アクセス解析CGI

ドナー体験記

登録

 登録のきっかけは…よく覚えて無いのだが愛知県T社出向中だったか、毎日帰宅は午前で週末は休日出勤と激務が続いていたとある日テレビでCMをやっていたような。
確か小さな女の子が移植を受けて助かったとか何とか…うろ覚え。その子が母親と手をつないでじっとこっちを見つめている。私はこのまま仕事に忙殺されて消耗していくのか?などと漠然と思っていて登録しようかなぁと思ったかも。確か’97の事でした。

 地元に戻って登録するまでの間いろいろ考えた。別に自分がドナーにならなくてもささやかながらの寄付とかでもいいのでは無いか?とか。
でも寄付は寄付、所詮お金です。「金額ではありません。寄付したいと思う心が大事」と言っては見ても金額が多いほうがいいに決まっています。建前では何と言おうが本音では心ある1円の寄付より心無い一億円の寄付の方がいいだろう。

 しかし骨髄ドナーは違う、お金をいくら積まれてもHLAが合わなければどうしようもない。自分じゃなければ意味が無い、という事です。人間どうせいつかは死ぬんだし死ぬまでの間に何かできることもあるだろう。それが人命救助になるかも知れないのならより良いかも。心は決まりました。兎に角登録です。電話で情報を聞いて見ます。(まだインターネットとかやってなかったし)どうやら地元では駅前ビルの献血コーナーで登録受付をやってくれるとのこと。

 さて地元に戻ってきた私はころあいを見計らって有給休暇を取りいそいそと駅前ビルの献血コーナーで骨髄バンクの登録を申し込みます。何か書類を書かされたと思う。それと検査用の血液を数10cc取られてあとは検査結果待ち。問題なければ登録完了というはこびです。取り敢えず今日はここまで。
さ、登録手続きも終わったし帰ろうかなぁと思っていたら受付のおねえさん、「ついでに献血もして行かれますか?」と何やら訴えかける子犬のような目で見つめられては断るわけにもいかず「…はい…。」成分献血をしてしまいました。’98年1月某日穏やかな冬の日でした。

 程なくすると何やら〒物が届きます。ドナー登録された旨通知の封書。中にはドナーの証、ドナーカードが入っています。ただのプラスチックのカードで磁気フィルムが付いているわけでもICチップが付いているわけでもなくホントにただのカード。あまり意味無い?ともあれこれで私もようやくドナー登録者の仲間入りです。

 後日家族(実家の両親と離れて暮らし各々家庭を持っている兄妹)にも話したところ兄妹は「いいんじゃ無いの?」と軽い感じ。両親は「まぁ良い事なんだし自分で決めたんだから反対はしない。」やや微妙ながらも肯定的。
これで家族の同意は得られたかな?(今思うとこれが甘かった)

初コーディネート

 確かその年の夏、いつもの機関誌とは違う大きな封筒が届きました。『重要』と赤い印刷がしてあります。ん?何?開けて見ると「あなたのHLAが登録患者さんのものと一致しました。今後の提供の意思をあらためて確認させてください。意思が変わらないようなら3次検査をさせて下さい。」という旨のものだったと思う。問診表のようなアンケート用紙が4~5枚と返信用封筒が入っている。骨髄提供の意思に何ら変わりは無く「お、いよいよ来たかぁ」と何かワクワクしていました(自己満足の世界)。後日コーディネーターと名乗る女性から会社に電話がありました。今後のコーディネートの進め方の説明と3次検査についてのスケジュール。今回の調整医師はS病院小児科のDr.M浦。

とある平日、有給休暇を取ってS病院へ。入り口を入ったすぐ脇にコーディネータさんいらっしゃいました。ほっそりと清楚で上品そうな感じの方でした。Dr.お仕事の合間を縫ってのコーディネート、いそいそと小児科の診察室へ。前からもらっていた骨髄移植についての冊子の読み合わせ(意味無いような気もするけど一応決まりらしい)、Dr.から医学的な説明、提供の意思確認と進んで採血です。処置室へ。何やらアンパンマンにキティちゃんと賑やかだ。さすが小児科、採血してくれる看護婦さんも子供みたいだぞ。あとは以降の結果を待つだけ。コーディネーターさんに聞いたところドナー登録者のうち実際にドナーとなるのは約1割だそうです。3次検査以降の確率は約3割。結構狭き門ですね。

 もし駄目でもドナー登録後すぐHLAが一致した人は何度も繰り返し一致する事は多いらしい。日本人の赤血球の血液型はA型が一番多いらしいがHLAにもそんな型があるのかな?

 じゃあまた、とコーディネーターさんとお別れ。その後2ヶ月音沙汰無し。随分涼しくなったころ1通の封書が届く。「コーディネートは終了しました。」
……なるほど。なんかそっけないなぁ、こんなもんか。なぜ中止になったかその理由はドナー候補には明かされません。ということで今回はこれにて終了。

2度目のコーディネート

 2回目のHLA一致の連絡は’02年の春、今のマンションに引っ越したばかりで骨髄バンクの事なんぞすっかり意識の端っこにあった頃見た事のある大きな封書が届いた。前回途中終了だったこともあり少々冷めています。どうせ途中で終わりだろっ、てなモンです。見た事のあるアンケート用紙5枚ほどをサラサラと書いてさっさと投函。しばらくしてまた封書が届く。
「コーディネートは終了しました。」ほらね、やっぱり。しかも今回は3次検査前に早くも終了。こんなモンさ。少々いじけ気味。

3度目のコーディネート

 2度目の記憶が覚めやらぬ’03年春、またもや見慣れた封書が届く。もう要領はわかっています。アンケートを記入して投函。今回は程なくして電話がかかってきます。バンクのコーディネーターのO野さんから。「ドナー候補に選ばれましたのでコーディネート終了までよろしくおねがいいたします。付きましては3次検査の日程を調整したいので云々…。」その後すぐに封書が届きます。コーディネーター、調整医師など等書いてある用紙と3次検査の案内について。早速O野さんに希望日程連絡しやがて3次検査の日がやってきました。待ち合わせ場所は県立T病院。今回の調整医師はT病院(血液)内科のDr.K谷。

