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ドナー体験記



私が骨髄移植を経験したのは、もう今から8年も前のことで、私はまだ20代前半でした。今となっては多少記憶が曖昧になっている部分もありますが…。

その当時、私は高知県在住で、事務の仕事をしながらプールで子供に水泳を教えていました。そのプールの近くに血液センターがあり、献血に行ったのが最初でした。ポスターの張り紙を見て、ドナー登録について看護婦さんに声をかけました。その時のお話では、登録するにはビデオを見て詳細な説明をするとのこと。実際にビデオを見た記憶はあるのですが、内容についてはあまりはっきり憶えていません。何よりも、その当時なぜドナー登録に至ったのか、私自身の心境もよくわからないものでした。

それから何年か経ち、もうすっかり忘れかけていたころに、適合者が見つかったとの連絡がありました。その時の心境は、宝くじに当たったような嬉しさと、移植って大丈夫? と言う不安と、両方半々の気持ちだったことは憶えています。

移植についての説明を、コーディネーターの方と県立病院の先生にお聞きしました。もちろん、リスクについても説明もありました。移植手術は愛媛県で行なわれることになったのですが、移植の一ヶ月前ごろ、脊髄から血液のサンプルを取っての詳しい検査があったと思います。この時も日帰りで愛媛県まで出かけての事だった記憶があります。

その結果、最終的に適合するということがわかり、高知の病院にて、家族の同意等の手続きを行ないました。病院の先生以外に、第三者的に弁護士さんも同席したと思います。その際、父は「嫁入り前で、将来子供も産めなくなるのでは?」という理由から猛反対でした。母からはさほど反対はありませんでしたので、病院の話合いに参加しないと最後まで言っていた父をなんとか説き伏せ、何とか同意にまで至りました。

しかし、今になって思うと、当時は私も若かったんでしょう。あの時、父を説き伏せた情熱のような使命感はどこから出てきたのか、少し不思議に思えてしまいます。今、もう一度同じことをと言われても出来ないでしょう。

移植手術は、愛媛県立病院にて原先生のもと行われました。もちろん移植前には、自己血を400ccとり、それを自分で持って行ったと思います。移植の前日からの入院でしたが、台所、シャワーもついている「特別室」が用意されていて、入院の経験のない私は、まるでちょっとしたビジネスホテルのようだと驚きました。

そして、移植と言うことになったのですが、私は手術室でのことは憶えていません。移植をこれから行いますという時に、手術室に入る前に注射をしました。看護婦さんの話では少し眠くなるかもしれませんということでしたが、私は眠ってしまっていたのです。全身麻酔の時に深呼吸するとか、手術台に移るとかすら全く憶えていないのです。いつの間にか1,000ccを採取、名前を呼んでる声がして目を覚ますと、母がいて「良かった」と言われました。「え? もう終わったの?」これが私の移植経験です。

移植後は、腰痛が少しあったのと、全身麻酔の際に口を少し切ったのがありましたが、ほぼ生活するのに影響もなかった様に思います。退院後もすぐ仕事にいきましたし、移植ってこんな簡単なものだったの? と思うほどでした。

その後、何度かコーディネーターの方から「調子はどうですか?」というような電話があったと思います。そして、何ヶ月が経ったころ、当時の管直人厚生大臣からの感謝状が届きました。

その感謝状が届き、改めて冷静になって移植について考えてみると、私は女、移植されたと思われるのは男性、「その人は男でありながら女性の染色体をもっているの?」とか「その人は本当に元気になれたの?」「移植によって亡くなったりしたんでは?」など、色々なことを考えました。そして、こんな重大なことを私は安易にしてしまったんだ、と自己嫌悪にまで陥りました。助かることだけを考えていた移植前の気持ちとは違った、あまりうまく表現できませんが“重たい妙な気持ち”が出てきました。

その後、私は結婚して妊娠。やはり初めてのことでしたし、移植をしたことで「何か不利益なことが起こるのでは?」とか、いろんな不安がよぎりましたが、無事に出産、元気に過ごしています。
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