アクセス解析CGI

ドナー体験記

骨髄提供体験記
骨髄バンクとの出会い

 骨髄バンクとはじめて出会ったのはいつだったのだろう?気が付いたらそれはごく当たり前に知っているんだけど、出会いは覚えていないことのひとつ。う〜ん、何か感動的なテレビでも見たのか、それとも本を読んだのか。(^^;

 はっきりと自分の問題として意識して捕らえたのは大学に入ってはじめての大学祭の時だろうと思う。私の通っている大学では毎年『骨髄バンクチャリティーコンサート』を行っているのである。かなり有名な音楽家が非常に好意的に演奏を引き受けてくれて、コンサートの謝礼を募金していったりして、大学の近所ではちょっと有名なイベント。
 その時に同時に医学展示が行われていて(それは医学部らしく一般のみなさんにいろいろと面白い展示を工夫して見てもらっているものなのだけど)そこに『チャンス』が置いてあったんだと思う。その最後の所に付いている葉書を送ると登録できるというから、その日のうちに実家に電話を入れ、「登録するね!」と一言断って、次の日には投函していた。(^^)(現在はチャンスでは登録できない模様^^;)
 今はちょっと違うけど、当時はその後、1次検査があって、2次検査があって、3次検査のお知らせが来るまでしばらく登録していたことさえ忘れかけるほどの時間が流れたのでありました。

3次検査と最終同意

 3次検査とは移植へ進むための最後の検査。ここで適合がはっきりと決まり、ドナー候補が複数いる場合にはその順位も決まります。そして、最終同意のお知らせが来るのです。

a 私のHLAってありふれ?

 私はこの3次検査を実は3回も受けている。3度目の正直で今回の移植が決まったわけだ。1回目は患者さんサイドの都合でコーディネート中止。2回目は順位が2番目で、1番目の人が最終的に同意したので、出る幕なし。3回目の今回もコーディネート中止になりかけたし。(苦笑)

 3次検査ではHLA型はもちろん、HIVや肝炎ウイルスなどが感染していないかなどの血液検査もばっちり行われます。結果は送られてきますが、身に覚えがなくてもどきどきします。(爆)時々思うんだけど、もしこれで陽性って書いてあったらどうするんだろう?面接なしで告知するような病気なのか?と思ってしまいます。
 HLA型は移植でもしない限り変化することはないのに、3次検査の度に調べられます。間違い防止のためらしいけれど、注射は少なくならないの?痛いの嫌いなんだけど(苦笑)

b 最終同意の壁

 最終同意には本人とその家族の署名捺印が必要です。たぶん、誰にとってもこの最終同意の一番の壁は家族の同意であると思います。私の場合は特に母が鍵であったわけです。幸いなことに父と弟は医療関係者でもあり、特に弟は強力な協力者となってくれた。ありがとうね>よよちよ

 最終同意に際して、家族が不安に思うことはどんなことだろうか?と考えました。みなさんもそう思うと思いますが、麻酔の事故のことではないかと思っていたのですけど。。。違いました!傷です。
「手術の痕は残るのか?」だったのでした。(笑)おいおい、先生は説明してくれなかったんかい?(^^; 確かにケロイド体質だから、虫垂炎の跡が残っていたりするから心配なのだろうけれどね。
 注射するようにして取るから、お尻に2から4カ所程度の大きめの注射跡が残ります、でもかさぶたになってそのうち消えますよって説明されたでしょ?>父

とにかく反対だと言い続けたのが、母。「なんであんたがしなくてはいけないわけ?」これがまた手に負えない。(--;「私がしないと、その相手の人は死んじゃうかも知れないんだよ?そんなんで私は良い医者になれると思う?」と反論して、説得すると、最後には全然納得していないながらも同意することになった。

サインの時もなにやら憎まれ口を叩いていたらしい。(苦笑)

 私は本人が九州地区に、家族が関東地区にいるため、それぞれの地区でコーディネータと調整医師がいたことになる。私本人の担当コーディネータはそりゃ〜美人で優しい方だし、調整医師も何度も3次検査でお会いしている方であったので、安心してコーディネートを受けることが出来た。一方、家族のコーディネートはそうでもなかったようだ。好意的でない母が対応したからだろうけどね。(^^;後日フォローすると、私の担当のコーディネータは気に入っていたらしい。

 コーディネータのみなさん、お願いです。移植に難色を示す家族は絶対に多いと思います。ペラペラまくしたてて、「質問はありますか?」と矢継ぎ早に聞くのは非常に事務的な印象を相手に与えます。まずは「不安な点はありますか?」と相手の気持ちを聞き出して!!そこから説明をはじめて下されば、きっと疑問も素直に出てくると思いますよ。(^-^)

c 最終同意はなんだか素敵?