 梅雨時の妙に暑いとある晴れの日、T病院内科病棟(6F)のミーティングルーム(看護婦さんや医師達が打合せや会議に使うらしい)というあまり広く無い部屋に約束の時間に着いて部屋で待つあいだO野さんと雑談、O野さんは気を遣っていろいろと話し掛けてくれますが私は口下手で話題も豊富じゃないので会話はあまり弾みません。O野さんごめんなさい。

 待つ事15分ほど、遅れてDr.K谷登場。忙しい合間を縫って来ているのでしょう、何だか汗だくです。久しぶりの読み合わせです。Dr.K谷は無表情で淡々と説明してくれます。ちょっと怖い。

 提供の意思と家族の同意(これはやや念を押された)に変わり無い事を確認してDr.K谷自ら採血して3次検査終了。解散前の雑談中にDr.K谷は「ドナーに決まったら本当に提供してくれるんだろうな、最終同意で翻したりしないだろうな」と言うような事を遠まわしに言ってきた。どうやら土壇場で断る人が結構居るのかも知れないと私は勝手に想像した。どうせドナーに選ばれる前にコーディネート終了だと思うけどね。

 私は心中「望むところだ、もし最終候補者になったとしてもドナーの都合でコーディネート終了にしたりはしないぞ」と心の中で思っていたが、事はそうすんなりとは進まなくなってくる、しかもドナー側の都合で。

最終同意

 それから暫くして(1ヶ月は経ってなかったと思う)O野さんからTEL、「最終候補者に決定しましたぁ♪♪(何だか嬉しそう)。最終同意確認の日程調整をしても良いですか?今ならまだ断れますが。」
お〜〜♪何だか久々のワクワクだぞ(患者さんの事を考えると不謹慎かも知れないが)。二つ返事でOK。

 最終同意の日取りが決まった。メンバーはDr.K谷、O野さん、立会人、私。本来は家族も同席するのだが私の場合両親とは遠く離れて暮らしているので両親の最終同意は後日バンクの支部のコーディネーターさんが赴いて別途行うとの事。個人的には近くに住んでいる兄にでも同席してもらおうかという思いでいたのだがO野さんに「奥様、ご主人または親御さんに同意を頂くのが通例です。なるべくそうしてください。」と言われ渋々従う事にする。

 梅雨も明けようかというある日、前回と同じ部屋で最終同意が行われた。立会人はバンク側に選んでもらう事にしていたのだが1回目のコーディネーターさんだった。お久しぶりですねと短い挨拶を交わし最終同意開始。
資料に沿って型どおりの説明の後同意書に署名・押印。これで残りは私の親の署名・押印で後には引き返せなくなるわけだ。最後にDr.K谷から「御両親の同意は頂けるんでしょうね。」と再三念を押される。
「ドナー登録のときは肯定的だったから多分大丈夫だと思うんですが…。」実際大丈夫だと思っていて同意を得られる自信があった。が、その自信は音をたてて脆くも崩れる。

 2〜3日後、O野さんからTEL。「ご両親が最終同意に反対なさってます。どうしましょうか?(コーディネート中止しましょうか?という含みがある)今なら次の候補者とコーディネートする時間が有ります(患者さんはあまりのんびりとは待っていられない病状という含みが有る)。」!!!?なにぃ〜〜〜???!何事だ、一体。
帰宅後早速実家へTEL。電話口にはいつもどおり母が出た。どうやら父が反対している模様。その理由は知り合いのおばさんのそのまた知り合いの女性(50歳くらい)が彼女の姉の為に骨髄移植をしたらしいのだが(血縁間骨髄移植なので骨髄バンクは介していない)提供したその女性の体調が1年たっても回復せず思わしく無い、との情報によるものらしい。
挙句の果てにバンクから登録を抹消せよとまで言い出す始末。上記の例は今の場合と条件が違う!

その1.骨髄バンクを経由していない。バンクを介した場合ドナー候補者の健康状態は入念にチェックされ少しでも思わしく無い場合は候補者から除外される。不健康なドナーの骨髄で患者さんの治療に影響出るかもしれないしね。

その2.ドナーが高齢。バンクではドナー資格は50歳まで(ギリギリか・・・) 。

更には情報が又聞き、尾ひれが付いているかもしれない。

 説得しようと思うも取りつく島も無い様子。この時は私もやや感情的になりかけていたのでこれ以上話が拗れるのを避けるためひとまず電話を置く事にした。
O野さんには平謝りで申し訳無いけどもう一寸待ってくれと無心をする始末。翌々日再度TELを試みるも進展無し。弱った、このままでは私にとっては最悪のドナー側の都合でコーディネート終了では無いか。
もたもたと時間ばかりかけても患者さんに申し訳無いしどうしようか??……あっ!こんなときの為のインターネットでは無いか!骨髄移植関係のサイトのBBSで相談して見ようと思いつきいくつかのサイトで書き込みをして見る。レスがいくつか付いた中でこれは、と思うもの2つを使わせていただく事にする。

(1) 電話ではなく手紙で訴える(そもそも私は説明下手で口下手だ、でも筆不精でもあるが…)。
(2) 私が白血病になったらバンクに頼らず見殺しにするのか、と訴える。

で翌日徹夜してワープロで草案を書きO野さんにFAXしデータ的に間違って無いかチェックしてもらう。指摘個所を訂正して手紙を認め(手書きで便箋五枚)直ちに速達で発送。これでも同意してもらえなければ覚悟を決めてコーディネートの終了をお願いするつもりでいた。
2日後母からTEL。「仕方が無いからあんたの意思を尊重する事にした。」ふぅ〜〜〜っ。一区切り。両親が反対表明してから1週間経っていました。直ちにO野さんに一報を入れコーディネート続行してくれと頼みます。何とかつながったぁ〜…。最終的な骨髄採取予定日は10月X日と決まりました。

 採取を終えた今、冷静になって考えて見るとこの時の私は同意しない親の気持ちをまるで考えてなくて早くコーディネートを進めようと言う事しか考えていなかった節が有りちょっと反省しています。同意を強要したような感じです。
次回(あるかどうかは?)はこのような事が無いようにしよう。


( 実家に送った手紙の草案 )
 前略、そちらは梅雨が無いとは言え体調を崩してはいませんか。こちらは梅雨の真っ只中、体調を崩しかけている人もいるようです。私は忙しいながらも元気に過ごしております。


 先日骨髄提供の最終同意確認があったのですが、自分自身の考えをまだきちんと伝えてなかったのでここで伝えておこうと思います。本当はもっと早いうちに伝えておかなければならなかったのですが、遅くなってしまい申し訳ありません。

