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ドナー体験記

動機

「どうしてドナーになったんですか?」
今までいろんな人に同じことを聞かれた。
でも、これといってはっきりした答えはないように思う。
そのたびに適当に理由をつけて答えていた。

動機はたくさんある。
ひとつは、子どもの頃から読んでいた、
様々な白血病患者の闘病記。
もうひとつは、長男の出産。
長男は1670グラムで産まれた。
彼を救ってくれたのは、現代の医学だ。
数十年前なら、助からなかった命かもしれない。
ならば、少しでもお返ししよう・・・そんな気持ちがないわけでもなかった。

でも、正直言って深く考えてはいなかった。
「病気の患者さんを救おう!」なんて気負いはないし、
献血の延長みたいに考えていた。
ドナーのリスクや細かな情報など、ほとんど知らなかったと言っていい。

登録

アイバンクに登録して数年後、
日本にも骨髄バンクが設立されたことを知った。
そのころの私は、結構ボランティア精神に目覚めていたので、
すぐにでも登録したかった。
しかし、当時は登録できる施設が少なく、
実家から一番近い血液センターも2時間以上かかった。
そんなこんなで、バンクへの思いはいつの間にか薄らいでしまった。

それから数年後。
インターネットでなんとなく骨髄バンクを検索。
登録できる施設は、ものすごく増えていた。
今の家から、車で20分ぐらいのところの保健所の名前がある。
子どもたちはまぁまぁ大きくなったし、3人目はまだ作る気ないし、
今しかない!

翌日、夫と子供たちに
「私、骨髄バンクに登録したいんだけど」
と切り出した。
夫はちょっと驚いたようだったけど、
「いいよ。なかさんがしたいのなら」
と、あっさり了解してくれた。
子供たちも、
「いいよ!」
と言ってくれた。

早速、電話。
「登録には家族の了解が必要です。」
と言われたので、
「了解済みです」
と答えた。
登録できる曜日が決まっていたので、仕事が空いている日時を予約した。

行くと、思ったより立派な所だった。
係員に案内され、移植に関するビデオ(15分ほどだったか)を見せられる。
感情的なものではなく、むしろ淡々としたものだった。
「家族の了解はしていただけましたか?」
と聞かれる。
その後、同じ質問は、最終同意まで何度も行われた。

用紙に住所・氏名を書いて登録。
その後、10ccの採血。
これで、1次・2次検査は終了だ。
(1997年4月1日より、1次・2次同時検査が可能となった。)
あっという間で、拍子抜け。
所要時間は1時間もなかった。

3次検査

登録後、私は「しばらくなにも連絡はないだろう」と思っていた。
と言うのも、患者とドナーの白血球の型(HLA)が一致するのは、
血縁者内で30%。
非血縁者だと、10万人に一人の確率になる。
宝くじにも当たったことがない私に、早々連絡も来るまい・・・。

でも、それは不意にやってきた。3次検査の通知・・・。
登録からわずか3ヶ月後だった。
すごくびっくりしたのと同時に、今までのほほんと構えていたものが、急に現実味を帯びて、自分の身に降りかかってきたようで、二人の子どものことや、仕事のことなどがグルグル頭の中を駆けめぐった。

3次検査は、調整医師がいる病院を、ドナーが選ぶことが出来る。
県内の指定医院から、選ぶように、とある。
一覧を見ると、私の家から自転車で10分ほどの、S病院の名前があり、私は迷わずそこを選んだ。
S病院は、低血糖症で通院中の子供の病院でもあり、医師も看護婦も、信頼できる方ばかりだからだ。

また、検査前の体調確認として、身長・体重・喫煙や飲酒歴・大きな病気・手術の経験などを記入し、財団へ返信するように、とあった。
返信後まもなく、コーディネーターのKさんから電話。
私の検査希望日を伝え、翌日には、希望通りになったと連絡が入った。