 私の移植に関する最終同意はたぶんごく普通のとはチガウと思う。けど、同じのもあるから、どんなカンジだったのか紹介したい。まず、パンフレットに沿って、移植までの流れや手術のこと、万が一のための保証などについて説明が行われた。実はこのパンフレットは送付されたらしいのだけど、え?いつ〜?と今でも疑問。(^^;;;

 同席したのは、S調整医師、Nコーディネータと弁護士の先生と私の4人。弁護士さんが立ち会っているので『契約』ってカンジで映画みたいでしょ。だけど、実際は可愛いおじいちゃんだったのでそこまで格好良くはなかったけど。(笑)

 「質問はありませんか?」これ、本当に何度も聞かれるんだけど、「特に思いつきません」といつも答えてしまうんだよね。いいのか?>じぶん
 私のした質問って、『レシピエントは免疫抑制剤をどれくらいの期間飲むのか』とか、『トレランスは割と早く成立するというのは本当か』とか、『HLAが一致でも生着に血縁者と非血縁者で差が出るのはどうしてだと思うか』、『アジアでのHLA分布について』とか血液学の講義のおさらいだった。(^0^;;;

提供準備の期間
a 担当医師変更!

 なんと最終同意の後で担当の調整医師が替わってしまった。私は細かいことは気にしない方なので電話でその知らせを受けたときも「そっすかー、いっすよー」ってなカンジだった。コーディネータは不安になりませんか?病院を変えてもかまいませんよ、と気にして下さったのだが、大学病院でさくさくと飛ばされていく医師を数多く見ているので、勤務医の宿命だよなと思った。

元気でね!S先生!!鹿に食べられないように!(笑)

 新しい担当医のI先生にもすくに慣れた。医師は毎日たくさん見ている私のランク付けによれば、A-〜B+の先生だ。まだバンクの調整医師の仕事に慣れていないのがよくわかる。(^m^) 私が医学部の学生と知ると前の担当医と同じく、血液の医師への勧誘をされる。口だけだけど、されないよりはそりゃ〜嬉しい。(^-^)「そっすねー」と当たり障りなくお話しして、検査項目の説明を受けて、病院一周旅行へ出たのであった。

b 病院一周旅行

 病院の建築の専門家が見たら気が遠くなるだろうと思うくらいに複雑に入り組んだ病院内をコーディネータに案内されながらフラフラさまよう。X線写真、心電図、肺機能検査、血液検査等々・・・。
 くらっと来るような嫌なことがたくさんあったんだけど、書くと病院が特定され、しかも文句バリバリということになるのでやめておきます。(--#オコルヨ!
 待ち時間はコーディネータとおしゃべり。「あきねこさんて、本当は繊細だと思うわ」との言葉にちょっといい気になってみたりもする。(爆)女の子らしくなくって、ガサツなので。コーディネータには次の瞬間「笑いが豪快よね!」と言われてしまったんだけど、これってほめ言葉かな?(^-^;;;ま、カラ元気でも続けていれば、元気になるってことで・・・。

c 麻酔科診察

 話を元に戻そう。検査を一通り回り終わると麻酔科診察である。この時、担当して下さった先生は私が医学生であるとは知らなかったし、私もあえて名乗らなかったの(麻酔科は5年生の科目だから未履修だったの^^;)で、ごくフツーのインフォームドコンセントが行われたと思って良いだろう。麻酔の方法、麻酔中の管理、術後のケア、後遺症の危険などについてごく一般的な『押さえるところ押さえているなー!』とカンジさせる素晴らしいものでした。見習いたいものです。
 もちろん、先生が一番強調していたのは麻酔事故のことでした。『健康な人に麻酔をかけるときに危険をどこまで少なくするかが一番大切です』という姿勢に非常に好感が持てました。
 麻酔事故は交通事故とよく比較されます。交通事故が怖いから外へ出ないなんてナンセンスでしょ?ということで、全く不安のない私であった。(^0^)

d 自己血採血1回目

 骨髄提供後には血液の量が減る。血液の源である骨髄を取るのだから当然。(・・)b
というわけで、術前に血液を採って置いて、術後に戻すという処置が自己血輸血です。他の人から血液を輸血されるとごく稀に輸血後感染症を起こすことがあるので、自分の血液で輸血をするようになっているのです。私は抜く骨髄量が多めなので、自己血も多めに貯めておくために2回に分けて採血することになりました。