 骨髄バンクにドナー登録をしようと思ったのは九六、九七年頃でした。実際に登録したのは九八年です。全国にいる白血病や再生不良性貧血の患者さんたちが完治し通常の社会生活を送れるようになることでその方々が他の人達に感動を与える事が出来たり社会に貢献する事が出来るかも知れない。自分自身の存在とその可能性は一人分ですがそれが二人分になり三人分になるかも知れない、と思ったからです。患者さんの中にはまだ幼い子供も沢山います。子供は大人達の手が届かない未来にも手が届く、可能性のかたまりのようなものです。長くは生きられないことが「約束」されている子供達がより大きな可能性を手にする事が出来るかも知れない。そう考えたからです。勿論今でもそう思い続けています。(そう言うなら早く結婚して孫の顔でも見せてくれと言われれば返す言葉がありませんが。)世の中そう甘いものではない、という人生の先輩としての意見もあると思います。でも信じ続けたい心のよりどころは誰にでもあると思います。物であったり人であったり…

その一つが私にとって骨髄を提供する(出来るかも知れない)事なのです。


 骨髄採取時の医療事故のことを心配して頂いているようでありがとうございます。その暖かい心根は例え実の親であっても痛み入ります。過去に骨髄バンクを介して行われた国内での骨髄採取でも医療事故が実際に存在します。そのすべて合わせても一%未満です。死亡例や重篤な後遺症の例はありません。バンクを介した骨髄採取の場合はドナーの費用負担もありません。採取費用は移植患者側とバンクで負担します。(検査の際の県立T病院までのバス代も支給されました。)ドナーの負担は「からだ」と「時間」です。万が一事故が起こった場合の通院、入院、治療費もすべてバンクが請け負います。

 当県に限って言えば骨髄採取、移植を行う病院は県立T病院と決められていてこの病院ではこの二〜三年の間骨髄バンクを介した骨髄採取が年七〜八件実施されています。(バンクを介さない血縁間の例も含めるとその何倍も行われています。)過去十年まで遡っても前述のような医療事故はありません。幸い県立T病院は骨髄移植の分野に限って言えば技術、知識とも全国的に見ても優れているようです。とはいえ事故の確立は〇%ではありません。現実の世界で「絶対」はあり得ません。どんなことでも行動を起こそうと思えば大なり小なりリスクが伴います。オートバイでツーリングに行っても死亡事故の可能性はあるし登山に行けば遭難するかも知れません。スキーに行ってゲレンデで転倒、骨折ということも起こり得ます。


 怪我や病気で入院してしまったらどうでしょう。以前、御父さんが胃ガンで入院したと聞きずいぶん心配しました。その後も胆のう切除などで二度も入院したとあとで聞いてとても驚きました。この正月に屋根から落ちたとき、下へ降りて傍に行くまでのほんの短い間に「どうか無事でいて、無事で…」と心の中で何度も祈り続けました。肉親の有事に正気でいられる人なんていないはずです。皆そうです。もし私が白血病に侵されてしまったら心配してもらえますか。どんな治療でも治る可能性が少しでもあれば応援してくれますか。化学療法でも骨髄移植でも…。


 今回、最終同意に賛成してもらえなくても骨髄バンクから登録を抹消してもらうつもりはありません。提供の意思があるかと問われれば「ある」と答えます。もしかしたらとても親不幸をしているのかも知れません。でも決して間違った事をしているとは思いません。むしろ自分自身を誇らしくさえ思います。人は行動の自由を妨げることは出来ても心の自由を妨げることは出来ません。考えや思いは心の底から湧き上がってきます。誰にも止められないのです。

 これが今の私の正直な今の気持ちです。


 これから暑くなります。体調管理をしっかりして体を壊されぬよう心も体も健やかにお過ごし下さい。

草々

9月某日:最終検診&自己血採血

 最終同意も得られコーディネートは着々と進みます。患者さんの情報も…東京在住の40代の女性、とのこと。
いよいよ最終検診、9月のある日にT病院でO野さんと待ち合わせ。今回は1階にある内科の外来へ行く。O野さん、忙しそうに動き回っている看護婦さん達の中からある一人に声をかける。その看護婦さん、サッと書類と診察券を準備してテキパキ説明してくれます。速くて判らん(笑)。O野さんも初めてでは無いのでその看護婦さんと二言三言確認して、私にあっちですこっちですと案内してくれます。

(1) 採血 : この間確認したろっ。いえいえ前回のはバンク側で検査確認するのに使ったもので今回のはT病院内で検査確認する為に使うもの。採る量も少し多い。大小とりまぜ5本くらいの試験管のようなカプセル容器に全部で50ccくらいか?その後耳たぶにチクッと傷をつけ血が止まる時間を計ります。

(2) 検尿 : 紙コップに取るお馴染みのやつ。

(3) X線撮影 : 「すって〜、とめて、ハイッ、いいですよ。」のいつものやつ。

(4) 心電図 : 胸の周りに電極を5~6本付けてグラフを取るやつ。

(5) 呼吸器検査 : 肺活量測定のような紙の筒を咥えさせられ「お〜きく息を吸って〜は〜い、まだまだまだまだ吸って吸って吸って、はい、一気に吐いてぇぇ!!!」とか何度もやらされる。頭がクラクラ。

(6) 麻酔科検診 : 麻酔科医の問診、T病院の麻酔科は産婦人科・小児科の中にあるのでO野さんと二人場違いな待合所で待ちます。周りは子供と女性だけ、身重の女性に赤ちゃんを抱っこした女性、子供の手を引いているお母さんとホノボノした光景の中にむさ苦しいオッサン一人。
問診が始まりここで少し問題が。挿管(麻酔の間呼吸用のチューブを気管に通す)用の補助具(L形の金属パイプ)で前歯が折れるかもしれないという。私の前歯は神経を抜いて脆くなっているのが一本だけあるためこれが持ちこたえるかどうかわからないとの事。マウスピースをすれば大丈夫だろう、ということで片付けられてしまった。念の為、折れた場合の治療費(刺し歯などの)はどうなるのかをO野さんに確認してもらう事にする。バンクの保険が利くらしい。

