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ドナー体験記

骨髄バンクへの登録ときっかけ

骨髄バンクへ登録したのは、今から、3年ほど前。登録は、簡単でした。骨髄バンクのビデオをみて(殆ど見てなかったけど)血液を数十ミリ採って、バンク登録の証であるカードを貰った。すごーく簡単すぎて実感もなかったし、逆にこれでいいのかえ?そんな気分で帰ってきた。登録するきっかけは、インターネット。大好きだった○○○○さん(歌手)が白血病で亡くなりその年は、丁度7回忌を迎える年だった。この頃、インターネットの中で語られる○○○○像に喜んだり、悲しんだり、、はっきりいってすさまじかった。ならば、自分にできることをしようと思ったのがきっかけです。何の迷いもありませんでしたよ。だって、自分の骨髄で生きられる命があるなら迷わず提供したいし、もし、自分が骨髄を必要とするようになったらと思えばお互い様なのですから。

骨髄バンクからの初めての封筒

バンクに登録して直ぐに連絡がくるのかなって漠然とした気持ちで数週間は過ごした。でも、そんなに簡単にいくわけないかーと 半分くらい忘れ始めた頃。
それは、突然やってきた。 登録から1年半くらいが経過してたのですが、仕事から家に戻ると、大きな黄色い封筒がポストに入ってました。
家に入り、中を開けてみると、HLA適合の文字。
色々な書類がある中で、多少迷いが出たのはもちろんです。

それでも、初めの気持ちを思い返せば迷いはありませんでした。そこから、コーディネートが始まり、初めて病院で説明やら健康診断を受けることになりました。これが、一日仕事になりそうな予感。自宅から程近い病院だったので、あせることなく病院へ。そこの入り口で、初めてコーディネーターさんとお会いしました。とても素敵な感じのよさそうなコーディネーターさんでした。

そこから、決められた場所へ移動。
しばし、先生たちが休む部屋で説明を聞きながら待機。説明って結構リアルにされるから、当然恐怖感が生まれるのですよ。
そこで、先生がいらっしゃいました。なんだか、ドナー候補になった気分倍増。

血液検査はもちろんやるのだけど、その前に問診。既往症や現在の体調などを聞かれて、家族の病歴や、自身の病歴など結構、詳しく聞かれました。その後に、身長体重を計りました。そのあとに、なにやら先生が神妙な面持ちで計算機で計算。やっぱりなとは思いましたが
「体重がね、ぎりぎりなんだよね」

あまり贅肉があると、針の長さなどが足りなくなるらしい。そこで、空いてる病室へ行き、ベッドにうつ伏せで寝かされました。
腰の辺りを触りながら、ここから採るのだよと説明を受けて お肉のつき加減を見られました。
「これなら、大丈夫だね」
ほっとした瞬間でした。

その後、先生の口からは、迷いがあったりするなら提供は断ったほうがいいとか、怖いならやめなさいとかなんだか、それでいいんかい!という言葉が次々と出てきました。

その日は、検査結果が出るまでに1ヶ月ほどかかるということで、検査結果は郵送するけど、あくまでも候補だから、他の候補者の検査結果も含めて調査した上で連絡をしますということで、帰ってきた。

検査結果は、1ヶ月くらいが過ぎたころ郵送されてきた。すべての検査が、数値的には良かったようだ。私的には、エイズ検査梅毒検査が陰性だったのが、うれしかった。(別に心当たりがあるとかではなくてですよ(^^ゞ)

それから、暫くしてバンクから連絡が来た。
患者さんサイドの方向で、少し延期したいと。

それから、暫くして、今回の移植はなしだと連絡が来た。
まったくもって、ほっとしたような落胆したような感じだった。

2度目のバンクからの連絡

それは、もう、移植がなくなった後で、日々を忙しく過ごしていたとき・・・
突然、携帯が鳴った。見慣れない番号からだ。ワンギリかと思ったけど、何回も鳴ってる。だから出た。

骨髄バンクです。

あら、どうしたのだろうと思っていると、患者さんの都合でコーディネート(移植)を再開したいという連絡だった。それから、移植までの期間があまりない事を聞かされて思った。患者さんの容態が悪化したんだと。

それが、何を意味するのか。断れば、間違いなく患者さんの命は消える。だから、私は、その場でOKをした。

本来、書類があって、その後に色々なことをやっていくのだが、へいぽーの場合、書類は全て後手後手で進んだ。その電話を切った後に、直ぐに夫へ連絡を入れた。そして、OKしたことを話したのだ。

不思議なもので恐怖感が襲ってきた。移植が怖いからじゃない。その頃、へいぽーを悩ませていたひとつのことが頭をよぎって、それを、どうしても拭い去る事ができなかったから。それを、たまたま居合わせた人からは、手術が怖いと思ってると思わせていたみたいで、障がいのある彼らにしてみると、全身麻酔で手術をすることには慣れているのだろうが、怖くねぇよと励ましてくれた。迷惑をかけるだろう人たちに、その場で報告をして家路についた。