3次検査当日。
Kさんと待ち合わせ、直接検査場所へ行く。
そこは、内科病棟の医師のための部屋だった。
はじめに、Kさんが骨髄移植についての説明を、説明書に沿って話してくださる。
またここで、「ご家族の方の同意は得られましたでしょうか?」と聞かれた。
家族の同意というのは、非常に重要らしい。

まもなく、調整医師と、内科婦長がやってきた。
3次検査の同意書に、それぞれがサインし、血圧測定など簡単な診察のあと、40ccの採血をした。
約50分ほどで検査は終了した。
結果は一ヶ月後・・・長いなぁ。

最終同意

3次検査から一ヶ月後、Kさんから
「ドナーに選ばれました。」と連絡が入った。
うぅ、いよいよ手術ねぇ!!
なんだかわくわくした。

Kさんによると、本当は通知が私に届くのが先なのだが、
患者さん側が非常に急いでいるとのことで、
手術したい月まで指定してきた。
大急ぎで最終同意をしなければならないらしい。

最終同意には、私の家族が一名同席しなくてはいけない。
私の場合、夫しかいないので、夫の仕事の都合がつく日にちを指定した。
それは、連絡からわずか6日後だった。

ここで大きな問題だったのは、私の息子たち。
昼間は保育園に預けるにしても、送り迎えを誰かに頼まなければならない。
夫は不規則勤務なので、それは期待できない。
早速、私の母親に連絡を取った。

さすがの母も、私のドナー登録には驚いたようで、
「えぇ!?あんたはまた、そんなことを」と言っていたが、そこは私の母。
私と同じく、わくわくしてきたようで、
「いいよ、私でよかったら」と、ちょっと興奮しながら了解してくれた。
きっと、「なにを土産に持っていこうかしらん」と考えているに違いない。
それが手に取るようにわかった。

母が私の家に来るには、電車で6時間かかる。
母には、本当に感謝している。

最終同意の日。
3次検査と同じ、S病院の一室だった。
ただ違うのは、メンバーである。
ドナーの私とコーディネーターKさんのほか、夫、弁護士、調整医師が顔をそろえた。

Kさんが司会となり、移植についての詳しい説明が行われる。
また、手術までの間の注意点の説明と、健康診断の説明、自己血の採取の説明もあった。

「何か質問は?」と聞かれた私。
「あのー、今度職場で健康診断があるんですけど、
こっちで健診をやるんだったら、職場の方は受けなくてもいいですかね?」
と言ったら、みんなに爆笑された。
今までむっつり黙っていた弁護士さんにも笑われた。
おかげで、場が和んだ・・・。
医師によると、両方受けなきゃだめらしい。めんどくさ。
(あとで夫に、「そんなこと聞かないよ」と言われた。真剣だったのに)

また、手術後の妊娠についても聞いたが、
腰の痛みがひけば、全く問題ない、とのことだった。

ずうずうしい私は、手術そのもののリスクについても聞いた。
「麻酔による事故は、0%ではありません。
だから、私にも「大丈夫」とははっきり言えないのです。
ただ、日本で一件あった死亡例は、部分麻酔による事故でした。
ですから、全身麻酔の方が、より安全であると言えますし、こちらも細心の注意を払います。」

この言葉は、とても私を安心させた。
「この病院では、絶対事故を起こしません」と言われたら、どんなに不安になったことだろう。
医師が正直にはっきり話してくれた方が、万が一のときにも、あきらめがつくってもんだ。
それから心配だったのは、導尿のカテーテルと、生理のこと。
お産の時にカテーテルをしたことがあり、それが痛くて、すごく嫌な思いをしたのだ。
カテーテルは麻酔後に入れるから、心配はないようだが、はずすときは仕方なさそうだ・・・ぐすん。
生理は、生理中でも手術は出来るし、看護婦が処置してくれるそうだ。
嫌ならば、ピルを処方するとの話だったが、そこまでする必要もないかと思い、断った。
(結局、生理は術前に終わった)
自己血についても説明があった。
手術後、貧血などを予防するため、あらかじめ自分の血液を採っておき、術後に輸血するのだ。
私の場合、採取量が少ないので、自己血は200ccと決まった。
その後、私・夫・医師・弁護士が署名捺印し、終了。
約1時間ぐらいで終わった。

