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ドナー体験記

骨髄移植ドナー

 私は骨髄ドナーになりました。もちろん生まれて初めての経験でした。色々な不安もありましたが、自分なりに調べたり、勉強したりしました。
 現代医学をもってしても、骨髄移植でしか治癒が望めない患者さんが大勢います。そんな患者さんに、私の様な者でも運命を変えられるチャンスを与える事が、もしかすると出来たのかもしれません。

 これから骨髄ドナーになられる方には、私と同じように色々な不安がある事と思います。私の経験が少しでもお役に立てればいいと思い、ドナー体験談を書く事にしました。

その前に、ちょっとだけ骨髄移植について・・・・

1.骨髄ってなに?
 骨髄は、骨の中心部にあって血液(赤血球、白血球、血小板)を休むことなく造っています。骨髄にはこれらのもとになる骨髄幹細胞(造血幹細胞)が含まれています。
 赤血球は体内に酸素を運びます。、白血球は外部から進入する細菌と闘います。血小板は出血を止めます。

2.骨髄移植ってなに?
 白血病などの病気におかされると、正常な血液が造れなくなります。そこで、健康な骨髄を移植する治療法です。骨髄移植は、注射を使って骨髄から吸い取った骨髄液を患者さんの静脈へ点滴で注入します。

3.骨髄ドナーってなに?
 健康な骨髄を提供してくださる方が骨髄ドナーです。

【適合通知】
平成14年6月28日(金)

今日はとても忙しい一日だった。ISOの更新審査が行われ、審査員が今までに無く良い人(?)だったせいか、1件の不適合もなく無事に更新審査を終えた。品質管理責任者としての立場があって、何ヶ月も前から今日のために準備をしてきたが、それも無事に済んだことで一気に肩の荷が下りて、心地良い気分で帰宅した。

帰宅すると1通の大きな封筒が届いていた。宛名を見ると「骨髄移植推進財団」と書かれている。
『いつも送られてくる会報誌は小さな封筒なのに…はて?』期待と不安で封筒を開けると「HLA適合のお知らせ」と書かれている。
「ホンマかいな!」それが正直なその時の感想だった。すっかり登録したことすら忘れていたのだから、「こ、こ、この先どうなるんだろう」と不安になる。しかし!理由は何であれ、自分の意志で登録をしたのだから、仮に提供することになってもそれは当然のことだ。『いつでもかかって来なさい!』

ただ、ここから先は家族の同意が必要になってくるのだが、妻とは冗談交じりで話しただけで、妻の口から提供することへのOKの返事はもらっていない。なんだか話しづらい…
なにせ病院へ一人で行くのも嫌い(って言うか、怖い)ので、ちゃんとした人から骨髄移植について妻に説明をしてもらいたいと思う。

骨髄バンクに登録したのは、いまから3年前だった。どうして自分が骨髄バンクに登録しようと思ったのか、いまとなっては本当に思い出せない。
『こんな自分でも他人の役に立てれば』な〜んて、人に自慢出来るような動機では無かったとように思う。本当にその時の思いつきだったような気がする。
しかし、登録の時に「ついでに献血もしていかれては如何ですか?」と赤十字の方に言われたことだけははっきりと覚えている。
なにせ注射が大嫌いなので、献血なんてもってのほか!しかし、あの場の雰囲気で断る事なんて許されそうにも無く「飛んで火にいる夏の虫」とは、まさにこのことか!

封筒の中には沢山の書類が入っていた。もちろん、この先コーディネイトを進めることには何のためらいもないので、その旨を返信用の書類に書いた。ただ、この先どうなるのかは今時点では判らないが、何度も病院へ通うことになるのは正直言ってしんどい気がした。だって検査が平日でないと行えないのだから…会社勤めをしている身分としてはイタイことである。この辺りを改善して頂ければ、会社勤めの人間でも何の気兼ねもなく検査が行えると思うのだが。

平成14年7月3日(水)

地元の事務局から電話連絡がある。後日コーディネーターの方から連絡を頂けるそうだ。いつになるのだろうか…コーディネーターって、どんな人なんだろう?ちょっと楽しみ!
「HLA適合のお知らせ」をもらってから、インターネットでドナー体験者のホームページを探しては、黙々と読ませて頂いた。やはり実体験に基づいて書かれているのでとても参考になる。