 さて、一通りの検査の後には外来へ戻ってDr.K谷の総合診断。

 総合診断の結果どうやら心電図に難有りらしい。波形が普通の人とちょっと違うとの事です。心エコー(超音波で心臓の形と動きを見る)で詳細チェックして可否を判断しなければならないがそれは予約が必要な為また後日来てほしいとの事で日取りを決める。
自己血は1ヶ月以内の範囲で取るらしくこの日はまだ早すぎるので心エコーのときに採血する事にした。採血量はまだ判らないが一応2回に分けて800ccを予定しておいてください、と。
最後に血圧測定と心エコー受診の説明をしてもらいます。およそ2週間後に心エコーの予約をして終了。午前中から行って終わったのは2時ころだったか。ちょっと疲れた。

 採取日が10月X日に決定し、それに備えて禁煙することにした。患者さんの為に少しでも質の良い骨髄を提供するため、とかそんな高尚な理由では全く無くあくまで自己中心的な理由による。以前喫煙者である父が胃癌で胃を摘出した際、全身麻酔をしたのだが覚醒直後から猛烈な痰のからみに襲われたらしい。痰がらみを少しでも緩和しようと禁煙をする。麻酔科のDr.からも「10日くらい前からでも十分効果があるので採取日まで是非続けてください、できれば採取後も・・・」と言われた。

 ホームページとかでドナー体験記など見てみると痛みや医療事故に対するドナー諸氏の不安などが綴られていることがあるが、私にとって一番の不安は事故などで骨髄液が採取できなくなることであって採取さえ無事終えればあとは後遺症が残ろうが死んでしまおうがあまり気にして無い(今でも)。妻子がいないと言う事もあると思うがいざそのときになると泣き叫びうろたえるかも知れない、でも今の気持ちはそうなのである。逆に考えると他のドナー諸氏は私のような軽い乗りではなく、そんな数々の不安を乗り越えて提供を決意しているのだから頭が下がる。

9月某日:再検査―――心エコー

 今回はO野さん都合で来られないとの事で一人で内科外来へ。例によって忙しく動き回前回の看護婦さんを捕まえて診察券を渡す。前回心電図を取った二階の受付へ行き診察券を渡し、待つ事30分以上。ようやく番が回ってきた。

白衣を羽織った担当の方(Dr.?研修医?エンジニアか?)は小さな目で眼鏡をかけていてまだあどけなさの残る小柄な女性。か細くも優しい声で応対してくれます。
まずは半裸になってベッドに横たわる。彼女に背を向けるようにして横臥すると彼女は手に持っていたケーブル付のペンのようなものの先にゼリーのようなものを塗りこみ私のわき腹から抱え込むようにして心臓部にペン先を当てて軽くグリグリします。私の背中には彼女の腕、わき腹から腰にかけてがやや押しつけ気味にぴったりと密着しています。ちょっとドキドキ。超音波映像に影響が無きゃ良いのですが(笑)。

ようやく終えて再び内科外来へ、Dr.K谷によると特に問題無いそうでコーディネートは更に進みます。最後に自己血の採血400ccをして終わり。看護婦さん、私の血圧を測定してくれます。採血前100とちょっとあった血圧が採血後90台まで落ちていてその看護婦さん珍しく少しだけうろたえていました。

 事前にO野さんからの連絡で自己血は400ccあれば十分と言う判断で二度目の自己血採取は不要と言う事になっていたので次回の来院は骨髄採取のときとなります。そのときの手順の説明を看護婦さんから受ける。前日に直接電話連絡してもらう事になり再診と採血、午前中で終了。

入院〜骨髄採取前日

 10月X−2日夕刻、残業中にT病院の看護婦さんから携帯電話にTELあり、「明日の14:00に入院受け付けをして2階の北病棟ナースステーションへ行ってください。」とのこと。更には「一般病棟の個室が空いていなかったので小児病棟になりました、すみません。」と。
こちらはそんな事まったく気にはして無くてむしろ子供達の中にこんな大人が入っても良いのか(個人的に『子供=きれい』、『大人=汚い』という意識がある)?無理して個室じゃなくても一般病棟の相部屋でも良かったんじゃ無いかなぁ。他の人の体験記とかでは救急病棟をカーテンで仕切ったエリアに入院したっていう人もいるみたいだし。でもそれはまわりの他の患者さんにとって良く無いのかな?兎に角小児病棟だそうです。

 翌X−1日〜X+2日は有給休暇を取った。職場の上司には以前から話をしてあったのだが「そういう事なら是非頑張ってきてくれ」とか「個人の休暇ではなく会社が特別休暇制度をつくったほうが良いのではないか」などと言ってくれました。
入院は14時からなので午前中に入院の荷造りを済ませ暇になる。部屋の掃除と庭の雑草むしりとゼニゴケ退治をする。その後ホームセンターとショッピングセンターで買い物をしてるとお腹が空く。お昼食べて言いのかなぁ?聞くの忘れた。まぁいいや、ベーグルサンドでちょっと補充。
そろそろ時間、T病院へ。駐車場に車を駐めて入院受付へ鞄を担いで行く。

「骨髄バンクドナーのはたのですぅ…」すると受付のおばさん「あ〜、ハイハイ、2階の北病棟へ行ってください。」とすぐさま返事が。階段を上って2階北ナースステーションへ。受付ではどこかの業者の人と看護婦さん、お話中。終わるのを見計らって「ドナーで来たはたのです。」「あ、はい」と看護婦さん、奥にいる別の看護婦さんに声を掛ける。その看護婦さんが案内してくれます。病院着を準備してくれました。上下セパレートのヤツとワンピース(帯の無い浴衣みたい)のを1着ずつ。手術のときは浴衣もどきのを着るのだそう。それ以外のときはセパレートの方が楽だろうというので2種類準備してくれた。

その後身長体重を計ります。「うわ、背が高いですね。」そりゃそうだ、このフロア、西病棟は産婦人科で北病棟は小児科だ。女性・子供でこんな身長のヒトはそういないだろう。続いて病室まで案内してくれます。途中でトイレやシャワーの場所も教えてくれます。

部屋は広さ10~12畳ほどの広い部屋に大きなキャスターが付いたベッドがひとつ。すぐ横にベッドでお食事用のテーブル、反対側には有料カードテレビ、東側に大きな窓、その下にはエアコン、その横、部屋の隅には小さなシンクがあります。看護婦さんから入院に関する簡単な説明を受けます。今日からここで3泊4日の居候となります。

 暫くするとベテラン看護婦さんがやってきていろいろと説明を受けます。食事は21時まで、飲み物は24時まで可能とのこと。血圧と体温を測り簡単なアンケート(問診?)をされる。このときの質問のなかに「採取当日にはどなたが付き添われますか?」いえ、誰も来ません。「えっ?」誰も来ませんが。「どなたも?」はい。何度も聞くなぁ。普通は誰か来るもんなのか?