コーディネーターさんから、患者さんの情報も初めて教えていただいた。
患者さんは、3次検査の段階から、私の体に合う人しか選ばれていない。
骨髄液は、患者の体重Kgあたり、15mlを目標とされている。
私のような小さい者だと、患者さんも小さい方、ということになる。
私の患者さんは、予想通り、小さい小さい患者さんだった。

ドナーの注意点
1)激しい運動は避ける。
2)献血しない。
3)妊娠を避ける。
4)マラリア汚染地域などへの海外渡航の禁止。

病院からの注意点
・前日の飲酒は避ける。
・最低一週間前には、タバコを控える。

手術1

最終同意から半年経つと、同意書は無効になってしまうのだが、
私の場合は約一ヶ月で手術日を迎えた。
この間、私はせっせと鉄入りサプリを食べ、
車の運転には気をつかった。
でも、家族でドライブもしたし、
「風邪をひかないように」
とKさんから言われていたけれど、風邪の「か」の字もひかなかった。

健康診断では、レントゲン・心電図・肺機能検査などもあったが、
いたって健康!!
入院10日前には、自己血も摂った。

入院前日、母が到着。
やっぱり土産をどっさり持ってきた。

入院当日。
なんと、私ではなく、次男が発熱・・・!
「えぇー、なんでぇぇ!」
という気分。
しかし、予定の14:30には入院しなければ・・・。
母は
「大丈夫だよ、私がいれば」
と言ってくれ、
後ろ髪を引かれつつ、バイクで病院へ向かった。

約5分で病院着。
本当に、近くでよかった。楽ちん。
直接病棟へ行き、看護婦に声をかける。
病室へ行く前に、身長体重をはかった。
154.6cm・49kg。数年前から変わらぬ体型・・・いいのか、悪いのか。

病室は、内科病棟のはずれにあった。
二人部屋を私だけで使えるように、ベッドがひとつだけある。
小さな洗面台と大きなソファがあり、テレビもあるし、快適。
しばらくして、尿検査・血圧測定・採血、と検査が続く。
抗生剤の皮下テストも二種類打った。
全部、問題なし。
退院までの間、一日4回、イソジンでうがいをするように言われる。

15:30、担当医師が来る。
手術の説明をしてくれたが、今まで聞いてきたことと同じだ。
今日は21:00以降絶食だが、病棟内はどこへ行ってもいいそうだ。

・・・暇。
テレビを見たり、家から持ってきた本を読んだりする。
売店でおやつを買って、夜のおやつにしようと決めた。
夕方、母に電話する。
次男はすっかり元気になったそうだ。よかった。

17:00、
「お暇ですか?」
と、にこやかにKさん登場。うれしかった。
ここぞとばかり、移植についていろいろ話をした。
女性の患者さんで、移植後に妊娠・出産されている方も
最近は多くなってきたこと。
移植は、ABO型よりHLA型を優先されるので、
手術後にABO型が変わってしまう患者さんもいること。

18:00、夕飯。
病院食って、低カロリー・高タンパク・あっさり・うす塩・・・。
おやつを買ってきてよかった。

20:40、夫が来る。
次男は元気だし、私がいないこともそれほど不安ではなさそうだ。
夫が帰ってから、一回だけ出せる、患者さんへの手紙を書く。
看護婦さんが
「緊張して眠れなかったら、眠剤を出しますよ」
と言って下さったが、その必要は全くなく、
いつものように22:00には寝てしまった。

手術2

明け方、看護婦さんの見回りで目が覚める。

6:30、検温。「ご飯がない」と思うと、すごくお腹が空く。

8:00、点滴開始。
輸血もするので、針が太く、痛い。
手術の部位は、腰からやや下の両脇に二カ所。
普通は毛を剃るらしいが、私はほとんどないので、剃らないことになった。
それにしても、腹減った。