今この時にも、もしかして私の骨髄を待ちわびて病気と日々闘っている患者さんがいる事を考えると、なんか自分だけの体では無く、自分そのものの存在価値を改めて考えさせられる。
仮に私が最終提供者となったとして、骨髄を採取するまでには、これから数ヶ月の期間が必要であろう。私の方は、ただ待っていれば良いわけだが、患者さんにしてみると一日でも早い骨髄移植を臨んでいるはずである。手続きや検査で時間がかかり、慎重な上にも慎重に進めていくのかも知れないが、もっと短縮出来ないものだろうか。

ただ、色々なドナー体験者のホームページを読むと、必ずと言っていいほど関係者の方々(医者、看護婦、コーディネーター)を絶賛され、ドナー提供者に優しく接している様子が書かれている。
これには正直、「ホントかな?」って思ってしまう。ここまでドナー提供者は至れり尽くせりの対応をされるのだろうか?
人命に関わることとは言え、今の世の中そんなうまい話があって良いものだろうか?・・と、疑問を持ってしまう私は人間不信なのだろうか?

悩んでいても仕方ないので、この疑問をあるドナー体験者のHPで問い合わせてみた。
返ってきた答えは…やはり本当のようだ(^^; ある方が言うには『どんなにがんばっても医療者だけで治すことのできない患者に、骨髄ドナーは生きるチャンスを与えてくれる。感謝してもし足りないじゃないですか。』との、医療関係者の言葉があったそうだ。
誰とも判らない他人に、自分の時間を費やし、体を傷つけて提供するドナーって、私が想像も出来ないくらいの存在なのだと考えさせられた。(そりゃそうだわな!)こんな対応をしてくれるのに、私自身が生半可な気持ちでいてはいけないと、つくづく思った。

平成14年7月5日(金)

まだコーディネーターからの連絡はない。『いつでもかかって来なさい!』って気持ちで待ちわびているのに、まだかなぁ〜
会社に迷惑をかけるかも知れないので(検査などで欠勤しないといけないから)今から根回ししておこうと思い、社長に理解を求めるためのメールを出していた。帰ってきた返事は「骨髄がなくなった時に風邪を移してやる」だって…ん〜骨髄移植のこと判っていないんだなぁ。

ドナー体験者のホームページも見飽きたので(^^;患者さんの闘病記のホームページを読む。
想像を絶する闘病生活に、ただ、ただ、絶句してしまう!
骨髄移植したからといって100%の治癒は無いようだが、骨髄移植に希望を託す患者さんの姿に、生半可な気持ちでいけないんだとまたまた実感する。

帰宅すると骨髄移植推進財団から封筒が届いていた。中には、コーディネーターと調整医師の名前が書かれていた。
コーディネーターはMさん(女性)だった。若くて可愛くて優しい女性だったらいいなぁ〜なんて、不謹慎にも思ってしまう。調整医師は地元K医科大の医師の名が・・文面には、患者さんの移植予定日までもが書かれていた。これを読むと、いよいよ実感が沸いてくる。

平成14年7月8日(月)

コーディネーターのMさんから初めて電話がかかってきた。声だけ聞くとちょっとお年を召された感じがした(^^; 調整医師と確認検査の日程を調整するので都合が悪い日を聞かれたが、特に都合が悪い日は無いのでいつでも良いと返事をした。
ビデオテープを送って頂けるそうだ。この機会だから、なんでも経験しておきたいのでお願いした。

平成14年7月9日(火)

ビデオテープが届いた。
タイトルが『お気持ちに変わりはありませんか?』だと・・なんかすごいタイトルだと思う。
せっかくなので家族全員で見た。内容は骨髄提供までの流れを簡単に説明した10分程度のテープだった。
最終同意書の例文が映し出されたが、ドナーの署名が「骨髄 太郎」になっていた。正直これを見て笑ってしまった。
ちなみにこのテープは貸出用と書かれており、返却しないといけない。

【確認検査】
平成14年7月18日(木)

K医科大へ確認検査に行った。コーディネーターのMさんと内科受付の前で待ち合わせをする。暇だったので、約束の1時間前に着いた。
初めてお会いしたMさんは、私と同い年くらいに見えた。
Mさんの案内で調整医師が待つ場所へ行く。総合病院なのでMさんの案内がないとホントに迷ってしまいそうだ(^^;

