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ドナー体験記



ばんてんさんは、骨髄移植ではなく、末梢血幹細胞移植の体験記です。

白血球・赤血球・血小板といった血液細胞を作る大本になっているのが造血幹細胞で、一般的には骨髄にあります。
骨髄移植とは,この骨髄中の造血幹細胞を移植して,白血病などの重い血液疾患にかかった人の骨髄を,正常な骨髄に入れ替えることです。

ばんてんさんが行ったのは、末梢血幹細胞移植で、骨髄移植とは異なります
末梢血幹細胞移植とは、骨髄中にある造血幹細胞は化学療法を受けて,白血球や血小板が下がったあとに再び造血が盛んになった回復期や、白血球を増やす薬を使った後に、末梢血中にも流れ出します。この末梢血中の幹細胞を機械を使って採取し,骨髄の代わりに移植する方法です。
末梢血幹細胞移植は、ごく最近になって用いられ始めた治療法であり、事例も少ないので、掲載させて頂きます。

詳しくは、下記のサイトを参照下さい。
東大病院 無菌治療部
九州大学付属病院輸血部

末梢血幹細胞移植 体験記
2002年8月9日

兄貴の主治医の先生(以下、主治医)より、骨髄移植を行う可能性があるので血液(HLA)検査を受けて下さいとの連絡が入る。ドナー候補は私と親父。
骨髄移植の場合、ドナー対象年齢が50歳までとの規定があるため、先ず私の血液からHLAの型を調べることになった。 もし、私とHLAが一致しなかった場合、親父のHLAを調べることになる。
(正確な日付は忘れたが、後日、HLAがベストマッチングしたとの連絡を受けた。)

2003年1月7日

主治医より移植についての説明がある。
骨髄移植の他に末梢血幹細胞移植なるものがあることは知っていたが、詳しい内容を聞くのは今日が初めて。
それまで骨髄移植しか頭になかったが、説明が進むうちに末梢血幹細胞移植に気持ちが傾く。(^_^;)
以前、虫垂炎の手術をした際に、局部麻酔のはずが首元にまで麻酔が効いてしまった経験を持つ私としては、麻酔をしなくても良いということが決定打になった。
勿論、骨髄移植のドナーに起こるリスクと同様に、末梢血幹細胞移植にも様々なリスクが伴うことは充分に理解したうえでの話。
具体的な日程は、今後の状況を見てにはなるが、2月下旬から3月上旬になるとのことだった。
(後日2月21日から入院決定となる。)

2003年2月10日

ドナーとなるための事前検査。
ドナーとして入院するという連絡が上手くいっておらず、総合受付と内科受付をウロウロするはめに。移植実績の多い病院としては如何なものか。(ーー;)
2時間近くも待たされ、ようやく検査開始。血液検査、尿検査、胸部レントゲン撮影、心電図測定、肺活量測定を行う。
学生時代以来の肺活量測定であったが、当時より700cc近くもアップ。ヘビースモーカーとまでは行かないものの、結構な喫煙量があるにも関わらずアップしていたのは不思議。
(肺のレントゲンも綺麗なモノだったらしい。)

2003年2月21日

10:00。寛解状態※1となり自宅療養を続けていた兄貴と兄嫁を伴い病院へ。
とは言え、この日は白血球を増やす注射(以下、G−CSF)を打つ訳でもなく、血液検査のための採血のみ。G−CSFを何度か投与すると、ほぼ100%骨痛がでるため、事前に服用する痛み止めを処方される。

17:30。主治医より、末梢血幹細胞採取に関する説明を再度受ける。前回と同様の説明の後、私に最終的な提供の意志確認がなされた。
入院する数日前に、60代の女性が50代の弟さんに、悪性リンパ腫の治療のために末梢血肝細胞を提供したのだが、約一年後にドナーである60代女性が急性骨髄性白血病を発症し亡くなった事例が発表された。G−CSF投与との因果関係ははっきりしないが、可能性が全くないとも言い切れない。このことを踏まえての最終意思確認であったと思う。最も、この事例の場合、ドナーが高齢であったことなど特異なケースだったようで、私の場合は特に問題ないとのことだった。
事前に新聞記事で知っていたが、拒否するつもりなど毛頭無かったので承諾の意志を伝える。この時点で、採取日は2月25日に決定した。
 
