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ドナー体験記

[ 術前編 ] 4年ちょっと前(登録)

 骨髄バンクの登録を思い立つ。別に思うところがあった訳でも何でもなかったが、何となく「これはやらなくてはいけないことだ。」という、妙な義務感(?)みたいなものがあったことは憶えている。「アイバンクぐらい登録しとこっかな。」という程度は思っていたが、臓器提供意思表示カード(あの黄色いヤツね)なんてものもない時代だったし、何故そう思い立ったか今だによく解らない(そう言えば、祖母は死後に献体をしたが、それが影響を及ぼしたことはないと思う)。まだ、平日に予約を取らなくては登録できなかった時代で、「あぁ、何でこんな面倒臭いことをわざわざするんだろう…?」なんて思いつつ、有休をとって、赤十字病院に電話して予約をする。

 病院で説明を受け、「ビデオを見てください。」と、個室に連れていかれる。でも、ケンケンは血が思いっきり苦手(「なら何故登録する?」って言われそうだけど…)。ビデオも思いっきり早送りして、「見ました〜。」って、受け付けに戻ったら、「あら、早かったのね。」と看護婦さん(ギクッ!)。

 採血は、耳から小さい針みたいなもので、チクリとやるだけ(だったと思う。でも10cc採るんだよねぁ。憶え違いかなぁ・・・。)。意外と呆気なかった。でもやっぱり血を見て気持ち悪くなる(情けない)。「お好きなジュースでもどうぞ。」と看護婦さんに勧められるけど、「お気持ちだけ…。」と、ヨロヨロ帰宅する。

 この直後ぐらいに結婚したウチの旦那さん(世間では“妻”と呼ぶらしい)は、「何となくケンケンはそんなことをやりそうな感じだったから、何とも思わなかった。」と言っていた(理解があるのだか、興味がないのだか…)。

 話しはそれるが、ウチの旦那さんは古代エジプト狂だ。古代エジプト狂でなくてもそうなんだろうけど、アイバンクは“死後、目が見えなくなるからイヤ”らしい。その気持ち解らないでもない。でも、彼女は臓器提供意思表示カードは持っている。死後、臓器を“カノポス壷”に入れなくていいんだろうか。

 またまた話しはそれるが、古代エジプト人にとって脳はあまり重要な臓器ではなかったらしい。ミイラ作りのさいは、鼻孔から脳を掻き出して捨ててしまったらしい。つまり、ファラオは例え蘇ったとしても、頭のなかは空っぽで前世のことなんぞ何も憶えていないのである。
 閑話休題。
 骨髄移植は臓器移植とはぢぇんぢぇん違うので誤解のないように…。

4年前

 瀬戸市にあるデータセンターから登録完了の手紙を受け取る。
 何事もなく平和な日々が過ぎていく。たまに“骨髄バンクニュース”が届くことだけが、ドナーとしての自分を再認識させるだけ。涙もろいケンケンはよく“骨髄バンクニュース”を読んでは泣いていた…。

2年前

 引っ越しをした。“登録内容の変更は文書にて連絡”とあったので、住所変更の手紙を送ったけど、旧住所に“骨髄バンクニュース”が届き続ける。データセンターに電話をしたら、「新住所を再度ファックスで送ってください。」とのこと。まぁ、ファックスも文書だけどね…。
 その後は、新住所に届くようになった。めでたしめでたし。
 またもや、何事もなく平和な日々が過ぎていく。

4ヵ月と1日前

 頭を2針縫う怪我をする。痛み止めや破傷風予防の注射を打ってもらい、全治10日間のお墨付(!?)をもらう。破傷風の注射は、怪我の当日と、1ヵ月後、そして1年後に、合計3回も打たなければいけないらしい。はっきり言って、血も嫌いだが注射も嫌いだ。ついでに言うならば、ぜんざいとアーティチョーク(知ってる?)も嫌いだ。
 余談だが、怪我をしたとき仕事仲間は「大変、ケンケンが怪我した!」と叫び「誰か早くカメラ持ってきて!」と続けた。まぁ、ケンケンの人望はそんなもんである。さらに、病院に電話してくれた別の仲間は「頭が頭だけに、よく診てやってください。」と。それは言うなら「場所が頭だけに…。」だろっ!
 家に帰ってウチの旦那さんにコトの顛末を話そうと「今日、頭を2針も縫っちゃってさぁ…。」と言った瞬間大騒ぎ。一応心配してくれているらしい。

【妻の独り言:これ以上頭が薄くなったらどうしよう…。】

3ヵ月と5日前(HLA適合)

 A4サイズの封筒が財団から届く。骨髄バンクニュースは定型封筒で送られてくるし、何やら“重要”とか“親展”とかいうスタンプが押してある。「もしや。」と思って封筒を開けてみると、やはり、「HLA適合のお知らせ」だった(このHLAなるものが“白血球の血液型みたいなもの”と理解したのはだいぶ後の話しだが、とにかくとても重要なことだということぐらいは把握できていた)。

 不謹慎ながら、「やった〜っ!」と思ってしまった。ウチの旦那さんは、懸賞によく当たる人だが、ケンケンは恐ろしいほどにクジ運(?)が悪い。確率として“いつかはその機会が訪れるもの”とは認識していたが、「もしかしたらもうないかなぁ。」などと、勝手に思い込んでいただけに、心臓はバクバク。
 取り敢えず、提出書類を記入し、職場で受けた健康診断の結果や、前述の怪我で処方された薬の資料を送る。あ、そう言えば明日は破傷風の注射の日だ。どうしよう…。

3ヵ月と4日前

 朝一番でフリーダイヤル(東京事務局)に電話して、「1ヵ月前に頭を2針縫って、今日、破傷風の予防注射を打たなくっちゃいけないんだけど大丈夫かなぁ。」と相談をしたら、「1年間、登録を保留にします。よって今回のコーディネイトは終了させて頂きます。」と言われた(エッ!?)。どうやら、頭を縫うときに麻酔を打つことが“手術”と見なされ、そういった“手術”があった場合は自動的に登録保留になるらしい。自分の不注意から患者さんに迷惑を掛けた、という引け目でいっぱいの気分だった。これからは、健康に気を付けようと誓うケンケンであった。「じゃ、まぁ同じことか。」ということで、取り敢えず注射する。

2ヵ月と26日前

 骨髄移植なんてだいぶわすれていた頃に「採血(3次検査)のお知らせ」が届いてびっくり。翌日、初期コーディネーター(東海北陸地区事務局)のKさんから電話をもらう。すごく丁寧で感じの良さそうな人だった。
 頭の怪我と東京事務局とのやりとりのことを話すと、「専門医師と相談した結果、それは問題ないということになりました。」とのこと。どうやら東京事務局と東海北陸地区事務局の連絡が交錯したらしい…。ま、小さい組織じゃないし、患者のプライバシーを重んじると、こんな弊害が生まれるのは致し方のないことかな…。

2ヵ月と23日前

 「担当コーディネータのお知らせ」が郵便で正式に届くと同時に、頼んでおいた骨髄移植の推進ビデオ(宣伝ビデオっていうか、啓発ビデオっていうか…)が届く。ウチの旦那さんは「見たくない。」と言って、代わりにパンフレットを取り寄せていたが、早速“死亡保障”にチェックを入れていた。因みに死んだら1億円もらえるので借金は余裕で返せそうだ。