そして、「血液検査と尿検査をしますのでその後心電図とX線撮影をしてきてください。」との事で病棟の処置室へ。「しょちしつなのだ〜」とクレヨンしんちゃんがお出迎え。さすが小児病棟、やっぱりアンパンマンにキティちゃん、名探偵コナンにくまのプーさんと賑やかです。血を採ってもらい紙コップに尿を採ってきます。その後診察券を持って同フロアの心電図コーナーへ、淡々と進みます。1階へ降りてX線。また2階北ナースステーションへ戻り診察券を渡します。

部屋に戻るとO野さんが来てくれました。世間話をしているとまた看護婦さんやってきて「明日使う抗生物質のアレルギー検査をします」と、皮下注射2本。それぞれの注射跡に目印の文字を油性ペンでちょこちょこっと書いて行きました。「手術のときは『T字帯』にはきかえて下さい。T字帯持ってますか?」持って無いです…。「売店で売っていますから準備しておいてください。」それってどんなのですか?「どんなものかあとで持ってきますね。」でも持ってきてくれなかった(笑)。

一通りの検査をすると暇になる。売店で水とタオルとテレビのプリペイドカードとT字帯を買って来る。T字帯は不織布でできた赤ちゃんのおむつカバーのような形、ベルクロ留めになっていて使い捨てらしい。ひとつ200円。
暫くすると三たび看護婦さん、手にバリカンのようなシェーバーのようなものを持っている。「剃毛しますよー。仰向けに寝てください。」剃毛?前も剃るのか??ドギマギ(笑)・・・後ろだけでした。「あんまり毛が生えてませんねぇ。剃らなくても良いかも知れませんけど産毛だけでも剃っておきましょう。」同時にさっきのアレルギー検査のチェック、全く異常無し。

 ところで晩メシどうしようかなぁ…。実はこの日の14時から入院なので晩御飯は準備されていたのだが何故かこのときは自分で調達しなきゃならないと思いこんでいた。
18時少し前にすきっ腹を抱えて1階売店奥の外来食堂へ行きカツどんを食べました。まぁまぁのお味。18時過ぎ部屋に戻ると御盆に食事が置いてある…。あぁ、そうかとこの時初めて気が付いた。食事は病院が準備してくれるんだ。
まだ胃袋には多少の余裕があるので食べるとするか。ん?汁物が無いな。水買ってきたしまぁいいか。いったっだっきま〜す…あ、箸がない。そうそう割り箸持ってきたんだった。何とか完食。テレビのニュースを見てもう何もする事が無いので着替えて寝ます。

採取当日

 X日朝、起きて顔洗って待っていると看護婦さんがやってきました。
検温、血圧、脈拍測定、心肺音を診ます。「麻酔の前に手術着(浴衣もどき)に着替えてT字帯にはきかえてシャツなどは着ないでおいてください。」と説明を受けます。

言った通りにして待っているとまた看護婦さんがマスクをしてやってきて点滴針を左腕(肘と手首の間くらい)に付けてくれます。点滴針など全く見ずに看護婦さんの顔ばかり見ていました(笑)。この時付いていた点滴は水分補給の為の物だそうです。電解液?生食?なんかそんなものらしい。点滴チューブの途中4箇所ほどT字形に分岐してありそれぞれにコックが付いていて流れ方向を制御できるようになってました。

今度はDr.K谷登場、「昨日の検査では全く異常ありませんでしたので予定通り手術を行います。頑張ってください。」はいはい。また暫く待っていると看護婦さんから何やら薬をもらいます。小さな透明プラスチックの瓶にトロッとした透明な液体が少し入っています。ラベルに『〜シロップ〜』とか書いてあったような気がする。「麻酔を効きやすくする為のお薬でちょっと苦いのですが全部飲んでください。」言われた通り一気にのみ干す。甘くてほろ苦い。

「横になってください。」はい。キャスター付きの点滴台はベッドの角に付けかえられた。そうすると他の看護婦さんが二人やってきて「はい、では行きますよー。」と私の寝ているベッドを足のほうを先頭にしてゴロゴロと押して運んで行く。
あぁ、天井がサーッと流れて移動するシーン、ドラマの病院のシーンと一緒だ(笑)。医療用エレベータを経由して4階手術室のフロアへ。何やら手術を受けに来たほかの患者さんのベッドもちらほらと。ナイトキャップのような白い帽子をかぶせられる。

ここで病棟看護婦から手術スタッフへ患者(つまり私)の受け渡しがある。壁を隔てた向こうに手術スタッフ、壁には巾2m高さ1mほどの開口部、受付カウンターのようになっている。そのカウンターテーブルが幅広のベルトコンベアになっていてここに患者を乗せてこっちのベッドから壁を隔てたあっちのベッドへと運ぶしくみ、面白い。コンベアに乗せられ向こう側へ。受け入れスタッフは「私、担当では無いのですが○○です。どこも異常無いですか?担当の者が来るまでお待ち下さい。」

まもなく小柄な女性スタッフ現る。今度は手術室エリアの廊下をゴロゴロと進みます。途中、渋滞でストップ。横を向くと部屋のドアが開いていて中に医師らしきヒトが何名か…。担当の女性スタッフに「舞台裏なのであまり見ないで下さい(笑)。」はは。程なくベッドは進みだし突き当たりを左に折れ少し進んで左側の部屋に入る。

部屋に対してベッドが斜めなのが気になる。BGMが流れている。クラシックかなんか穏やかなゆったりした曲。帽子にマスク姿の人が上から覗き込み「麻酔科のH口です。」と年配の女性の声です。「今日(のスタッフ)はこれだけですか?じゃぁ始めましょうか。」私の周りには確認できただけで医師含め3名の女性スタッフ。女性が多いねぇ。まずマウスピースのようなものを咥えさせられる。もっと柔らかいゴムのようなもので出来ているのかと思っていたが硬い半透明のプラスチックのようなものだった。口を閉じるとハグキに当たって痛い。口に酸素マスクのようなものを嵌められる。シュ〜と何かガスか空気のようなものが出て来てます。