調整医師のK医師から小冊子『骨髄提供者となられる方へのご説明』にそって説明を受けた。何度も読んでいる冊子なのだが、とても丁寧に説明をしてくれた。そのお陰で説明に(^^;2時間かかった。
後半はコーディネーターのMさんからの説明があり、確認検査同意書にサインした。
それと交通費を出してくれた。わざわざ出して頂かなくてもいいのに…

場所を移して、身長、体重、血圧の測定と問診。そのあと血液の採取。
うわさ通りに(^^;6本近い試験管が用意されている。
コーディネートが始まってから以後発生する費用は、全て患者さん負担になるそうだ。もちろん今回の確認検査の費用もそうであるし、交通費も…
色々調べていると、患者さんの骨髄移植に伴う費用は数百万円になるとか。

私がこの先に行われる全てのことが対象になるわけだから、ホンマに複雑な心境になる。
Mさんと世間話をしていると、なんと息子さんがサッカーをやっていて、市内のサッカー少年団に所属しているとか・・おまけに学年も、うちの次男と同じだった。
まだ次男が所属しているチームとは試合をしたことがないけど、いつの日か試合会場で会えるかも知れない。

平成14年7月30日(火)

『骨髄 太郎から手紙が来ているよ〜』と、帰宅するなり長男が言った。
財団から届いた手紙の中身は、18日に行った血液検査結果であった。どこも異常が無くホッと一安心した。実は今年の1月に行った健康診断で、γ―GTPなどの値が高くて肝機能が悪いと診断されていたので(後日、2次検診を行い異常は無かったが)ちょっと心配だったんだ〜
検査結果も財団としてOKらしい。

【最終ドナー候補】
平成14年8月8日(木)

仕事をしているとコーディネーターのMさんから携帯に電話がかかってきた。(基本的にこちらからMさんへの電話連絡は出来ない。けど、携帯にはしっかりMさんの番号が表示される。なもんだからMさんからの着メロを“GOD SAVE THE QUEEN(イギリス国歌)”にしている)

Mさんから『最終ドナーに選ばれました』と伝えられた。
おもわず「ありがとうございます」って言ってしまった。とうとうやって来た!
患者さんの都合で、骨髄採取の日取りが9月末〜10月初旬になるとも伝えられた。

ん〜ちょっと待てよ!10月初旬には展示会があって、それに行かなくてはいけない。けど、患者さんの事を考えたらそんなことも言っていられない!
けど、骨髄採取まで患者さんのために、なんとしても自分の健康管理をキチッとしないといけないと思うとちょっと不安になってしまう。今日からは自分の体であり、他人の体でもあるのだと今まで経験したことがない変な心境になる。

夕食の時、息子達にドナーに選ばれたことを話すと『父さんは、浄い体にならんといかん!』と、お叱りを受けてしまった(^^; 確かにそうだ!自分の不摂生で私の骨髄を待っている患者さんに迷惑をかけては話にならない! これからは食事にも十分注意しようと…ちょっとだけ決意した。

【最終同意】
平成14年8月15日(木)

最終同意の日である。カミさんと、せっかくだから子供達も連れてK医科大へ行く。
今回は立会人としてO医師が立ち会う。最終同意といっても内容は、調整医師のK医師から小冊子『骨髄提供者となられる方へのご説明』にそって再び説明を受けた。私は確認検査の時にも説明を受けているので、むしろ今回はカミさんに説明をしてもらうことになる。
確認検査の時もそうであったが、K医師からの説明はとても丁寧で、またも2時間近くかかった(^^;

そしていよいよ同意書への署名&捺印となる。これが噂の同意書かぁ…
ここまでかなり速いペースで物事が進んできている。小冊子や他のドナー体験談だと、数ヶ月かかることもあるみたいで、患者さんが急を要しているのかなぁ?

骨髄採取日の予定日が、10月△日か☆日であることを知らされる。(※ここから先は、採取日の具体的な日を伏せなくてはいけない。)△日はマズイ!展示会へ行かなくてはいけないのだ。そうなると残るは☆日。けど、1週間後に沖縄へ行く予定になっている。まぁ術後1週間経っているしなんとか気力で沖縄へ行けることを願うだけである。

【健康診断】
平成14年9月5日

今日は健康診断の日。9時にMさんと待ち合わせる。
「患者さんのことが判りました」って、Mさんから紙を渡された。その紙には『東海・北陸地区の10歳未満の男の子。体重18kg』と書かれていた。
どーせ詳しいことが判らないんだったら、このまま患者さんのことを知らなくても良いなぁって思っていた。だから私の方からMさんに患者さんのことを教えてくれるようには頼んでいなかったんだけどなぁ。