【妻の独り言:ま、1億円なら仕方ないね。】※1992年の(財)骨髄移植推進財団設立以来、3,264件(2001年3月現在)の移植手術において、死亡事故は1件もないので悪しからず。

2ヵ月と17日前(3次検査)

 某病院で3次検査(問診と40mlの血液採取)を受ける。ここで初めてKさん(上品で真面目で綺麗な人だった)と調整医師のY先生に会う。検査の前に、骨髄移植について詳しく説明を受け、意思確認が行われた。因みに、この“意思確認”は今後もしつこいほど繰り返される。手術の安全性(裏を返せば危険性)や弊害について、具体例や統計を挙げてとんとことんに説明してもらえる。このプロセスがないと、最終合意のあとに、「やっぱやめ!」とはいかない手術だし(患者さんが死に至ることもある)、術前のストレスや術後の諸症状に耐え切れない人には、早めに身を引いてもらったほうが、本人のためにも患者さんのためにもなるからだろう。

 KさんもY先生も、決して、「安全だから大丈夫ですよ。」とは言わない。あくまで、「ドナーにそのリスクを理解・納得してもらった上で同意してもらう」ということである。何も深く考えずに、「骨髄提供はいいことだからやろう。」と“お気楽極楽”してきた自分には、立ち止まってその意味をじっくり考えるいい機会だった。
 勿論すべてドナーに選定されるという前提で話しが進むのだが、3次検査からドナー選定に至るまでに、何らかの理由で調整終了となる人も少なくないことを知り、「もしかして自分はないかもな。」と、少し冷静になったりもした。

2ヵ月と8日前

 意外と早く血液検査の結果が届く。淋病・梅毒異常なし。勿論、HIVも陰性。たとえ憶えがなくてもこの手の検査は何故かドキドキするもの(イヤ、本当に潔白だってばぁ…)。
 実はHIVの検査は今回が初めてではない。アメリカ合衆国の教育機関は、伝染病の予防に厳しく、入学にHIVの検査を義務づけているところが殆どである。合衆国で2つの大学へ行ったケンケンは、当然ながら2回ほどこの検査を経験している(HIVは良かったが、結核で引っ掛かって、保健所への登録を義務づけられた)。

 これは、言ってみれば“原付バイクの試験”みたいなもので、「落ちるわけがないだろ。」と余裕ぶっていても、発表直前になるとやっぱりドキドキしてしまう。でも、結果が解るや否や、手のひらを返して、「あったり前でしょ。」とまた強気になる。…これが、世の男性のこの手の病気に対する検査結果の反応だろう(だから、本当に潔白だってばぁ…)。
 肝炎などその他の数値も問題なし。

1ヵ月と12日前(ドナー選定)

 速達が届く。かなり薄っぺらい。「これは選定漏れだな。」と直感した。震える手で封筒を開けると“ドナー選定のお知らせ”だった(ケンケンの直感はたいしたもんではないらしい…)。またもや不謹慎ながら、「やった〜っ!」と思ってしまった。もう少し冷静になれば、「人(他人とは呼びたくないが)の生命をかけた闘病生活に足を突っ込むのに“嬉しい”はないだろう。」と解るはずなのだが、やっぱり正直嬉しかった。何でだろう…、やっぱりケンケンは偽善者か?

 患者さんの都合で、手術の時期(約3週間の幅)が指定される。骨髄バンクではこういった日程調整を“ピンポイント”と呼ぶらしいが、何となく湾岸戦争の攻撃方法を思い出してあまり好きになれない。自分のスケジュールと照らし合わせると、おのずと日程が決まる(3週のうち最初の週)。普通は3次検査を受けてから骨髄採取まで、早くて3ヵ月、平均5〜6ヵ月ほどかかるらしいが、何とケンケンは2ヵ月チョット。でも、あれこれと気を揉みながら半年近くを過ごすよりも、トントン拍子でコトが進むので気がラクかもしれない(「ヤるなら、とっととヤってくれ!」という気分)。
 病院は日程から探していくと、自宅から無茶苦茶遠い○○病院というところしかない。けど、患者さんのことを考えると我が侭を言えるはずもない。家から1時間半は掛かりそうだ。

1ヵ月と11日前

 電話にて最終合意の打ち合わせをするけど、最終合意には、本人、家族(ウチの旦那さん)、コーディネーターのKさん、調整医師のY先生、立会人となる弁護士の5人が揃わなくてはいけないので、結構日程が合わせにくい。特にわが家は、夫婦共働きで、もともと休みもバラバラなので余計だ。結局、平日の夕方を候補にしてもらう。

1ヵ月と10日前

 こちらの予定を事務局にファックス。調整の結果、5日後に最終合意と決定する。

1ヵ月と9日前

 最終合意のお知らせが速達で届く。結構、郵便代もバカにならないよね。「電話やファックスでもいいのに…。」って思うんだけど、そういう訳にもいかないのも解る。海外のドナー提供はもっとスピーディーらしいが、最終同意と一緒で、日本では日本なりのやり方でないと上手くいかないんだろうな…。

1ヵ月と5日前

 生憎ながら大型台風が接近とのこと。直前にキャンセルをお願いした。でも、結果的に台風は愛知県の直撃を避け、被害は最小限に…。予想できなかったこととはいえ、ご免なさい。弁護士の相談料とか払ってんだよねぇ、きっと…。

1ヵ月と4日前(最終合意)

 ケンケンと、ウチの旦那さん、Kさん、Y先生、立会人の5人で、もう一度、骨髄移植について詳しく説明を受ける。決して移植をすすめるような発言はせず、「あなたご自身の判断です。」と言い切る。ウチの旦那さんにも、「ここで今すぐ結論を出さなくてもいいですよ。」とか、「患者さんの負担は“最終合意の判断材料(誤解のないように)”ではないですよ。」と、結論を急がせるようなことはしない(患者さんのことを考えると急ぐにこしたことはないっていうことは明らかなんだけどね)。「ねぇ、もしかしたらみんなで手術をやめさせようとしているの?」ってぐらいの慎重さでこっちが戸惑ってしまうぐらい…。

 ウチの旦那さんも最初は心配していたけど、最終的には、「これで何かあったらそりゃ“事故”だね。」と納得(?)したらしい(そう、確率的には、高速道路走ってるほうが危険じゃないかしらん、という感じ…)。ウチの旦那さんによる保険の補償内容チェックの後(さすがウチの旦那さん!)、夫婦で合意書に署名と捺印して、めでたく“まな板の鯉”になったケンケンであった。

 何回かの通院と、3泊4日の入院、数日間の回復期間を考えると、骨髄移植は決して独りではできないこと。勿論、財団、コーディネーター、調整医師、採取医師、看護婦さんなど、多くのエキスパートに支えられての移植ではあるが、家族の協力も不可欠だ。ウチの旦那さんが今回の移植を理解してくれたのは、本当に嬉しかった

【妻の独り言:どうせケンケンに何言ってもムダ、って諦めていた。】

1ヵ月と1日前

 健康診断のご案内と骨髄採取ならびに採取予定日のご案内が届く。中には丁字帯(早い話しがフンドシだね)が入っていた。一体何に使うんだろう。ドキドキしてしまう。

ちょうど1ヵ月前

 これではいけないと思い、インターネットで骨髄バンクのホームページを検索して勉強する。丁字帯はやっぱりフンドシとして利用するらしい。でも(見栄じゃなくて)これじゃぁはみ出るんじゃないか、と思うぐらい小さく薄い。この大きさで大丈夫と決めたヤツはどこのどいつだ?