※1.寛解状態(かんかいじょうたい・かんげじょうたい)
一旦良くなっても、また再発する可能性があるという状態の事をいいます。白血病の場合、骨髄中の白血病細胞が5%以下で、かつ末梢血・骨髄が正常化し、白血病に基づく症状や所見が消失した状態になって、初めて“完全寛解状態”と言えます。完治したと言う意味ではありません。

2003年2月22日

07:00検温・採血。前日は右腕からの採血だったが、末梢血幹細胞を採取する時に備えて血管の柔軟性を保つため、この日から手の甲からの採血になった。結構痛い。(T_T)

09:00、第一回目のG−CSFを右上腕部に筋肉注射。主治医の話だと、最初の数回は特に痛みなどは出ないとのことだった。確かに一回目ではコレと言った自覚症状はない。
病院食の不味さに閉口しつつ、クロスワードパズルを解いたり、TVを眺めてみたりしつつ暇を潰す。
このまま自覚症状が出なければ、退屈極まりない入院となりそうな嫌な予感が過ぎる。

20:00、第二回目のG−CSFを今度は左上腕部に筋肉注射。連続して同じ個所に注射すると針穿部が固くなるため、交互に打つらしい。直後にはなにも自覚症状がなかったが、21:00頃から腰に痛みを感じ始める。(T_T)
聞いていたよりも早く腰痛がでたため、慣れない病院のベットのせいかと思いつつ、21:30消灯。

が、時間が経つにつれ腰骨の痛みが激しくなる。食後に服用した痛み止めも効果がなく、バットで殴られたような衝撃にも似た痛みが連続して襲ってくる。
結局この日は一睡も出来ず痛みに耐え続けることになった。(T_T)(T_T)

2003年2月23日

07:00検温・採血。相変わらず激しい痛みが続いたままなので、看護師に助けを求める。(T_T)
より効果の強い痛み止めが主治医から処方されているとのことで、食後に服用することになる。
この薬、効果は相当なもので、服用後20分程で嘘のように痛みが消える。しかし、服用間隔6時間以上に対して効果が持続するのは4時間程度。残り2時間は再び痛みに耐えなければならない。

09:00、第三回目のG−CSF注射。このG−CSFと言う薬は、ドナーの体重に比例して投与する量が決まっているそうで、標準体重をかなりオーバーしている私には結構な量が投与されていた。注入中は結構な痛みがあり、日頃健康管理に疎い自分を呪ってしまった。(^_^;)
相変わらず腰痛が酷いうえに、この頃から全身の骨(間接ではない)に痛みが走るようになったため、6時間置きに痛み止めを服用する。
午後、兄の一家が見舞いに来てくれたので幾分気が紛れたものの、痛み止めの効果が切れた直後だったため痛みが激しく、レシピエントである兄に心配を掛けてしまった。申し訳なく思う。

20:00、第四回目のG−CSF注射。最早言うべき言葉を失う。(^_^;)

2003年2月24日

07:00検温・採血。この日から腰骨の痛みが少し和らいでくる。何とか我慢できる程度になった。前日までの歩行もままならない状態とは雲泥の差。が、今度は頭痛と発熱に悩まされることになる。(T_T)
これらはG−CSFの副作用なので我慢するしかないのだが結構きつい。
痛み止めを服用しても、腰痛には効果があるものの頭痛は収まらず、アイスノンを借りて凌ぐことに。

09:00、第五回目のG−CSF注射。頭がボーっとしているので思考が全く働かず、TVを見る気力も湧かないので、ひたすら眠る。とは言え、頭痛のために熟睡することもままならずウトウトしたのみ。
この頃から食欲が減退し、病院食を見ると吐き気すら催すはめになる。(T_T)
唯一、叔母が差し入れてくれたパン類のみ食べることができた。地獄に仏とはこのことか。