ガビ〜〜ン!こんなはずでは・・ 自分の子供と同じ年頃なだけにショックを受けた。
これからの未来を担う子供が患者さんだと思うと、ホンマに気合いを入れて採取に臨まないといけない。

しばらくして診察室で初めて担当医のN医師に会う。簡単な問診の後に今日のスケジュールを説明してくれた。気になっていた沖縄行きの事を尋ねたら、「特に問題はないでしょう」と言われホッと一安心。

まずは検尿。そして肺機能の測定。ホースを口にくわえて言われるままに吸ったり吐いたり。
心電図、胸部レントゲン、そしてまた採血。またも5本近い試験管(?)が用意されている
広い病院内をMさんの後についてウロウロ・・
麻酔科では、医師から全身麻酔の説明を受ける。麻酔に関する同意書に署名と押印。

検査が終わったのはお昼。最後にもう一度N医師の所へ行く。
「ちょっと尿に蛋白がおりています」ゲッ!今まで言われたこと無いのに、どうしてだろう?
「朝ご飯を食べてきたからかも知れないねぇ」と言われたけど、なんでやろ?
患者さんが子供ということで、私からの骨髄採取量は約300cc。術前の自己血採血も必要ないらしい。
あとは入院を待つだけとなった。
帰りに入院の手続きをした。

【入院】

いよいよ入院日。
カミさんの運転する車で病院へ向かう。11時に病院の受付でMさんと待ち合わせる。
病室へ向かう。病室は4Fの大部屋だった。
病室の入口には、マスク着用と手洗いをするように書かれていた。ディープだ!
部屋には他に3人の入院患者さんがいた。
みんな点滴を受けてベットで寝ている。健康な私がこの雰囲気に似合うはずがない!

しばらくしてもう一人の担当医であるO医師が来た。穏和で優しそうな雰囲気にちょっと安心する。
手術のことにすいてついて説明を受けた。
手術は明日の9時から行うそうだ。その中で、当初予定していた採取量が、患者さんの都合で増えるとの説明があった。特に問題はないので了承する。
Mさんとはここで別れる。手術後に来てくれるそうだ。

採血をO医師自らが行う。次に抗生物質のアレルギー反応検査のために注射を3本する。
ベットに横たわり、隣にはカミさんが見守る。
1本目。ちょっと痛いが、まぁ辛抱出来る。
2本目。おぉ〜〜っ!?全身にまるで電流が流れるような痛さである!こんな痛い注射は生まれて初めてである!苦痛に歪んだ顔でカミさんの方を見てしまう。
3本目。さっきの注射の痛さがまだ残っているので、さほど痛くない。

お昼になったのが、私には昼食から病院食が用意されていた。
食堂に行くと名前の書かれた札と一緒に昼食が置かれていた。メニューはチャーハンだった。
ん・・味が薄い!おまけに量も少ない!!
これでは足らないと思いカミさんと一緒に地下のレストランへ行く。ラーメンを食べた。
病室に戻るとO医師がやって来て、病室が個室になるのでしばらくして引っ越すように言われた。
カミさんは午後から仕事のために、これで帰ることになる。
2時頃に看護婦さんがやってきて、個室に引っ越す。
個室はバス、トイレ、TV付きで、まるでビジネスホテルのようである。

しばらくして麻酔医師がやってきて、簡単な問診が行われた。午後9時から絶食となるとの説明を受ける。
何もすること無く、ただただ暇を持て余す。
何度か看護婦さんがやって来ては「具合はどうですか?」ってきくけど、いたって健康な状態で入院した訳だから具合が悪いことなど何もない。今の自分には、なんとも答えにくい質問である。
午後9時が消灯だが、いっこうに眠れない。
11時頃に看護婦さんを呼び「眠れそうにありませ〜ん」と言うと薬を持ってきてくれた。
薬を飲んでしばらくして眠った。

【採取日】

いよいよ採取日の朝を迎えた。6時頃にはもうすっかり目が覚めてしまった。ぐっすりと眠りたかったのだが・・
7時過ぎに看護婦さんが手術着を持ってやって来た。両側が紐で結ばれただけの上から被るだけの服である。カミさんもやって来て手術着に着替える。なかなかエッチな服だとカミさんと話した。けど、両側の紐のどこから腕を出せばいいのかが判らない。