 骨髄バンクのホームページには、たくさんのドナー体験者が紹介/リンクされていてとても参考になった。えてしてドナー体験者はネアカな人が多いようだ。確かに、「どうしよう?」なんて悩んでいる人に骨髄提供はおすすめできない。何も考えずに(?)、「よっしゃぁ、今から病院いくかぁ。」っていうくらいの人のほうが勢いがあっていいんだろうな。でも、きっとみんな多少の不安なんかがあったりするんだろうけど、わざと隠しているんだろうなぁ、と思ったりもした(いや、それともみんな本当に“へっちゃら”だったんだろうか)。小心者のケンケンは敬服するのみ…。

29日前(健康診断)

 健康診断を受ける。○○病院は1時間半ばかりか(待ち時間を含めて)2時間近く掛かる遠さだった。慣れればもう少し早く着けそうだが、往復時間の暇つぶし品は必需品となりそうだ。コーディネーターのKさんと待ち合わせの上、採取担当医のS先生に初めて会う。優しそうな先生で解らないことも親切に説明してくれるので取り敢えず一安心。

 骨髄液提供先の患者さんは△△地方の□□歳代の男性で、まとまった量を必要とするため、ケンケンも術後の貧血に備え“自己血輸血”の準備として、800mlの血液を9月上旬に2回に分けて行うことになりました。ケンケンは40mlの採血で気を失いかけた超軟弱者です。20回の失神に値する800ml採血に耐えうるか…。でも、あとにはひけない。けど、気はひける。

 まず血圧を測ってから簡単な問診。あとは定番の健康診断コース。尿、採血、心電図、肺機能、レントゲン(胸部1枚)、入院説明で、アッという間だった(Kさんがあれこれと段取りを取ってくれたので、ツアーコンダクターに連れられて観光でもしている気分だった)。
採血と同時に、耳を針でプスリとやって血が固まるまでどれだけ時間が掛かるか、という検査をやった。このプスリが意外とジンジンして痛い。採血したり放血したり、中世の冩血でもやられている気分だ。
心電図では違う名前が呼ばれてヒヤリ。これがもっと致命的な検査だったら、と思うとゾッとした(お医者さんの勘違いだったんだけどね)。
肺機能検査では、紙の筒をくわえて、思いっきり息を吸ったり吐いたりするんだけど、これが猛烈に苦しい。「はい、吐いて、吐いて、吐いて〜。まだまだ吐ける〜っ!」と、もう肋骨が縮むぐらい頑張らされたかと思うと、「はい、吸って、吸って、吸って〜。まだまだ吸える〜っ!」と、もう肺が破裂するぐらい頑張らされる。と、これを2セット(小学校から大学まで水泳をやっていたせいか成績は優秀だった)。終わると、こころなしか胸が痛い(恋煩いかしら?)。
外で待っていたKさんが、「廊下まで『吐いて〜』とか『吸って〜』って大声が聞こえてきました。」と驚いていた。分娩室前でドキドキしているお父さんの気分だったんだろうか…(失礼)。
レントゲンでは、「男前に撮ってくださいね。」という定番おやじギャグを言う前に撮り終わってしまった(悔しい!)。

 帰りはKさんとバスの中でお喋り。今までゆっくりお話しをする機会がなかったので、打ち解けることができてよかったよかった。ケンケンはこれまた余計なことをベラベラと喋りすぎたようで、「普通の方と思っていましたが、こんな変な方とは…。」と最後に一言。え、それってケンケンのこと?
 お医者さんは、「普通の生活をしてください。」とは言うものの、その晩は取り敢えず、レバーとほうれん草の炒め物なんぞ食べてみる。“普通の生活”はとても難しい。いっそ、「1日1回200mlの牛乳を飲んでください。」と言われたほうがよっぽど気が楽だ。

28日前

 体がだるい。耳に穴を開けられたのもズキズキする。少し気も沈んでいる。何かおかしい…。

27日前

 今日は、白血病などで骨髄移植を待つ患者さんのHPを探してみた。そして、自分がこうしている間にも、患者さんは抗ガン剤を飲み、放射線治療を受け、痛みに耐えながら病気と闘っていることを知り、自己嫌悪。今まで、「初めての入院でワクワクしています。」なんて無神経な発言をしていた自分を恥ずかしく思った。骨髄移植に最後の望みを託している患者さんがいることを忘れてはいけない…。

26日前

 どうやら情緒不安定らしい。家族にも迷惑を掛けている。しばらく別のことを考えることにする。

20日前

 コーディネーターのKさんから明日の採血について確認の電話があった。結構マメに電話するのも大変だろなぁ…。

21日前(採血1回目)

 今日は自己血輸血のための採血。手術当日の貧血を防ぐために、あらかじめ400mlの血を抜いておくとのこと。再び2時間掛けて○○病院へ。
 ○○病院はかなり大きな病院で、午前中の外来は勿論、午後の予約診療もかなりの込み具合だが、「骨髄ドナーのケンケンと申しますが…。」と申し出ると、比較的早く対応してくれた(他の患者さん、ご免なさい)。そう言えば、アメリカの病院は完全予約制で待ち時間ゼロだったけど、国民保険がないので、任意で保険に入っていないとのたれ死にする。医療費も中途半端じゃなく高い。どっちのシステムがいいのか難しいねぇ。

 生まれて初めての多量(?)採血でドキドキしていたが、S先生も看護婦さんもとても親切に救われた気分だった。看護婦さんの娘さんが音楽の道を目指してているらしく、そんな話しで盛り上がったりなんかもしてしまった。何はともあれベッドに横になり、S先生自ら太い針で右腕にグサリ。ベッド(落差)が低くて血の出が悪く、途中、S先生に腕をモミモミしてもらったが、失神もせず無事終了。献血と違って、ヤクルトはもらえなかったが、そのあと30分ほどそのまま休憩させてもらった。K先生が「患者さんの体重を基にもう一度計算した結果、今回の採血だけで大丈夫そうです。」とのこと。遠くまで来るのはやぶさかではなかったけど、採血が1回で済みそうなのには正直ホッとした。

 多少、フラフラしたけど、寄り道なんぞもしながら家にたどり着く。「なんだ400mlなんてたいしたことないじゃん。」と急に強気になりたかったとこだが、夕飯の支度をしていると立っているのが辛い。やっぱり献血は無理かなぁ、と軟弱者のケンケンであった…。
 夜に再びKさんより電話があった。あとは入院にむかってまっしぐらだ!

20日前

 多少辛かったけど無事1日をクリア。何とか大丈夫そうだ。

14日前

 本来ならば、自己血採血2回目の予定だった日。だいぶ骨髄移植馴れ(!?)してきた。いちいちしょうもないことに驚いたり不安がらなくなってきた(飽きてきた、という噂もあるが…)。食事のバランスに気を付け、運動も程よくこなし、お酒も控えて、車は安全運転に心掛ける。何のことはない普通の暮らしだ…。でも、その“普通の暮らし”がケンケンには辛いよぉ。不摂生な暮らしが懐かしい。でもあとたったの2週間だし、気力で頑張ろう(そういう問題か?)!