20:00、第六回目のG−CSF注射。起き上がるのも一苦労な状態になる。体がまるで鉛のよう。

2003年2月25日

いよいよ採取日。この日は06:30に第七回目のG−CSF注射。白血球の数は既に6万を超えている。私の場合、正常時が6000なので約10倍に増えたことになる。

07:00検温・採血。採取に備えるため水分の摂取を控え、トイレを済ませて病室待機。

09:00、看護師に付き添われ採取室へ。ベットに横たわり、血圧・心拍数などをチェックする機器を装着する。これから採取が終わるまでは動くことができない。

10:00採取開始。採取方法は至って簡単で、右腕から血液を抜いて連続血液成分採取装置を通し、造血幹細胞を採取した後、左腕から体内に戻すだけ。成分献血をした経験のある方ならご存じの方法。
とは言え、採取中は身動きが取れない上に、頭痛と腰痛が残ったままだったので、結構苦痛を感じる。
連続血液成分採取装置による採取時には抗凝固剤を用いるため、低カルシウム血症により四肢末端や舌先に痺れを感じることもあるらしいが、今回は特に痺れを感じることはなかった。
しかし、左腕に刺された血液を戻すための針に圧力が掛かり、酷く違和感を覚える。

12:15採取終了。採取された細胞の数をカウントし、移植に必要な量が確保されれば採取は完了。G−CSFからも解放される。しかし、必要量に満たなかった場合、この日の夕方に再度G−CSFを投与し、翌日再度採取されることになる。

12:30、病室に帰還。疲労困憊。(ーー;)
病室で寝ていると、突然鼻血が出て驚く。歯茎からも出血している。トイレに行けば血尿まで出ており更に驚く。
連続血液成分採取装置を通した際、血小板がチューブ内にこびり付くなどして一時的に減少するために起こる現象であり、時間が経てば収まると聞き安心する。(^_^;)

15:00頃。疲労から病室で眠っているところに主治医来訪。移植に必要な量が確保できたことを知らされる。これでG−CSF投与もなくなり、採取完了。後は血液が元の状態に戻るまでの経過観察入院となる。

2003年2月26日

07:00検温・採血。血液成分を調べるための採血で、血小板の数値が正常値に回復する傾向にあることが確認されれば無事に退院となる。この日から腕からの採血となる。採決後、針穿部が内出血していた。血小板の数が少ないと内出血を起こしやすいそうで、今日の退院は無理であることを思い知る。元々、退院予定は27日だったので、さして落胆はしなかったが、何もすることがないので退屈極まりない。最も、頭痛と骨痛は軽微ながらも相変わらずセットで襲ってくるため、退院できても何もできないのは一緒なのだが・・

18:30入浴許可が出る。本来なら男性の入用日は火・木・土曜であり、この日は女性の入浴日だったのだが、前日が採取日と重なってしまい入浴できなかったため、病院側の配慮で入浴することができた。久しぶりの入浴で心身共にリフレッシュする。

19:00、主治医から「ドナーフォローアップ事業」の説明を受ける。末梢血幹細胞移植はごく最近になって用いられ始めた治療法であり、事例も少なく、G−CSFの長期的な副作用の有無も確認されていない。そこで、今後五年間、一年毎に血液検査を受けることで末梢血幹細胞移植の臨床データを取り、今後の治療に活かそうという事業であるらしい。事業に協力するか否かはドナーの意志に委ねられるのだが、自分の経験が活かされるのであれば嬉しいことなので喜んで協力させてもらうことにした。
先日亡くなった60代女性は、このドナーフォローアップ事業に参加していなかったらしい。残念なことだと思う。

2003年2月27日

07:00検温・採血。今日の血液検査の結果次第で退院の有無が決まる。若干、頭が重いような気がするものの、後は至って快調。血尿も収まり、歯茎からの出血も止まった。

10:00退院許可が出る。血液検査の結果、血小板数の回復には今暫く時間が掛かるが、順調に回復している傾向にあるので問題なしとのこと。これにてお役御免。後は兄貴に頑張ってもらうのみ。

12:00退院、13:00帰宅。たった一週間の入院だったにも関わらず酷く疲れを感じたが、息子の笑顔に迎えられ癒される。

2003年2月28日以降

退院後約一週間程は、時折襲ってくる腰の痛みと、何故か午前中だけ起こる頭痛に悩まされるものの、今現在は至って快調であり、すっかり元の生活に戻っている。 兄貴への移植は無事に終わり、7月に退院することができた。若干GVHDの影響が残っているものの、徐々に入院前の生活に戻りつつあるようだ。
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