1回目の今回は400ml。輸血パックに自分で、名前を書くという名誉をたまわりました。珍しく漢字で名前を書いた。(普段の私はカタカナで書くのだ^^;)肘の内側の真ん中に太い静脈があるのだけど、ここがイチバン取りやすいですよ、と先生に指定してそこから抜いてもらう。I先生は採血が苦手なのか、「プレッシャーをかけないで〜」と悲鳴を上げながら注射針を指す。(T_T)コワイ!

 実は、この日はあきねこにとって記念すべき日になった。この日はもう一人のドナーがいたのだ。はじめて出会ったのだ。バンクに入っていて、しかもドナーになったという同じ立場の人に。私と前後して入院するカレは介護福祉士の道に進みたいのだと言う。たぶん年は同じくらいだと思うけど、ホームヘルパーをしているのだそうだ。
 ドナーとレシピエントが出会うことは日本ではほとんど考えられないけど、ドナー同士が出会うことも稀だよなって改めて痛感したのでした。そして、FMARROWにたどり着くことになったのだけど・・・。

e 自己血採血2回目

 今回の採血は残りの200mlということで、今回も自分の名前を自分で書いて、またもやさくっと終わる。今回はHiroと一緒に病院に行ったのだけれど、コーディネータに紹介したにも関わらずHiroは興味なさげ。
(^^;;;(本当は照れていただけでした)
 今回は入院前の細々としたことをいろいろと教えてもらう。家族の交通費も一人分だけだけど、出るのでその請求についても教えてもらったりしました。

う〜、ドキドキするぜ!(^0^)