3日前

 連休に突入するため、仕事の段取りに忙しい。コンサートを1つ人に任せるだけで、結構ややこしかったりする(ま、得てしてこういううことは、本人が心配しなくても上手くまわっていくものだけど…)。幸い仲間はみんな協力的で気がラクである(っていうか、ケンケンがいないほうが羽根が伸びる!?)。でも、みんなが親切にしてくれるのも今日までか!?

 ウチの旦那さんも有休をとったらしい。何だかんだ言って家族はとても頼れるので嬉しい。
 “普通の暮らし”には程遠く、風邪もひいていないのにマスクなんかしちゃったりして「大袈裟かな?」と思いつつも、しょうもない病気で手術が中止になったりしたら患者さんの身が…、なんて考えると1日前に賞味期限が切れた牛乳すら飲めない(え、普通は飲まないって!?)。

1日前

 ごくごく普通に過ごす。
 入院に備えてウチの旦那さんが荷物をまとめる(ケンケンはハッキリいって旅行気分)。パジャマ、着替えに、タオル、歯ブラシ…、必要な物は骨髄バンクや病院が教えてくれる。後は、暇つぶし用の本、単語帳、そしてノート型マックとCDを持って準備OK。

 午前中は家庭菜園で大根と小松菜の種を蒔いて、午後からは織田裕二の「ホワイトアウト」をレンタルビデオで見る(ストーリーはなかなか良かったけど、キャスティングが弱かったかな…)。夕方、実家に行って食事をする。夜、ビデオを返しに行ったついでにまたもう1本借りてしまった。11時頃から「U-571」を見始める。これもなかなか面白かった。

 と、ここまでは平凡な1日だったんだけど、夜中に突然旦那さんが「頭が痛い〜。熱がある〜。気持ち悪い〜。」の3段攻撃。どうやら風邪をひいたらしい。脅したりすかしたりして(!?)なんとか持ち応えたものの、やっと落ち着いて寝付いたのは3時過ぎだった。

【妻の独り言:あまりもの辛さにウンウン唸っていたら「移るといけないからあっち行って。」だって。ごもっともだけど悲しい、グスン。】

[ 入院編 ] 入院

 朝6時に起床、のつもりだったが朝7時に目覚ましに起こされる。準備は昨日のうちに済んでいるので、早速、電車とバスでエッサホイサと2時間掛けて病院へ。正直言って、無事に入院できたことが嬉しかった。変な表現だけど“肩の荷が降りた”気分。とあるドナー体験者が「『やっと入院できたぁ。』という気分になる。」と言っていたのが良く解った。入院するケンケンより病人の相がでているウチの旦那さんも“荷物持ち”で付いてくる(イイ気分だ)が、電車の中でもバスの中でもスヤスヤ寝ている。本当に病気か、こいつは?

 予定より20分早く、9時40分に到着。入院受付と内科受付を済ませて内科の処置室へ。入院患者さんによっては血液検査とかレントゲンがあるらしいが、ケンケンはとくに何もないらしく、取り敢えず“待ち”。どうせ病室へ行っても待つことくらいしかないだろうし、お利口さんにしていよう(ちょっと早く来ちゃったし、看護婦さんもメチャクチャ忙しそうだし…)。
 待つこと小1時間。どうも様子がおかしい。他にも待たされている患者さんがいたらしく、看護婦さんに声を掛けている。それによるとこの病院では、その日の入院患者がそろわないと病棟へは連れて行ってもらえないらしく、1人の遅刻患者さんのために残り全員が足止め。奥のほうで看護婦さんが「この患者さんはそのまま上がってもらえばいいんだよねぇ。」なんて言っているのが聞こえるのだが、どうにもならないらしい(大病院っていうのもなかなか大変だね…)。団体行動を乱されたツアー観光客や共同責任を問われた修学旅行生の気分だ。ウチの旦那さんは待合のソファーで口を開けて爆睡。

 ようやく11時頃に病室へ案内される。6階の2人部屋を1人で使わせてもらえる(隣は今日移植手術を受けたばかりの女の子らしい。可愛そうにしょっちゅう「痛いよ〜、痛いよ〜。」と泣いている)。看護婦さんは「古い病棟で悪いねぇ。」と言っていたが、なかなか清潔で設備の整った病棟だ。窓からの景色はすごく良い。テレビは無駄に時間を過ごしてしまいそうなので撤去してもうら。看護婦さんがアレコレ説明している間に昼食に。食事は常食だ(ごはん、うどん、卵焼き、漬け物)。味はなかなか、腹は八分目。ウチの旦那さんはおにぎりを買ってきてパクついた後、ケンケンのベッドでお昼寝タイム。

 12時55分、担当してくれる看護婦のsさんが来て、体温、脈、血圧を測る。「1人部屋だと患者さんの負担が大きくなるのでは?」と聞いてみたところ、術前後の処置があるから1人部屋になることが多いとのこと。こちらは有難いけど、患者さんに何となく申し分けない。

 1時頃、お隣に“ベッド難民”がやって来る。同じ名字なので看護婦さんがちょっと混乱。こういうときに医療ミスが起こったりするんだろうか。注意、注意…。

 1時10分、担当医のS先生が来室。「何も心配することはありません。」とだけ言って帰っていっちゃったけど、そうしてくれるだけでもだいぶ気持ちが和らぐ。明日は850ccの骨髄液(ケンケンの体重57kgに対する最大値?)を採取するらしい。

 1時15分、S先生が手術の同意書を持って再びやってきた。これからのスケジュールや手術の手順などを簡単に教えてくれる。自分は麻酔が掛かって何も知らないとはいえ、どういう状態に“さらされる”かはやはり知りたい。陰毛は剃らなくていいとか、導尿カテーテルを抜くときは痛いとか、しょうもない話しかもしれないけど、何も説明がないよりはいい。

 1時20分、看護婦のsさんから入院生活の細かい説明。再度採血(そろそろ血にも馴れてきた)。おしりの毛をチェックしてもらい、剃毛不要とのこと(は〜っ)。sさん曰く「お互いのためにも良かったネ。」問診表を渡されたが、これが結構細かいところまで聞いてくる。宗教とか(不慮の事故に備えてか?)、頼りになる人はいますかとか(「妻」と書くしかないだろ、目の前にいるし…)、入院して困ることはありますかとか(そりゃ、ない人はまずないでしょ)。

 3時5分、麻酔科のF先生が来る。20代(?)の美女風(身分証の写真はかなり綺麗だった)。簡単な問診と説明がある。今夜9時から絶飲食とのこと。
 この長いやりとりの間、ウチの旦那さんはいつのまにかベッドの2/3を占拠。靴下まで脱いでガーコガーコと爆睡。