左手の人差し指の先にバネの弱い洗濯バサミのようなものを付けられる(血中酸素濃度を測っていたらしい)。左の女性が「○○の薬を入れます。少し痛いかもしれません。」徐々に左腕が熱いような感じになってくる。「ヒリヒリするような感じです。」と私。それから二呼吸ほど深呼吸をしてから後の記憶が無い。
 ・
 ・
 ・
目が覚めると病室のベッドの上。夢も見ていない。口にマスク、弱いゴムで後頭部から引っ掛けてある。マスクは壁に付けられた液体の入ったポリ容器にチューブで繋がっている。ポリ容器のなかでポコポコ泡が立っている。マスクからシューとなんかガスが出ている。酸素を出していたらしい。点滴台には袋が二つ、透明な大きいのと黄色い小さいの。意識がおぼろげで記憶が曖昧。

* 誰かに声を掛けられボンヤリ…「骨髄液は…」私。「無事採取できましたよ。」女性の声、看護婦さんか?
* 目が覚めて傍に看護婦さん。「自己血は輸血したんですか?」私。「今してるところですよ。これですよ。」と看護婦さん、さっきの黄色い方の点滴袋を触る。
* 目を覚ますと目の前にDr.K谷。私「骨髄液は採れましたか?」。Dr.「大丈夫ですよ。850cc採れましたよ。穴は3ヵ所明けましたよ。」

上記の記憶ははっきりしない。順番もわからない。ホントはもっといっぱい見て聞いて喋っているのかも知れないが覚えていない。誰かに記録してもらえば良かったか(笑)?

夕刻、看護婦さんが体温血圧脈拍測定にくる。採取部の痛みは局部的ではなくぼんやりと全体的にほんのり痛い感じ。喉がいがらっぽい。目眩や吐き気は全く無い。寝返りを打とうとすると採取部が痛むが激痛では無い。患部には生理用ナプキンのようなガーゼが二つ貼ってある模様。こちらの病院では尿道カテーテルは付いてません。
夕方にはもう立って歩けるようになりました。患部はまだやや痛むので気を遣いながらですが点滴台をゴロゴロと引っ張ってトイレくらいは普通に行ってました。

 少しお腹が空いて来た所で晩御飯です。昨日の夜から何も食って無いからなぁ。お待ちかね〜♪
隣の病室から「わ〜っ!カレーだぁ♪」と子供の声。いつの時代も子供の好物か。さ〜て頂きますとどんぶりの蓋を開けて絶句。お粥だ。昨日御盆の上に乗ってた札には『常食』と書かれていたが今日のは『全粥』。…だっておかずはカレーだよ、カレー。カレーにお粥かよ、おい。まあ仕方ないな。一気に平らげてしまった。お粥はこの1回だけで翌朝食からはまた常食でした。

少しテレビを見てウトウト・・・。暫くすると看護婦さん顔を出し、「消しても良いですか?」あ、お願いします。消灯時間か。窓から月明かりがこうこうと射し込んでます。終わったのかぁ…何かあっけないなぁ。手術中は意識が無くて時間がすっぽりと抜け落ちてる感じだからあっという間に終わったような。

夜は寝たり起きたり。たまに看護婦さんがそっと見まわりに来てくれます。点滴が空になって取り替えてくれたり量を調整してくれたりめくれた布団を直してくれたりと何だかホッとするような甘えているような何とも言えない気分です。

採取翌日

 プロトレック(CASIO)のタイマーを6時にセットしておいたのだがそれより早く目が覚めた。
喉のいがらっぽさは無くなった。患部はじっとしていれば全く気になら無い。寝返りをうったり圧迫すると痛い。イテテテ…という感じ。

6時過ぎ、看護婦さんが検温に来ます。血圧を測ってもらいながら少しお喋り。点滴はいつ外れるんだろうか?「今つけてるのが無くなったら終わりですよ。」結局点滴が外れたのは午後だった。
その後やや年配の看護婦さんが現れて挨拶してくれました。「看護師長のK山です。」そう言えばナースステーションのカウンターに看板が立ってたな。今は『看護婦』じゃなくて『看護師』って言うんだね。
「なにか不都合は有りませんか?」いやぁ〜、皆さんお綺麗でしっかりしていてとても良くして頂いてます。ありがとうございます。K山さん、ややはにかみつつも嬉しそうな笑顔をしてました。

その後、検温で37度台が出た。「あ、少し熱がありますねぇ。寒気とか火照りとか無いですか?」う〜ん、無いと思うんですけど。「氷枕もって来ましょうか?」このまま様子見ます。

 午後点滴が外される事になった。これで着替えができる。浴衣もどき&T字帯ともオサラバ♪。
看護婦さんテキパキと外しにかかりますがしっかり貼り付いていてなかなか外れません。ようやく外れて針を抜きます。あっ、何か短い、それに柔らかい。こんな針が入っていたのか。スポッと言う感じで抜けました。あ〜これで点滴引きずらなくてもトイレにも売店にも行ける。

そのすぐ後に「まだシャワーは出来ないので体を拭くものと着替えを持ってきますね。結構汗もかいてたみたいなので。」う〜ん助かる。
そしてオレンジ色の蒸タオル(スポーツタオル大)を3本とセパレートタイプの病室着を持ってきてくれました。手早く体を拭いて着替えます。

 暫くすると看護婦さん、「お父さんから電話がかかってるので出てあげてください。」あ〜、病院にまで電話掛けてきたかぁ。まぁ1度も電話してないしな(しかし後でO野さんが採取中と採取後に電話をしてくれていた事が判る、まったく)。
寝たり本読んだりしてるとまた検温、またしても37度台だがやや下がった。「微妙〜に下がってますね(笑)。」全然自覚症状無いんだけどな。

 また来客、今度はDr.H口。あの『麻酔科のH口です。』と言っていたDr.だ。面長で優しい顔つき、年配の女性。
「どうですか?」いたって快調です。点滴も外れたし。「何か異常あったら言ってくださいね。」はいはい、ありがとうございます。