8時に看護婦さんがやって来て、車椅子で手術室へむかう。
手術室に入ると、まずは名前と生年月日を確認された。看護婦さんはパソコンで手術部位の確認をするが、ポップウィンドで開かれた部位の欄には骨髄採取の項目が無かった。「その他」の項目も無く、仕方ないので「臀部」にした。

手術室の入り口は1つであるが、中はいくつもの部屋に別れていた。そして一番奥にあるOP6と書かれた部屋に入る。
車椅子から降りて手術台横のベッドに横たわる。
看護婦さんから「電極を付けますねぇ〜」と言われ、手術着の紐がほどかれていく。
麻酔医師(?)らしき医師から「点滴を打ちます」と言われ、左手首に注射された。
口には酸素マスクをちょこっと置かれた。
「麻酔するんですかぁ?」と私が言うと、「はい」と言われた。
天井が一瞬歪んだように見えたと思ったら・・ ここから意識を失ってしまった。

目を覚ましたのは病室であった。確か10時半頃だった様に思う。
腕には点滴、酸素マスクを被せられていた。
(ここから先、私は確かに起きて受け答えをしたらしいのだが、あとで思うと全く記憶が無かった)
骨髄採取は無事に終わったこと、私の骨髄は患者さんの担当医師に渡されたことなど、N医師から説明があった。(あくまで、後からカミさんが教えてくれたことである。)
この記憶の無い空白の時間の中で、かなりフニャフニャと私は喋っていたらしい。

次に目を覚ましたのは1時過ぎだった。ここから先は記憶がはっきりしている。
ドナー体験者が言われるような腰の重さとか採取部の痛みはほとんど感じない。
上向きに寝ていても腰も採取部も痛くなかった。
導尿カテーテルをしているので、ものすごく違和感がある。喉が痛い。風邪をひいて喉が痛い時と同じ感覚である。

導尿カテーテルは、ものすごく不思議な物だ。尿意が有っても無くても、ダラダラとオシッコが袋に溜まっていく。看護婦さんが時々カテーテルのパイプを持ち上げるのだが、その時にパイプの中の空気が逆流するのか、変な圧迫感の痛さを大事なところに感じてしまう。
とにかくおなかが空いていた。のども渇いた。けれど、まだ何も口にしてはいけないそうだ。
看護婦さんがやって来て「具合はどうですか?痛くありませんか?」って尋ねるが、「痛くないけど、とにかくおなかが空いた!」って答えてばかりいた。
そのうち看護婦さんが聴診器でおなかを聴いて(?)「先生に聞いてきますね?」って言ってくれた。

ようやく飲んだり食べたりして良いとの許可が出た。けど、まだ固形物はダメで、最初は水分から取って良いとのこと。カミさんに何か食べる物を買って来るように頼んだが、売店に残っていたのは蒸しパンだけだったそうで、蒸しパンとお茶を食べた。
やっとのことで導尿カテーテルも抜いてくれた。若い看護婦さんが抜いてくれたが、抜く時の痛みは何とも表現出来ない痛さだった。

腕には相変わらず点滴をしている。明日の朝までしないといけないそうだ。
試しにベットから降りて立って歩いてみた。特にどこも痛くない。
子供達も見舞いにやって来てくれていたので、ちょっと病室を出て散歩をすることに。ナースステーションの前に献立表があるので、それを見に行くことにする。
す、すると、ナースステーションから看護婦さんが血相を変えて出てきて「今日は一日ベットの上で安静にしていて下さい!」と叱られてしまった。

夕食は普段通りに食べられた。喉が痛いのが気になったので看護婦さんに言うとトローチを持ってきてくれた。
おとなしくベットの上でダラダラと過ごすことになる。けど点滴をしているので気になって仕方なかった。
昨晩は緊張して寝られなかったので、今晩こそグッスリと眠ってやろうと思ったが、やっぱり病院のベットでは寝られない。夜中に何度も起きてしまった。

【採取日翌日】

昨日から微熱は続いていたが、特に問題はない。
腰の重みも無いし、採取部だって普通にしていれば痛くない。
N医師やO医師が時々やって来ては具合を尋ねるが「どこも痛くなく大丈夫です」と答えるしかなかった。