 4時15分、お隣の“ベッド難民”が移動。ウチの旦那さんやっと目が覚める。

 4時25分、病院探検…、と言っても5分で終わる。1階には売店(ビデオレンタルも!)、理髪店、お洒落な喫茶店がある。院外には鉄工場意外何もない。

 5時20分、コーディネーターのKさんが来る。色々と気遣いが絶えない人で、人柄と信念がないとできない仕事だなぁ、と実感。

 5時40分、夕食(常食)。少々上げ底にだまされたが、ケンケン好みのおかずばかりでラッキー。食後にちょっとだけ散歩したが、風邪をひいてはいけないので早々に部屋に戻る。

 6時15分、ウチの旦那さんが帰宅。一体何しに来たのだろう…、と思ってはいけない。きっと家に帰ったら直ぐ寝るんだろう【妻の独り言:早速帰りのバスの中で寝ましたがな】。英単語でも憶えようとし始めると今度はこっちがウトウト。でも救急車がよく通るので(そう、ここは病院だった)なかなか眠りが浅い。正面がナースステーションということもあって、なかなか“活気付いた”音が聞こえてくる。朝の魚市場みたいだ。

 7時10分、看護婦さんが巡回してきた。
 9時00分、消灯。だがこんな時間では寝られるはずもない。相変わらずナースステーションの喧騒は止まない。結局、寝たのは11時30分頃だった。夜中の3時くらいに看護婦さんがお部屋をチェックしにきた。

手術

 6時起床、1日はいきなり「採血しま〜す。」の一声で始まった。テーブルの上に置いてある英単語帳を見て「学生さん?」と聞かれてしまった(確かに去年までは学生だったけど)。絶飲食で喉が乾く。歯は磨いてもOKとのこと。緊張のためか便も兎糞(とふん)だった。

 7時55分に、ウチの旦那さんに電話する。今度会うのは術後だ。
 8時00分には手術衣に着替え待機。浴衣とT字帯は術後に付けるらしい。一応“勝負パンツ”(!?)でもはいておこう。眼鏡と指輪をはずし準備万端。

 8時15分、足に名前の書かれた輪っかを付けられる(乳牛になった気分だ)。検温、血圧・脈を測る。タンと胃酸と動悸を抑える筋肉注射を腕に打つ(「腕とおしりとどっちがいいですか。」と聞かれ「そりゃおしりでしょ。」と答える前に「やっぱり腕ですよね。」と言われた(残念?)。「少し眠くなりますから、寝ちゃってもいいですよ。」と言われたけど、気配まったくなし。麻酔が効かなかったらどうしよう(酒呑みにはたまにあるって本当かな?)。

 8時25分、再び、検温、血圧・脈を測る。変化なし。ほんとに効いているのかしらん(言われてみれば何となくそうなのかなぁという程度)。

 8時35分、ベッドに乗せられたまま病室を出る。広い病院なのでだんだん車酔いしてきそう。看護婦さん皆に「偉いね〜、こんなこと普通は出来ないよ。」と言われるが、別に何とも思っていないので返事のしようがない。きっと医療現場をよく知っている人には出来ないことなんだろうな…。

 8時40分、手術室へ到着。壁は緑色(血に対する補色効果か?)、音楽も流れている。
昨日の麻酔科の美女風F先生はマスクをしていても直ぐ解る。マスクと目の周りの化粧がアラビア女性を思わせる。
心電図や酸素濃度の配線(!?)をあちこちに付けられる。点滴を取ろうとするが、緊張のため、血管が縮み上がってウマいこといかないらしい。「緊張するなっていうほうが無理でしょう。」って言ったら「そりゃそうだね。」と手術室に笑い声が。思ったより空気は張りつめていなかった(小さい手術だからか、緊張をほぐすためか…)。
左手は失敗。ようやく右手で成功したが、麻酔科のもう1人の先生が「本当に大丈夫か。」といってさらにグイグイ押し込んで猛烈に痛い。
そのあと、酸素マスクをされる(点滴ルートからではなく呼吸ルートからの麻酔らしい)。
「それじゃぁ、麻酔に切り替えるからだんだん眠くなりますようようようょぅょぅょぅ。」と後半がエコーが掛かったかと思うと頭がフワっとなってアッっという間に通信不能(約3秒!さすが日本の医学界はスゴイ)。
恐らく8時50分頃。もうちょっと手術室を見学したかったなぁ。

 夢は見なかったが、起きる寸前に何かに追われている感じがした(ような気がする)。麻酔科の先生の話によると、注入する薬によって夢を見たり見なかったりするらしい。ケンケンどうやら後者のようだ。「終わりましたよ。大丈夫ですか。」と大声で起こされる。どうやらオペ準備室のようだ。 朝早く起こされて、また寝かされて、さらに起こされる。どっちかにしてくれ(なんてね)。

 11時15分、病室に戻ってくる。既に仰向けだ。ウチの旦那さんによると、意識は相当朦朧としていたらしい。血圧はOK。体温が低いので足下に湯たんぽを入れる。酸素をマスクで注入。その後、定期的に検温、血圧・酸素濃度をチェック。途中で酸素マスクが鼻に取り付けるチューブに変わる。導尿カテーテルが気持ち悪い。トイレに行きたいような行きたくないような…。腰は文句なしに痛い(けど普通の痛さかな?)。

 しばらくするとS先生が来室。そのときはハッキリ受け応えしたらしいけど、今となってはうろ憶えなので以下は後でウチの旦那さんに聞いた話し。

【妻の独り言:特別編】
「終わりましたよ、御苦労様です。」と先生が声を掛けると、
ケンケンは頭を少しもたげ弱々しい声で「骨髄液は?」
「向こうの主治医の先生が直ぐに持って行ったから大丈夫ですよ。」
「ウン…、(患者さん)治るといいね。」
ケンケンはニコッとするとそのままクタッと眠りについた。
先生も「そうですね。」と噛み締めるように応えた。
ジーンと涙が…(っていうか他人より自分の心配しろよって感じ)。

 う〜ん、感動的だ。このやりとりを後から聞いて、我ながらホロリときてしまった。偽善者も楽じゃないねぇ…。

 1時頃(ここら辺は時間の感覚がまったくない)、コーディネーターのKさんが来る。半分眠っていたので、ウチの旦那さんが対応。術後のアンケートを託される。また寝る。
 2時頃、S先生が再び来室。このときもハッキリ受け応えしたらしいけど、やっぱりうろ憶え。無意識のうちに、先生に健康ぶりをアピールしようとしていたらしい。

 4時00分(自分ではまだお昼頃と思っていた)、だいぶまともに反応できるようになった。
S先生が来室。「今頃、相手の患者さんも骨髄液の注入やってる頃かなぁ。」なんて話しをしていたと思う。だいぶまともになってきたと判断されたか、導尿カテーテルを抜いてもいいと許可が出る。
若くて可愛い看護婦さんにカテーテルを抜いてもらうことに…(今回の入院のクライマックスだ)。しばらくすると看護婦さんが「抜きま〜す!」と言って元気よく部屋に入ってきたので一瞬ドキっとしてしまった…。で、やおら看護婦さんがウチの旦那さんに「外してもらったほうがいいかな。」と言うので、2人で「素人にそんなんやらせるんかい。」とビックリしていたら「席を外してもらったほうがいいかな。」ということだったらしく納得。ウチの旦那さんはどんな風に抜かれるか見てみたかったらしく渋々(?)退室。2人きりの個室で、痛みに縮み上がっている可哀想な下半身をさらされて、何気に「骨髄提供するなんて立派ですよね〜。」なんて話しをしながら、油断しているところを突然一気にズルズルっと抜かれる。看護婦さん曰くそのほうが痛くないらしいが、いやそれでも猛烈に痛い(恥ずかしさなんてまるでなし、おじさんになってきた証拠かしらん)。少し尿が漏れたようだが取り敢えず一安心。
微熱が続く37.5度。輸血(自己血)も終了。

