間をつぶした。

コーディネートの話とか、ドナーの話とか、患者さんの話とかをした。
今現在(2002年7月当時)、非血縁者間による骨髄提供は4000例以上になってること。
ここ数年は年間700例以上の移植が行われるようになったこと。
でもまだまだ、世間では理解や認知があまりないこと。
他にもいろいろ。
女性は30代の提供が少ないらしいとも話した。
結婚、出産、育児のこととかでなかなか提供できない年齢のよう。
私は独身で、提供できる状況で良かったなぁ。

周りに骨髄提供のこととか理解してて、話せる人ってそうはいないし、
ドナーの私側だけでない話を聞けるのも、いいことだった。

検査結果が出て、担当医師のT先生の診察を受けた。
貧血にもなってないし、検査結果も大丈夫。
しかももう採取部分の腰は痛くないし。
T先生は、私に「ありがとう」と言葉をかけてくれた。
なんか先生から言われると、くすぐったい感じ。
私こそ、「ありがとう」なのだ。
「私の夢をかなえてくれて、ありがとう」
「採取してくれて、ありがとう」
「入院中良くしてくれて、ありがとう」

提供までには、確認検査とか、最終同意とか健康診断とか、
自己血採取とか(私はなかったけど)、入院、術後健康診断、
時間をさかれるのは事実。
でも長い人生の中のほんの数日のこと。
痛いのだって、ほんの数日間のこと。
それで誰かのこれからの人生の役に立てるかも知れない。
命の助けになれるかも知れない。


私が提供した患者さんが、元気になりますように。
今日もどこかで移植をされてる患者さんが、元気になりますように。
もっと多くの提供を待っている患者さんに、ドナーが見つかりますように。
バンクへの登録者が増えますように。
※原作者のホームページは、こちらになります。

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