8:30、麻酔科の医師2名が、手術の説明と診察をしに来る。
「緊張してますか?」
と聞かれ
「全然してないです」
と答える。
それでも、
「でも、緊張しますよねぇ。」
とたたみかける先生。
緊張して欲しいのね。
続いて、手術室の看護婦が挨拶に来た。
若くてきれいな看護婦さんだった。
めまぐるしく、病院のいろんな人が挨拶に来る。
人ごとのように楽しむ私だった。

9:30、担当看護婦が来て、いよいよ手術の準備が始まる。
ここへ来ても、全然緊張感がわいてこない。
たぶん、子どもたちのことが心配で、そちらばかりに神経が行っているからだろう。
弥生時代の服みたいな手術着にお着替え。
両脇が、マジックテープで止めるだけなので、ちょっとでも動くとビリビリと破ける。
ちょっとエッチ♪

狭いストレッチャーに、なんとか腹這いになる。
麻酔の導入剤を、お尻に打たれた。
「ちょっと痛いですよ」
と言われたが、この注射が一番痛かった!
でも、打たれた後で揉んでもらうと、みるみる痛みが引いていく。
「あ〜、なんか、エステみたーい。行ったことないけど」
と言ったら、ここでも笑われた。

両脇に看護婦さんが付き、手術室へ。
エレベーターに乗り、長い廊下をガラガラと運ばれていく。
まるでテレビドラマみたいだ!
手術室へ入ると、朝挨拶に来た手術室の看護婦さんが、にこやかに迎えてくれた。
麻酔科の医師が、
「これから、麻酔を始めますね」
と声をかける。
「はい」
と返事をした。
・・・ここから、私の記憶は、まるで切り取られたように、バサリとない。

手術3

「終わりましたよー」
医師の声で目を開けると、そこは病室だった。
ボーっとして、すぐまた眠ってしまう。
術前の説明で、15分ごとに検温と血圧測定をする、との話だったが、
看護婦はつきっきりで、そばにいるような気がする。
酸素マスクが顔に乗っていて、導尿のカテーテルが入っていることがわかった。
ガタガタ体が震える。寒い。

14:00、看護婦に時間を聞いた。
「痛みは、10のうちいくつぐらいですか?」
と聞かれた。
そういわれると、腰が重い感じがする。
「・・・3ぐらいですかね」
「さっき、8ぐらいっておっしゃってましたけど。」
え?そんなことを?全然覚えていない。
術前の説明通り、37.5度と微熱が出始めた。
期待していた自己血の輸血は、とっくに終わっていた。
残念。見たかったのに。

16:10、Kさんが来てくれる。
このあたりから、私の頭もだんだんしっかりしてきて、
看護婦も病室からいなくなった。
腰を動かそうとすると苦しい。
声を出すと、風邪をひいたように痛く、ガラガラ声だ。
さっきは寒かったのに、今度はひどく暑くて、Kさんにクーラーをつけてもらった。

16:30、医師が来る。
血圧も脈も正常で、熱もそのうち下がるだろうということで、
酸素マスクとカテーテルがはずされた。
カテーテルをはずすとき、痛むかと覚悟したが、
思ったほどではなく、その後の血尿もなかった。
寝返りを打ってもいい、とのことだったが、痛くてできない。

18:15、夫・母・子どもたちが来てくれた。
座位はとれるが、苦しい。
ちょうど夕飯が来た。粥食だ。
あまり食欲はなく、子どもらがつまみ食い。
あまりにはしゃぐので、早々に帰ってもらった。

20:20、術後初めてトイレへ行く。看護婦が付き添ってくれた。
点滴を押しつつ、そろそろと歩く。
うぅ、病人みたい・・・。
長男も入院中は、点滴が苦しかったろうな、なんて考える。

寝る前に吸入し、眠る。
昼間、寝ていただけなのに、夜も寝られるなんて・・・。

手術に関して

・部位の痛み 鈍痛という感じ。想像より痛くなかった。
・のどの痛み 人工呼吸器を入れるため、あとでのどが痛む。風邪程度。

手術4

入院3日目。
5:00、トイレに行きたくて目が覚めたら、ポタポタと点滴が垂れている。
ナースコールを押して、来てもらった。
寝ている間に、接続部分がはずれてしまったらしい。