 その後の夕食も完食。病院食って塩っ気が無いなぁ、まずくは無いけど。量も少なくて物足りない。
食後に実家へTEL。取り敢えず元気と伝えておく。結構好き勝手に歩き回っていたのだがふと思うと周りは何らかの病気で来ているのにこちらは元気に病院内を好き勝手歩き回っている。何だか少し居づらい雰囲気。
19時頃、兄が雑誌を持って見舞に来た。全く元気そうな私をみて少し拍子抜けだったようだ(笑)。

 もうテレビを見る気も無いので消灯前に電気を消しちゃいました。
今夜も良い天気。明日退院だなぁなどと考えながら暫くぼ〜っと窓の外を眺めていました。この夜は前夜とは違って途中ほとんど目を覚ましませんでした。

採取2日後(退院日)

 6時起床。朝の検温、何とか平熱に戻る。「何とか下がりましたねぇ〜、熱。退院予定は…?」今日のはずなんですけど…。「コーディネータさんとは話されましたか?」いえ、手術後会っていません。「う〜ん(困ったな、と言うような表情)、そうですか。」

暫くして別の看護婦さんが来ました。「採血と検尿しますので処置室へお願いします。」はいはい。カプセル2本分の採血をして検尿容器を渡される。紙コップじゃなくて透明プラスチックのコップにスクリューキャップがついたような容器。尿を取ったら所定の位置に置いておきます。

病室に戻ると今度は検温してくれた看護婦さんがやってきて「患部を見せてください。」うつ伏せに寝ます。パンツを半分ほど下ろされて例のガーゼを剥がされます。「大分良くなってますねぇ。」と言って消毒し普通サイズの絆創膏を3枚貼られた。

「もう今日からシャワーとかは大丈夫ですけど傷口には絆創膏など貼っといてくださいね。お家に絆創膏とか有りますか?」絆創膏自体はいくらでも有るんだけどなぁ。これ一人で貼るのは大変そうだ。「狙ったところに上手く貼れるかどうか。」と、私。

 程なくDr.K谷がやってくる。「尿検査も問題ないし血液検査もほぼ問題なさそうです。まだ一項目結果待ちですがそれもすぐ結果がわかるでしょう。」と言って去って行った。
次はO野さんやってきます。何だか久しぶり。「どうですかぁ?」快調です。術後アンケートをして話していると10時頃看護婦さんが私の診察券を持ってやってきました。「先生から退院の許可が下りたのでいつでも退院して結構ですよ。」

いよいよ退院だ。ちょっと居づらいような気分だったので(勝手にそう思っていただけかも知れないが)そそくさと荷造り着替えを済ませる。
帰りしな、ナースステーションへ挨拶しようと立ち寄ると他の看護婦さんが「○○さん、手術終わったそうです。」「では、行きますかぁ」などと慌しくなりそうなようすだったので挨拶は手短に、お世話になりました。ありがとうございます。健康体と診断された以上一刻も早くここから立ち去らなくては。

 多分、この病棟に来る事はもう2度と無いと思います。お世話して下さった看護婦の皆さんありがとうございました。

 颯爽と胸を張って病院を出ました。出口でO野さんに呼び止められ「術後検診の日程調整をしたいんですが。」通常術後2~3週間後に検診をするのだそう。手短に話を決めて別れる。お疲れサマでした。

秋晴れの中、車で自宅へ帰る。ほんの4日空けただけなのに随分長く帰ってなかったような変な感じ。禁煙解除で早速バット(愛用のゴールデンバット)に火をつける。う〜、頭がクラクラ(笑)。大事を成し遂げたんだぁ、という思いと、実は全然大した事無い普通の事なんかな、という思いが複雑に入り混じっています。今日は念の為おとなしく家にいる事にしました。

 夜、お風呂に入ります。風呂上り、患部に絆創膏を貼ろうとしたが予想通り困難を極めた(笑)。鏡で背中を見ながらではなかなか狙った位置に上手く貼れない。何か考えとか無いと。

その後(採取後3日以降〜)

 3日後には普通に外を歩いていました。絆創膏の件は、大きなサイズのもので多少位置がずれてもカバーできるようにしようと思い早速買ってきた。夜試して見たが何とか上手く行きそうだ。

 術後4日目にはJRの夜行に乗って東京まで日帰り旅行もやったがとくに問題無し。結構丈夫な体だ。

 翌週火曜日(10月X+5日)から職場復帰。たまっていた仕事で大忙しの日々。術後検診10月X+19日に決定。

 10月X+10日、採取後初バイク。特に問題無し。翌X+11日には400kmを越えるツーリング、後ろに載せたかばんに丁度患部が当たりそうで気を遣いながら走る。予想以上に寒く疲労が激しい。
患部は順調に回復中、検診までにはかさぶたも取れるかも。痛みはまだ少し残る。打ち身か筋肉痛のような。通常生活では何ら問題無し。

 10月X+13日、術後初の出張。現地作業者宛の荷物(10kg以上はある)も持たされる。2度目の海外出張は韓国。彼の地での状況もいたって良好。トウガラシに含まれるカプサイシンは脂肪の燃焼を助けるらしいが汗もいっぱいかくし新陳代謝も活発になるのかも。帰国はX+17日、O野さんからの留守電が2件入っていた。夜は兄宅ですき焼をご馳走になる。患部は圧迫しても殆ど痛まない。ただ前かがみになると打ち身のような痛みが少しある。局部的では無くボンヤリ痛い感じ。

 10月X+18日2度目のツーリング、蛭ヶ野まで。寒さは19日ほどでは無いが帰路、クラッチレバーを握る左手首がつって運転に支障をきたしそうになる。骨髄液の影響か?帰路O野さんからTEL、痛みの状況確認と明日の健診の念押し。

術後検診(術後約3週間後)

 通常、術後2〜3週間後に調整医師による健康診断がある。半日有給休暇をとりT病院へ。
今回もO野さん都合で来られないらしく一人で内科外来へ。まぁ、一通り担当医師と看護婦さんにはもう紹介してもらってるから別にコーディネーター無しでも何ら問題ないのであるが。

9時過ぎ看護婦さんを捕まえて診察券を渡すとまもなく処置室へ。「ご苦労様でした。どうでしたか?」結構意気込んで臨んだのに以外と呆気なかったです。

体温血圧体重を測定してファイル(カルテ?)を渡される。採血カウンターで採血(カプセル2本)と検尿。外来へ戻り看護婦さんへファイルを返す。「検査結果が出るまで1時間くらいかかりますのでそのくらいに先生の診察です。お時間が無いのでしたら後日診察結果を送りますが。」じゃ、待ちます。「1時間くらい後にここで待っててもらえますか?」わかりました。1時間、院内の喫茶店に行ったり屋外でタバコを吸ったりして過ごす。