提供入院前後

提供2日前
母が来福。移植に反対していたのだが、かえちゃんやよこちゃんが家に来てくれて、私のことをほめまくってくれたのでちょっとは良いみたい。協力してくれてありがとうネ。(^^;
医学をかじったからこそ知っている危険性や、その有効性。それが分かっているからこそ、私は何かをしたかった。移植によって誰かの命を救うことはね、医師としてではなくて、自分であることでできるんだよ。こういうところって私らしいでしょ?(^_-)>母。
提供前日:入院
朝から温泉に行く。入院中は入浴ができないと言うことで、先にゆったりしに行ったのである。
海を見ながらの入浴はとても気持ちが良くて、思わず『Automatic』を歌ってしまう。(^0^)
午後からの入院で、時間ぎりぎりに病院に到着。入院中の担当の先生は大学の先輩のO医師(女性)。採血で失敗されてしまっても、全然オッケーです。(^^;;;
母は近所のホテルに部屋を取っていたので、面会時間が終わるとかえって行きました。夜には調整医師のI先生とO先生、もう一人の卒業生の先輩の3人で励ましの回診が。(笑)眠る準備をして、パジャマですっかりくつろいでいたので、ちょっと恥ずかしい。(*^-^*)「がんばれよー!」のお言葉に「ハーイ!よく眠りまーす!」と答える。(爆)
両親とコーディネータ、そして、もう一人の私に手紙を書いて眠る。
提供当日
6:30起床。夜中に何度か目を覚ましたところを見るとやはり少しは緊張しているようだ。絶食なので、朝食抜きだから起きるとつらい。本でも読もう、とゆっくり読書タイム。
母が7:30に到着。早い!反対して心配している母だから眠れなかったのかもしれないと思った。
8:30に筋肉注射をされてぼんやりとしてくる。9:00に手術室へと向かう。ここらへんからだんだんと記憶があいまいになる。静脈に点滴用のルートがとられて、ここから麻酔薬が入りますよーと言う先生の声が聞こえた後、さくっと記憶がない。
手術が終わって、ICUに入る前に母とコーディネータに会っていたらしいが全然記憶にはない。「痛いよー!」とか騒いでいたらしい。覚えてないよ〜(*ノノ*)ハズカシイ
午後2時頃からだんだんしっかりと目が覚めて、3時過ぎにICUから病棟へ戻る。先生方が次々に挨拶に病室を訪れて下さった。「俺なら卒業させちゃうね!」というお褒めの言葉をありがとうございました。単位をくれるように言っておくからなというのもありました。よろしくお願いします。(爆)
母が買ってくれたアイスを食べ、夕食を食べてうとうと。このころから熱がだんだん上がってくる。8度まではないからただだるいだけなんだけど、冷やしていると気持ちがいい。冷たいタオルを母に絞ってもらっていたのだけれど、消灯の時に見回りに来た看護婦さんに氷枕をもらう。深夜1時半頃に目が覚めて、氷枕をかえてもらい、氷をひとかけしゃぶってぐっすりと眠った。
提供2日目
6:30起床。昨夜、暴風雨のために帰れずに病室に泊まっていた母も起きる。熱が下がったので、氷枕を返す。導尿していたカテーテルも10時頃には取れた。これが痛いと聞いていたのだが、全く苦痛なし。でもやはりすこしは違和感はあったけどね。(^^;
10時半頃I先生が顔を見せに来る。どこも痛くないので、次の健康診断の日取りを決める。少し熱を出したというと、8度以上になる人もいるという。私は軽い方だったのだろう。(^-^)
午後3時頃おがちん、べーちゃんと黒い樽がお見舞いに来てくれた。雑誌を3冊も差し入れしてくれた。ありがとね!(^0^)その後少しまた熱が出てきてダウンしてしまった。
提供3日目:退院
5:00起床。採血のために早起き。うにゃ〜眠い。(/_-)ゴシゴシ 採血の後にまた眠る。朝御飯を食べてテレビを見ていると地震速報が。茨城で震度4というので父に電話をすると大丈夫とのこと。ネコは走り回っていたらしいけどね・・・。(^^;
O先生の朝の回診の後、のんびりとコーディネータを待つ。レシピエントのカレの母親からの手紙を届けてくれる。その場ですぐには読む気になれなくて、鞄に大事にしまって病院を後にした。駅ビルでお蕎麦を食べて、部屋に帰った。
提供4日目
母が実家へ帰るのを見送って、部屋のお掃除。午後からよこちゃんと小倉へお出かけ。もう十分に回復している。確かに体に痛みは残っているのだけれど、その痛みは心地よく、幸せな痛みであり、その痛みを感じる度にもう一人の私のことを思った。

術後健康診断

 術後の健康診断は提供手術の2週間後であった。着くとすぐに血液検査と尿検査をされて、先生を待つ。実はこの時に次の誰かのための3次検査が入っていて、I先生もNコーディネータもそちらとのお話中だったのだ。一緒に来てくれたたこ社長と居眠りしながら待っていると、コーディネータがもし良かったらこのドナー候補に会わないか?と誘ってくれた。この方、登録してから3年ほどになるという精神科の医師で、3次検査に来たものの不安だという。逆に私はもうすこし不安をもって思慮深く行動した方がいいぞという感じだから「らくしょーっす!」などと話す。コーディネータも一緒に来た友達も笑っている。(^^;
今からが時間たつのが早いと思いますよ!>先生
 健康診断の結果はというと、少し貧血気味だという。といっても微妙に貧血かも知れないわ、という程度で、心配は全くない。I先生にも食事に気を付けるように言われただけであった。

「これで最後になりますね。次に登録できるのは1年後です。6年生では難しいかな?ま、医者になってまた会いましょう。頑張って!」というのがI先生の言葉。

「あなたに会えて良かった。これからも頑張って良いお医者さんになってね。またね!」がNコーディネータの言葉。

お二人には大変お世話になりました。どうもありがとうございました。1年後に再登録するのはたぶん決まりですが、次に会う時を楽しみにこれからも頑張ります。

ありがとうございました。m(__)m
※原作者のホームページは、こちらになります。

掲載されている文章・写真・図表などは、原作者の許諾を得て転載しております。 無断での転載を禁じます。

このサイトは、チーズとチーズケーキの専門店、オーダーチーズ・ドットコムと、フランス・ボルドーより、ビンテージワインの直輸入販売を行なうオールドビンテージ・ドットコム、フラワー電報のボックスフラワー電報により運営されております。