 4時30分頃、起き上がって職場に電話。点滴のパックをぶらさげた棒(!?)を、ウチの旦那さんに持ってもらうその様子が、大名行列の旗持ちみたいでおかしかった。ついでにトイレにも行ってみるが、猛烈に痛くて排尿どころの騒ぎではない(腰の痛みなんか比べものにならない)。あきらめる。

 5時30分頃、夕食をちょっと頑張って全部平らげる(点滴から解放されるかな)。

 6時頃、S先生が来る。点滴も早々と終了(やった!)。
そう言えば今まで読んだ体験録には“鉄剤の服用”、“体調調整のため手術2日前に入院”、“術前の蓄尿や尿検査”、“浣腸(!)”、“抗生物質・解熱剤・鎮痛剤の点滴や注射”とか色々あったけど、S先生はドナーの負担をなるべく減らしてくれるので嬉しい(相手の患者さんの経済負担も軽くなるし一石二鳥)。
しかし、この点滴針を抜くのもまた痛かった、長さ4cmぐらいの爪楊枝ほどの太さのナイロン針が腕から出てきたときは思わず「ウゲッ!」と呻いてしまった。幸い内出血はない。

 相手の患者さんもそろそろ骨髄液の注入が終わる頃らしい。拒絶反応がでるのは約2週間後。場合によってはケンケンのリンパ球が必要になる。頑張って“健康ぶり”をアピールした甲斐あって、明日退院してもOKとのこと。
早速、骨髄バンクに「明日退院します。」と連絡すると、直ぐに折り返しコーディネーターのKさんから電話。明日は他のコーディネートが入っていて来れないので申し訳ありませんとのこと。コーディネーターも大変だ…。ケンケンの入院費は相手の患者さんが負担するので、早く退院するにこしたことはない。

 7時15分、ウチの旦那さん帰宅。少し寝る。
 8時30分、実家と友達何人かに電話。
 9時00分、消灯。夜中、何度もトイレに行く。猛烈に痛い。トイレで何度もうずくまってしまった。隣りで80歳くらいのお爺ちゃんが尿瓶に景気よくほとばしらせている音を聞くと何とも羨ましくなる。

 寝がえりもなかなかうてない。でも比較的よく寝れたと思う。そういえば浴衣もT字帯も使わなかったなぁ。っていうか、知らない間に下着を脱がされて、知らない間にまた履かされていたんだよなぁ。「麻酔科のF先生だったら幸せ…。」などとアホなことを考えつつ夢の世界へ…。

退院(1日後)

 7時00分、採血。この頃には看護婦さんが採血の“さ”の字を言うだけで、パブロフの犬のように無意識のうちに左手を出して採血の姿勢(?)になっている。これからは頑張って献血もしよっかなぁ…(相変わらず血を見ると気分が悪くなるけど)。

 7時45分、S先生が来室。右足の踵が正座をしたときのように痺れている。感覚もあるのだがちょっと違和感がある。腰は移動するとき(とくに座った状態でずらすとき)に痛い。排尿の痛みは相変わらず。先生は「1〜2日間はチカチカってするよ。」と言っていたがそんなもんではない。勿論個人差ということだろうが、どうやらケンケンは痛む人の部類に属していたらしい。傷口も確認。月曜日頃から湯船に入っても良いとのこと。手術中、無意識のうちに下唇をかんでいたらしく、ズキズキ痛む。

 7時55分、腰のガーゼをはずして絆創膏を貼る。穴は2ヶ所。左側がひどく出血していたらしい。
 8時00分、最後の朝食。ご飯、味噌汁、焼き魚、海苔、タクアン。やっぱ日本人はこれでしょう。
 8時30分、看護婦さんの勤務交代。やっと退院できる。薬と診察券をもらい、2週間後に外来診察の予約をする。

 10時20分、道が相当混んでいたらしい、ウチの旦那さん車で登場。会計も何もないのであっけない退院。ナースステーションに顔を出すけどみんな忙しそう。受付にいた人に声を掛けてひっそり退院。
 10時40分頃、珈琲を一杯やってから、出発。

 12時頃、実家にちょこっと寄ってから夕飯の買い物もついでに行ってみる。ゆるい坂道すら上れないが、何故か階段は大丈夫。但し片足ずつしか進めないので速度は滅茶苦茶遅い。やっとこさ帰宅して昼食。腰をずらそうとすると激痛が走る。微熱36.8度。喉(リンパ腺?)が少し腫れている。右足の痺れが酷くなってきた。よく足を見るとみなれない傷が。術中にどこかぶつけたのかもしれない。でも原因が解っただけ安心する。排尿の痛みも相変わらず激痛。頭も少し痛い。

 4時頃、微熱37.2度。右足全体が痺れてきた。腰の絆創膏を交換すると出血跡があった。腰と排尿の痛みはだいぶ減った。
 試しにピアノを弾いてみたが、特に問題はない。ただ早いパッセージを連続して弾くと、右手の点滴跡が痛む。オクターブのユニゾンをフォルテで弾くのもちょっとツラい。練習はもう少し後にしよう。夜は久しぶりのビールを満喫。

 寝る前に絆創膏を交換したら、また出血していた。

[ 術後編 ] 2日後

 昼まで寝ている。だいぶ身体がラクになった。痺れも足先だけに戻った。やはり骨髄提供は3泊4日がスタンダードな理由がよ〜く解った。無理はするものではない。朝一の排尿は相変わらず痛い。リンパ腺の腫れはだいぶひいたようだ。

 歩行もかなり自由になったので、調子に乗ってウチの旦那さんと外出。個人差も当然あるだろうけど、そこで気付いたのは…

(1)柔らかい椅子は、傷口を引っ張って痛い。車の椅子なんかはすごく座りにくい。
(2)階段の昇降は以外にラク(特に降りる方ラク)。坂道がツラい(特に昇る方がツラい)。
(3)下にあるものを拾うときは、前に屈むより、膝を曲げて座り込む方がラク。
(4)排尿は量が多いとラク。間隔が開くとツラい。
(5)長時間(30分以上)動き回ると、疲れるし熱も出てくる。
(6)急な動きは絶対無理。車の運転も急ブレーキが踏めなさそうなのでやめるべし。
(7)そういやぁ、貧血の類いは術後一切なかった(ケンケンは850cc採取して400cc輸血・約700cc点滴をした)。
(8)声が思ったより出ない。リンパ腺が腫れているせいか?