8:00、朝食。今日から普通食。
相変わらず腰は痛いが、食欲はあり、ぺろりと食べた。

8:40、夫たちが来る。
「昨日より顔色がいいよ!」
と言う。そんなに顔色が悪かったのか。

9:30、胸とお腹のレントゲンを撮りに行く。
戻ってきたら、点滴が詰まってしまい、刺し直した。
その後、病室で心電図を取る。

14:30、医師の診察。部位の消毒をしてもらう。
出血はなく、針の穴の跡しかないそうだ。
シャンプーがしたいので、看護婦に頼む。
十分ではないが、ちょっとさっぱりした。

17:10、点滴終了。うれしい!!
自由が増えた感じ!!
院内で自由行動がとれるというので、早速おやつを買いに行く。
行く途中、同じ病棟の患者さんたちとすれ違った。
スキンヘッドの人、スカーフを頭に巻いた人、
点滴を押しながら、そろそろと歩く人・・・。
クリーンルームは二部屋あり、ICUも完備されている。
そうか、そういう病気の人たちが入院している病院なんだ・・・。
何度もこの病棟を行き来していたのに、初めて気がついた。

手術5

6:30、退院のための採血と尿検査。
トイレに行くとき、おっ!と思うほど動きやすくなった。
のどの痛みも、急激に引いている。
健康な体ってすごいなと、実感した瞬間だった。

9:00、医師が来て、退院が決まった。
部位の消毒は、あと2日ぐらいすれば良いし、
飲み薬(セルベックス:胃薬、バリターゼ:痰を出すトローチ)は、
具合が良ければ飲む必要はないとのこと。
お風呂も入っていいし、
自分の具合が良くなったと思ったら、仕事に行ってもいいらしい。

10:10、Kさんが最後のお見舞い。
Kさんが帰ってすぐ、退院。
4日間の、短い入院はあっという間に終わった。

退院後

退院後、腰の痛みはぐんぐん引いていった。
入院中はなかったが、
家に帰って2日間、立ちくらみがひどかった。
例の鉄サプリをガバガバ食べ、家事をさぼったらすぐによくなった。

コーディネーターのKさんは、毎週電話で様子を聞くとのことだったが、
2週間で全く問題なくなったので、そこで終了となった。

退院が土曜日だったせいもあり、
月曜から仕事へ行くことにした。
この日はさすがにつらかったが、
それはヘルパーという仕事のせいもあるだろう。
事務のような仕事だったら、たいして問題はないと思う。

採取から3週間後、退院検査があった。
簡単な問診と、血液検査。
連絡がないので、なにも問題はないのだろう。

感じたこと

今回の私の手術を反対したのは、
夫でも母でもない。
それは、私の職場の人たちだった。
もちろん、全員ホームヘルパーだ。
3次検査で
「職場の方にも、休まなければならないので、了解を得てください。」
とコーディネーターさんに言われたのだが、
私は、福祉の職場だから快く出してくれるものと、勝手に思いこんでいた。
でも、それは甘かった。
「そんな危険なこと!」
「他人の人生を、なんでそこまでしてあなたが救わなきゃいけないの」
「その病気になったのは、その人の運命なのよ」
めちゃくちゃに言われた。

正直言って、手術に全く不安がないわけではない。
麻酔をするのは初めてだし、
今まで骨髄採取でいろんな事故があったことも、
インターネットなどで自分なりにいろいろ調べた。
その上で、了解したことだ。

私は、反対されるとシュンとしてしまうタイプだと思っていたが、
このときはなぜか、「絶対やるぞ」と燃えてしまった。
「患者さんの運命とやらを、私が変えてやろーじゃないの!」
ってな気持ちだ。

夫は、
「そんなこと言う人間が、なんで年寄りの面倒を見るんだよ」
と皮肉を言っていたが、私も同じ気持ちだ。
たぶんそういう人は、自分の家族に患者が現れ、
ドナーが見つからない状態に置かれなければ、
患者さんの気持ちはわからないだろう。
でも、まぁ私の体を心配しての発言なのだろうと、今は解釈している。
休みをとる段階になったら、もう文句は言われなかったし。