9時過ぎにようやく点滴も外れた。歩いていいとの許可も出たので、さっそく病院内を探検することに。リハビリも兼ねて階段を昇り下りしていたが(病室は5Fであった)、これが後で筋肉痛になるとは。
暇を持て余してウダウダと過ごす。
N医師と一緒にもう一人が病室に来た。きけば大学院生(インターン?)の方だそうで、運良く(?)私の骨髄採取の現場を見学出来て、その感想を色々と尋ねられた。
逆に私の方から、手術の時の模様を尋ねることも出来てよかった

看護婦さんが体を拭いてくれた。その時に色々と話したのだが、この病院では、まだまだ骨髄採取の症例が少ないそうで、ドナー患者に接するのが初めての看護婦さんがほとんどだそうだ。だからどの様にドナー患者に対応していいのか判らないって言っていた。

【退院日】

術後の採血の結果に問題も無いようで、予定通りに午前中に退院となった。
K医師やO医師がやって来て「ありがとうございました」と言ってくれた。
医者に「ありがとう」と言われたのは生まれて初めてである。

余談ではあるが、このO医師・・とても対応が良くて優しい医者である。手術前に骨髄穿刺針を見せて欲しいと頼んでいたら、わざわざ新品の骨髄穿刺針を見せてくれた。
現物を見ると、針なんて物じゃなかった!直径が2.5mmくらいある。握り手の部分があって、針の部分の長さは10cmほど。

こんなものでブスブスと刺されたのかと思うとホンマに驚いてしまう。(ちなみに私の場合は、皮膚2カ所から腸骨に対して各々45回ほど刺したそうである。計90カ所!)
手術前に見ていたら、絶対にビビってしまう代物だ。

これが骨髄穿刺針の全貌!
2分割して使用する(?)
先端部の拡大。かなり太い!


Mさんもやって来て退院の手続きをしてくれた。入院の時に渡されたアンケートを渡す。
久しぶりに外へ出た。やっぱり外の空気はおいしい!
無事に骨髄採取が出来たことがホンマに嬉しかった。
達成感というのか、患者さんへの使命が果たせたという気持である。
さぁ〜あと4日経てば、待望の沖縄でリゾート出来るぞ!

お見苦しいですが、術後3日後の採取痕です
2カ所から採取しました

【術後検診】

10時にMさんと待ち合わせをする。
今日でMさんとの短かった付き合いも終わってしまう(^^;
まずは採血!「またするんですかぁ〜」
今回は試験管2本であった。
次はN医師の問診。受付で待つ間に、Mさんと色々と話す。
なんでも今、5人が最終同意も終えて、あとは採取を待つだけだとか・・

私が採取を行ったK医科大では、おおよそひと月に1人の採取しか行えらしく、5人は他県の病院での採取となるそうだ。入院をすることを考えると、やはり地元の病院がなにかと便利であるのに・・
私が一番にK医科大に決まったので仕方ない、とMさんは言っていた。
その他にもコーディネートを進めている人が何人か居るようで、ホンマに忙しそうであった。

N医師に呼ばれて診察室に入る。
N医師から「何か気になることはありますか?」との質問に「何も問題ありません!」と答えた。血液検査の結果も異常無く、採取部を見てもらったが何の問題もないそうだ。これにて一件落着となる!

【最後に】

今回はホントに貴重な経験が出来たと思う。
今まで気にもとめなかった色々なことを勉強することも出来た。
ちょっとだけ人生観も変わった。
しかし、自分がドナーに決まってから感じたのは、他のドナー体験情報がまだまだ少ないと思った。

色々な不安や疑問をその度にコーディネーターへ尋ねるのも良いかも知れないが、そんなこと一々するのも大変だろうし、なにより個人的な問題だから・・
そんな訳で、これからドナーになられる方へ少しでも役立ててもらえばと思い、今回私が感じたドナー体験談を書いてみた。

コーディネーターのMさん、調整医師のK医師、担当医のN医師、O医師、看護婦の皆さん、本当にお世話になりました。そしていつも付き添ってくれたカミさんに感謝します。

【そして】

待ちに待った患者さんからのお手紙を頂きました!
ドナーとしてこれほど嬉しいことは無いと思います。厚生労働大臣からの感謝状より
ずーっと嬉しいです!

  「あなたから頂いた命が、今息子の中でしっかりと生きています」

カミさんは、頂いた手紙を読んで号泣しました。
私も涙しました。

私の人生の一生の宝物にさせて頂きます。
お礼を言うのはこちらの方です!
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