 …が、途中で痺れが両足に拡がって歩きにくくなる。気の持ちようだろうが、右手の関節も心なしか痛い。疲れやすいのは麻酔が残っているせいか、それともたんなる運動不足か解らない。帰って熱を測ると37.1度。リンパ腺も触ると痛い。もしかしたら風邪でもひいたのかもしれない。ちょっとはしゃぎ過ぎたようだ(そりゃそうだ、本来ならば退院するべき日なのに)。

 夜、コーディネーターのKさんから電話。足の痺れを報告すると、とても心配してくれるのでかえって恐縮…。熱は36.7度。
 腰の絆創膏をチェックするとまた出血しているものの、殆どが膿だった。

3日後

 朝、熱は36.1度。腰の絆創膏にまだ血が付くが、痛みはだいぶひいた。少し痒く感じるのは治ってきた証拠か。排尿はもう大丈夫そうだ。足の痺れは少し残るがたいしたことはない。唇の傷が口内炎になって痛い。

 そろそろ仕事のことが気になり始めるが、家でおとなしくしている。友達からお見舞いメールがたくさん届いている(感謝)。
 ところで他のドナー体験者のホームページを読んでみると、登場してくるコーディネーターは“Kさん”が多い。もしかしたら骨髄バンクのコーディネーターはすべてKというコードネームが与えられるのでは、なんて思ってしまった(骨髄のKとかね…)。それともKという頭文字の人しか採用されないとか…。

 夕方ほんの少し散歩した。帰って傷口を見ると左側がほんの少し出血(しまった、Kさんに怒られる!)。足の痺れらしきものは、どちらかといえば筋肉痛なのかもしれない。そう言えば、手術室でも「すごく緊張してるね。」って言われてたし、麻酔から覚めた直後は寒さでひどく震えていたので、それが筋肉痛として残ったのかもしれない(オナラがよくでるのは筋肉痛のせいか?)。痛み止めの頓服薬ももらっていたが使う気にはならない。Kさんが心配して夜電話をくれた(余計なことを言って、変な心配掛けてゴ免なさい)。

 夜、ウチの旦那さんに傷口を消毒してもらう際に「左側の傷は塞がっていないし、少し周りが腫れている。」と指摘された。熱は36.5度。

 【妻の独り言:やっぱり骨髄提供は独りではできない。私がいなきゃ誰が絆創膏を貼るの?】

4日後

 朝、熱は35.9度。腰痛は殆どない(起きあがるのが少々不便なぐらい)。左側の傷口もわずかに出血しているが、だいぶ治りかけているらしく痒みすら感じる。退院後、初めて車を運転するが、バックをしようと後ろを振り返ると傷口が引っ張られて痛む(車庫入れはウチの旦那さんにしてもらう)。でも、他人が運転するより道路の凹凸を予測しやすくある意味ラクかもしれない。夕方から雨が降り始めると、右足が段々痛くなってくる。

 夜シャワーをあびるときに左側の傷口を見るとまた少し出血。内出血もあるようで、左側が傷口中心に直径5cmほどに腫れ上がっていて触ると痛い。また、これは初めて気付いたが、筋肉注射の跡か、左上腕に手のひら大の黄色い痣(?)ができている。触るとほんの少し感覚が鈍い。夜、ベッドで横になっていると右足が猛烈に痛み始めるが、痛み止めは飲まずビール(百薬の長)を飲んで寝る。余談だけど腰痛と違って“くしゃみ”は腰に響かない。

5日後

 傷口の出血なし。寝起きもだいぶラクになった。口内炎も治ってきた。1人で車を運転するがまぁまぁの調子だ(勿論、大名行列を成していたが…)。シートが深いせいか乗り降りだけが少々辛い。車庫入れも自分でできる。
 左上腕の痣は相変わらず(というか少し酷くなったかも)。肉が固くなってきた気もする(塩コショウして良く揉むべきか)。午後からレッスン生が来るが、久しぶりに人と話をして、声が出にくくなっているのに気付いた(リンパ腺の腫れはひいているのに…)。熱は36.6度。

 夜、お風呂で湯船に浸かってみる。絆創膏をはずしていたので「傷口からボコボコッと空気が漏れて足先に水でも溜まるかな。」なんてアホなことを考えながらソッと浸かってみるがとくに問題はない。血がめぐって患部が赤くなってきたので3分ほどで上がる。左側の傷口からほんの少し出血していたが、腫れはだいぶひいている。右側はカサブタになりかけている。そろそろ絆創膏による“かぶれ”みたいものも気になり始める。絆創膏を貼らない方が治りも早いし、皮がつらないので痛みが少ないが、ここはグッと我慢。

 術後、まじまじと自分のお尻を眺める時間が増え、色々と新しい発見があった。例えば、自分のお尻はあまりキュートではないとか、胸毛はない割には尻毛が足の付け根辺りまで生えているとか…(え、どうでもイイって)。「人間の身体には無くてもいい部位なんてどこにもないんだ。」と実感(盲腸は無くてもいいのかな)。

6日後

 左側の傷口がまだ腫れている(出血はない)。触ると痛い。右足も付け根あたりが少し痛む(足を組んでいると左右に関わらず直ぐ痛むのは運動不足だろうか)。左上腕の痣はまだひかない。熱は36.2度。

7日後(1週間後)

 ようやく仕事を始める。症状(?)としては進展はないが、どうやら身体を動かしていたほうが調子がいいらしい。足の痛みも気にならないし、腰の痛みは殆どなくなる(もともと身体を動かさないとムズムズする人だったからそんなもんかもしれない)。敢えて言うなら、車の運転1時間半がこたえたのと、重い物(って20-30kgぐらいのものね)を持とうとするとチョット辛い、ぐらい。でも主婦や普通のサラリーマンだったらそんなことはあまりないだろうし、ほぼ日常生活復帰と言ってよさげ。途中、動き過ぎたか37.3度の微熱。仕事はそんなにたまっていなかったので(仲間に感謝)マイペースで何となかこなす。合間を縫って、迷惑を掛けた人に挨拶をして廻る(みんなとても好意的)。

 どうやら左上腕の痣は注入した薬の色素が染み出てきたものらしい(知り合いの保健婦談)。「ほっときゃそのうち治るわ。」と一蹴された。帰宅して熱を測ると36.2度。風呂で傷口を触りながら気付いたのは、車の運転がしづらいのは、腫れた傷口を上に引っ張ると痛い(下に引っ張っても痛くない)ということが判明。背もたれやクッションを工夫すればウマいこと運転できるのでは?

 夜、コーディネーターのKさんから電話。術後のアンケートも終わり、コーディネートもすべて終了かな、と思いきや腫れた傷口が気になるのでもう1回、来週お電話しますとのこと。余計な心配を掛けてしまったかな?