世間では、まだまだ骨髄移植は理解されていない。
そこが、ドナーが増えない理由の一つかもしれない。
白血病などの病気は、「他人事」なのだ。
治る可能性があるのに・・・。
すごく残念だ。

私は、無神経にドナーを薦める気はさらさらない。
ドナーになるのは簡単だが、実際手術をするとなると、
いろいろ不都合が出てくる。
仕事は一週間近く休まねばならない。
子どもが小さかったら、預ける人や場所を探さなくてはならない。
お年寄りが家族にいたら、それもまた心配だ。

また、「痛い思いはしたくない」とか「手術は怖い」とか
個々の思いはたくさんあるだろう。
健康上の問題もある。
でも、ドナーになるだけが、移植に協力することではない。
会社にドナーがいたら、休みやすい状態をつくる。
募金に協力する。
それも立派な「協力」なのだ。

私だって、実際にドナーになったのは私だけれど、
私を支えてくれた、夫・子どもたち・母・職場の人たち、
すべての人が、移植に協力し、患者さんを支えたのだ。
そういうことを、もっともっと理解して欲しい。

それから

退院してから、子どもたちに
「どうしてママが病院にお泊まりしたか、知ってる?」
と聞いてみた。
「ママがお熱出たから」
と長男が言ったので、
「違うよ。病気の人がいたから、ママの血を少しあげたの。
そうすると、病気が治るんだって」
と話をした。
長男は、ものすごく驚いたようだ。
他人に血をあげるなんて、想像の域を超えていたようだ。

何日かして、病院のそばを通ったら、
「ママは、病気の人に、ママの血をあげたんだね!」
と言ってくれた。
うれしそうに、ニコニコと。
医師やコーディネーターから、
何回かお礼を言われたときはあまりピンとこなかったが、
長男の顔を見てやっと、「いいことしたかな??」と思えるようになった。

私と全く同じ血を持つ人が、もう一人いる・・・。
我が子より、もっと自分に近い存在の人。
とても不思議な気持ちだ。

私と患者さんとは、一回だけ手紙の交換が許されている。
私の手紙は届いているはずだが、返事はまだない。
ほかのドナーさんの体験記を読むと、
ほとんどの方が、半年後、一年後、それよりもっと後に来るようだ。
と言うのも、移植後しばらくは、まだ患者さんの状態も不安定だし、
合併症があったり、移植が成功しない場合もあるからだ。
気長に待とうと思う。
移植の成功を祈って。


それから・・・患者さんから手紙が届きました!
男の子からだけでなく、お母さん、お父さん、おばあさんからもいただきました。
移植までのつらい治療、いろいろな理由で、ドナー候補に断られたことなどにもふれ、
読んでいて涙がこぼれました。
私への感謝の言葉が、何回も何回もくりかえして書かれ、こちらが恐縮するほど・・・。
私の宝物です。

付記:入院にかかった費用(自己負担分)

・テレビカード 1000円
・おやつ 500円くらい

財団からの費用

・母の交通費(私の面会費として) 17200円
・入院準備金 5000円
*私の場合、家から病院が近いので、私の交通費は0円でした。
交通費は自己申告で、
「ガソリン代だけでも出しますよ」
とKさんは言われましたが、
本当に0円なので、お断りしました。

その他、財団からいただいたもの

・T字帯(病院で用意され、使いませんでした)
・ペットボトルのお茶
・メロン2個

まつわる数

・3次検査から終了までの通院の数 6回
・自己血 200cc
・採血の数 6回
・手術時間 1時間弱:覚醒まで約2時間
・カテーテル、酸素マスク 約6時間
・点滴 約11時間
・入院日数 3泊4日
・職場復帰 術後4日(日曜をはさむ)
・痛みが全くなくなるまで 2週間 
・登録からコーディネート終了まで 半年
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