 1時間後内科外来へ。Dr.K谷によると極めて良好らしく筋肉疲労値とコレステロール値が若干高い(韓国で旨いものをたらふく食ってきたせいか??)もののほぼ問題無し。筋肉疲労値は前日のツーリングのせいだろう。

診察券を返してもらい手短に挨拶をしてお別れです。これでT病院ともお別れ、当分来る事も無いな。11時健診終了。約5ヶ月間、ありがとうございました。午後からは仕事へ。出張中に溜まった雑務で忙殺される。夜、O野さんから確認のTEL。



 今後の流れとしては、3ヶ月後アンケート、1年後の再登録意思の確認、と言ったところか。個人的には再登録するつもりだし再度ドナー候補になったら提供するつもりです。確率としては極めて低いが。
 実際にドナーとなってみて、提供までにある数々の障害とそれゆえに提供断念しているドナー候補者が以外と多いのでは無いかと感じた。

障害1.本人の意思
まずドナー登録をしよう!とか、しようかな?などと思う人が少ないのでは無いか。ボランティアなので実利は全く無く自身の自由な時間を半日、1日費やしてわざわざ登録する人がいないのでは無いか。

障害2.意思が固まって無い
登録しても実際に提供まで行く事はほとんど無い(約1割)から形だけ登録しておくか、という気持ちでいていざドナー候補になって混乱し辞退してしまう。

障害3.家族の同意
本人は気の迷いもなくやる気満々、でも家族の同意が得られず止む無く辞退。ドナー候補者にとってはなかなか辛いものがある。
反対する家族としては既婚者の場合は配偶者(妻・夫)、私のような未婚者の場合は(両)親。多くはドナー(候補)登録時にはあまり口を出さず声高に反対はしない。
どちらかと言えば(世間的にみても)賛成(した方が良いの)かな、といったような意思を見せるもののドナー候補となり最終同意を迎えるときになって急に反対するパターンが多いようです。
反対理由はドナーとなった場合の身を案じてくれているのだから強く反論できないのがまた辛いところ。

同じ家族でも兄弟姉妹はあまり反対しない場合が多いよう。親や配偶者よりも兄弟の方が当人の心中がよくわかるのかはたまたあまり心配し無いのかはわからないが。


地元県の場合は1.の時点で家族から反対されるか3.で反対される場合が多いのでは無いかと勝手に推測している。
登録可能人口における非血縁者間での骨髄採取(つまりは骨髄バンク経由)件数の割合も全国的にもかなり低いはずだ(県内では年平均7〜8件)。
1度バンクに調査してもらいたいものだ。保守的な人間が多く乱暴に言えば『身内(家だったり地域だったり)さえよければその外側にいる連中はどうなっても良い』といった考えが根底にあるような気がする。いったん知り合いになればとても面倒見がよく親切、でも見知らぬ人には冷淡。赤の他人のどんな人だかもわからない人間の為になんで自分が痛い思いをしなければならないのか?と言ったところだろうか。


11月某日(日)、術後、バイクでの日帰りロングツーリングは既に2度やっている。長距離旅行(列車、飛行機)も既に体験済み。この日は自らハンドルを握り初の長距離ドライブ。

取り敢えず現状は採取後の跡は殆ど判らないくらいになっている。皮膚の傷口はほぼふさがった。骨の方はもう暫くかかるのだろう。前かがみ(腰痛がひどいときにはとれない姿勢)時の痛みが少しある程度。
来週末で約1ヶ月、その頃には大分良くなってるだろう。

さて、ドライブであるが片道約160km、普通に走れば無休憩で3時間というところだが途中渋滞で4時間。かかりすぎだ。
乗ってる時は全く違和感無し。降りてすぐは採取部によわ〜いボンヤリした痛みあり。少し動くとそれも無くなる。

帰りは更にひどい渋滞。自宅に着くまでに無休憩で実に5時間以上。降りた直後はやはり採取部に違和感有り、間もなく消える。


11月某日(月) 昨晩、O野さんからの着信があった事を今朝発見した。何だろう?夕刻早速返電して見る。
「どうですか?痛みは有りませんか?日常生活に支障はありませんか?」多少痛みますが日常生活には全く支障ありません。「具合が悪くなったらいつでも言ってくださいね。」お気遣いどうも。わざわざ電話してくれたらしい。コーディネーターも大変だ。

ひとつ忘れていたが患者さんの経過が思わしく無い場合、ドナーのリンパ球を移植するものがあった。献血のようなものらしいがいずれにせよ確率は低い。


12月 O野さんから最後の電話。以降、体調悪化が無い限り連絡することは無い。バンクからの〒物のみとなる。O野さんご苦労様、ありがとうございました。

'04年1月 帰省から戻ると筒状の〒物が来ていた。厚生労働大臣名の感謝状である。もらえる物は有り難いのだが何だか勿体無いような気がする。それ相当のおカネと手間暇がかかっているだろう。その分をバンクの活動資金の足しにでもすりゃイイものを…。こんな考えってバチ当たりなのかな?


1月中旬 バンクから3ヶ月後アンケートが来る。4枚くらいか。登録したときもらった冊子に載っていたデータの内容だ。ようやくここまで来たかぁ、しみじみ。早速投函しておかなくちゃ。



 骨髄移植のドナー、改めて考えるととても貴重な体験をさせてもらったと今でも思っているし再度提供の意思を問われれば迷わず同意したいと思います。いずれ医学が発達して骨髄移植や臍帯血移植しなくても薬などの化学療法だけでも高い確率で治る時代が来るのでしょうね。その医学史(大げさ)のほんの片隅にでも居させてもらえたと思うととっても光栄に思います。
掲載されている文章・写真・図表などは、原作者の許諾を得て掲載しております。
無断での転載を禁じます。
このサイトは、チーズとチーズケーキの専門店、オーダーチーズ・ドットコムと、フランス・ボルドーより、ビンテージワインの直輸入販売を行なうオールドビンテージ・ドットコム、フラワー電報のボックスフラワー電報胡蝶蘭 贈答,により運営されております。