8日後

 腫れた傷口(おそらく内出血)がだいぶ固くなった。後は時間を掛けて少しずつ小さくなっていくのだろう。昨日、“腫れた傷口を上に引っ張ると痛い”ことを発見したが、どうやら傷口の下半分を触ると痛いということも判明。夕方になると熱っぽくなる。

9日後

 少々熱っぽい。
 患者さんへの手紙をバンクに託した。自分の熱い想いを“さりげに”に伝えようとするのは難しい。他の人が書くような涙あふれる名文は書けなかったが、患者さんに「頑張って生きてください。」と祈るのみ。

 勿論、個人を特定する情報を書くことはできない。ケンケンも相手のことを知らないし、知る必要もないと思う。「見知らぬ人のために、よくやるねぇ。」と言われることが多いが“無条件”だからこそ美しい(自己陶酔?)ような気がする。

10日後

 術後初のライブ。1週間近くピアノを弾かなかった恐怖感からか、気が抜けてしまったからか、それとも(自分では気付いていないけど)身体が回復しきっていないのか、“イイ感じ”になるのに少し時間が掛かった。でも、まずまずのお客さんの入りと相棒の心地よい演奏に、夜中頃には久々の気持ちよい緊張感を味わっていた。

 演奏自体は30分を3回とそんなにハードではないが、リハーサルや待ち時間を含め6時間のライブは結構疲れた。でも、やっとすべてが元に戻ったような気もして、少し気持ちが軽くなった。

11日後

 昨晩、腰を冷やしてしまったらしく、鈍痛。でも、コンサートの裏方で動かない訳にはいかない。仕込んだりバラしたり、ピアノを移動したり…、人にお願いすることもしばしば。事情を知らない人が見たら「なんちゅう横着なヤツや。」と思われたかも。なんせ見た目はまるっきりの健康体だから。

12日後

 今日は珍しく祝日なのにお休み。庭仕事をしていると少し腰が痛むが、あまりにも天気がいいのでちょっと張り切ってしまった。

13日後

 今日は少し休憩。家で一日大人しくしている。夜、微熱。

14日後(2週間後)

 寝る向きが悪かったのか、右の傷口も少し腫れている。とは言っても、日に日に小さくなってきて見た目には解らない。感じとしては“おしりのたんこぶ”といったところだろう。雨のせいか、姿勢によっては(車の運転など)少し腰が痛む。

15日後(健康診断)

術後の健康診断。朝8時前に出発して9時半頃に到着。血液検査をして待つこと2時間。やっとこさS先生に会えたのは11時過ぎ。血液はいい数値が出ているらしい。傷口を確認して“無罪放免”となった。日本が世界に誇る診療システムどおり診察は1分。相手の患者さんは無事に移植を終えたとのこと。少し救われた気がした。診察後、病棟に行って婦長さんにご挨拶。カテーテルを抜いてくれた可愛い看護婦さんもいた。その後寄り道して帰宅すると夕方の4時…。

昨日、舞台の吊り物を操作(綱を引っ張る作業だが初動に力がいる)をしたのがいけなかったのか、歩くのは問題ないがしゃがむと腰(傷口ではなく腰そのもの)が痛む。今までにない痛みだ。たんなる腰痛か?

夜、コーディネーターのKさんから電話。術後の健康診断が無事終わり、日常生活も支障なくやっていけるというケンケンの意思表示でコーディネートはすべて終了と相成った。Kさんは最後まで気遣いの人だった。素晴しい人にめぐり逢えたことに感謝。

16日後

 やっぱり腰が痛い。車の運転も少し辛い。どうやらしばらく過保護にしていた腰を急に動かしたのがよくなかったようだ。少し運動したほうが良さそう。
 今日もコンサートがあり、ちょこまかと動いているうちに微熱。

17日後

 まだ腰が少し痛む。ストレッチしてもどうもならない。気付くと腕の黄色い痣はだいぶなくなってきた。肉はまだ少し固い。
 昼はコンサートを聴きに行く(座っている苦痛より聴いている苦痛…)。夜には合唱のリハーサルがあるが、ヴォイス・トレーニングをやろうにも自分が声を出せずお話にならない。Ebぐらいから喉が絞まりヴィブラートも不安定。無理は禁物か。

18日後

 朝8時前からイベントの準備でバタバタする。身体を動かしていた方が調子がいいみたい。ゆっくり運動し始めるか…。

19日後

 庭で陽に当たりながら土いじり。たまに立ち眩みがするものの、たっぷり光合成ができて元気回復。

 骨髄バンクの理事長から感謝のお手紙と「リンパ球輸注療法の採血について」の連絡が来る。後者はかなり事務的で、コーディネーターから事前に説明を受けていなかったらエッと思ってしまうような書き方だった(これもまぁ受け取り方次第だろうけど…)。ドナーも十人十色で対応も大変だろうけど、それは多くの人と関わっていかざるを得ない骨髄バンクの宿命だ。事勿れになることも少なくないとは思うが、きめ細かに動ける骨髄バンクの未来を応援したい。

20日後

 久し振りの運動らしい運動(筋力トレーニング)として、斜腹筋や背筋運動を試みる。ウォーキングのような有酸素運動は術数日後でも全く問題なかったが、筋肉や骨(!?)に負担を掛ける運動は久し振りだ…が、思ったより不自由はない。やっぱり過保護だったのか。特に背筋は弱っていた感じがした。

21日後(3週間後)

 運動が良かったらしく、とても調子がいい。車の運転も少し楽になった(背中の痛みが減った)ような気がする。これからも少しずつ筋力トレーニングを続けよう…っていうか、こんなコトならもう少し早く始めれば良かった。

28日後(4週間後)

 すっかり手術のことを忘れてしまったぐらいに調子がいい。傷も痣もなくなり、絆創膏のかぶれが少しだけ残るのみ。車の運転も平気の平三郎だし、屈んだり重い物を持ち上げるのもぢぇんぢぇん問題なし(勿論、痛みなどまるっきりない)。喉元過ぎれば何とやらかもしれないが、まったくもって健康体だ。この1週間ですべてが急激に回復したようだ。執刀医のS先生が「1ヶ月ほどで元通りになりますヨ。」と言っていたのはこのコトだったのか、という感じ(それとも忙しさに痛みを忘れたのだろうか)。

1ヶ月後

 ウチの旦那さんは、「また骨髄提供の機会が訪れたときは、その時々の状況を踏まえて考えようネ。」と言っていたが、ケンケンは可能な限り(=多少の不便があったとしても)積極的に考えていきたいと思っている。でも、子供がいると少し考え方が変わるのだろうか…、それはその時になってみないと解らない。11ヶ月後には登録継続の意思確認がされることになる。

 医学の知識もなく医療の現場を知らないケンケンには、正直言ってドナーになることが(相対的に)大変なことなのかそうでないのかは解らない。でも、チョットの痛みで一人の命が救われるかもしれないならば、他に何も出来ないケンケンにとって、ドナーになることは“やらなくてはいけないこと”だった(やっぱ偽善者かなぁ…?)。

最後に…

 今回の経験が教えてくれたことの一つに、“自分は生かされている”ということがある。同じ空の下で誰かが死に直面しているこの瞬間に、どうして自分はこうやって生かされているのだろう…、って考えると本当に不思議だ。ここで哲学めいたことをゴチャゴチャと語り出すつもりはないけど、「生かされているからには意味ある生き方をしなければ。」と、強く思うようになった今日この頃。

 ドナーによって考え方は大きく違うだろうけど、「骨髄提供は決してお気軽にできるものではない。」ということをケンケンは実感した(ここまでこの日記を読めば説明するまでもないだろうけど…)。で、何も骨髄登録をすることだけが骨髄提供ではなく、色々な関わり合い方があってしかるべきだと思う(骨髄移植以外にも我々人類が解決していかなければいけない問題はたくさんあるし)。家族の同意を得られずコーディネートを中断するドナーも少なくない。理解を深め、理解を示し、理解を広めることも、骨髄提供の大切なプロセスだ(と、思う…)。特に勇気は要らないし、お金も時間も掛からない。やれるところからスタートしてみては如何?
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