家に帰ってその話をしたときに、旦那さんは言った。
「今回は、やめておけば。なんだか嫌な予感がする」
この反応には驚いたが、直ぐに一笑に付してしまった。
「もしも、へいぽーが死んでしまったら1億というお金が入るよ」
その一言で、旦那さんも言い出したらきかないへいぽーの性格を知っていたせいもあり、承諾をしてくれた。

次の日には、手術日と病院が決まり連絡を受けたので、採取前健康診断と最終同意の日程を決めて連絡をした。
さぁ〜これから、忙しくなるぞ。

移植前健康診断と最終同意

移植をお願いします。という電話の後、数日後には移植前健康診断と最終同意を一緒に行う事になった。通常、HLA適合の通知が来て、3次検査をしてから、決まるのだが。一回は、なくなった移植の話でも、3次検査は有効らしくて、それは、省くとのこと。ただ、3次検査から数ヶ月が経っていたので健康診断をしてみないと移植可能かわからないということは事前に聞かされた。

今回は、急な移植であるということで、受け入れ先の病院が、とても遠かった。

車で3時間ちょっとかかる場所だったのだ。電車でも、同じくらいの時間を要する場所。移植前健康診断の後に、最終同意面接があるので、この日は、旦那さんも同行していた、夜勤の後で眠る事も出来ずに、帰宅と共に出かけた。朝陽が、まぶしくてなんだか気持ちが明るくなった。いつもは帰ってきて直ぐに食事をしていたが、帰って直ぐ出かけるということで、お弁当を用意したので、車中でほおばりながら、久しぶりに2人で遠出のドライブを楽しんでいた。

受け入れ先病院につくと、大きな病院だったのでびっくりした。思っていたよりも早く着いたのですが、病院内へ入るとすでに、受付を待ってる人も大勢いた。ここまで、後、何回通えばいいのだろう。そんな事を考えながら、コーディネーターさんとの待ち合わせ時間を待っていた。

時間が来ると素敵な優しそうなコーディネーターさんがいらした。なんと、初めに最終同意面接を行った。

へいぽーと夫、コーディネーターさん、小児科の先生、弁護士の5人で行われた。手術の説明や、なぜバンクへ登録をしたのか、また、へいぽーの親、旦那さんの親ともに、どうして賛成をしてくれたのか。そういや〜旦那さんだけではなくて、親などにも了承を取って下さいと、電話で言われたなと思いつつ、ヘイポー家は、色々と事情があり親とは縁遠くなっているので聞きませんでした。旦那さん側の親、兄弟にも聞かないで、2人だけで決めていたのもあり、行く車中でも、親のことなどの話が出たが、聞いたことにしておこうという事になり、問題なく最終同意は進んでいった。

この中で、事故が起こった話や危険な事故に繋がる事も十分あると聞かされた。そして、小児科の先生には少しだけ聞いた。へいぽーは、痛いことが嫌いだから、手術中に麻酔が切れることがあるのかと聞いてみた。その中で、病気の人に検査をするのだそうです。骨髄を取って検査をするらしいのですが、みんな針を刺すのは我慢するのだそうですが、骨髄を抜くときは凄まじい痛みが襲うそうで、大人でも暴れるというのです。へいぽーは、その何倍も針を刺され、骨髄を抜くわけですから、麻酔なしでは到底無理だし、手術前に検査をして麻酔の量も決めるが、万が一、手術中に切れそうなれば麻酔を足していくから大丈夫だと言われました。そして、移植をされる患者さんの血液型が、へいぽーと同じ血液型になることも説明を受けた。

普通は、もっともっと質問をするらしいが、へいぽーはあまり一杯聞いてしまうと恐怖を感じてしまうし、旦那さんは、眠たくて眠たくて早く終わりにしたかったらしく、無事に契約書みたいなものに署名、捺印をした。これ以後、移植を撤回するような事になれば、保証問題に発展しかねないのでよく考えてくださいといわれましたが、へいぽーは迷いもなかったので、署名・捺印をしました。

ここで、一旦昼食の時間を取る事にして、検査は午後になりました。

この後の1ヶ月間で、私の腕には穴の数が増えていきました。元々、傷が治り難い体質なために余計でしたが、何よりも、、、、血管がね、探し難い、血が出にくいなど看護婦(士)さんを泣かせましたね。(笑)最終同意確認の後、健康診断を行いましたが、移植前って本当に血ばっかりを抜くんですよね。

この病院は、大きな病院だったので、採血部という専門の課があるのですが、ここの看護婦(士)さんは、毎日血を抜く作業を淡々とこなしているのに、そんな看護婦(士)さんたち泣かせであったようだ。血管が深い、細い、探し難い、出にくい。私の腕は、一日で穴だらけ(笑)検査はまず、採血、止血検査、検尿、レントゲン、心電図、肺活量検査等を行いました。

この中で、一番大変だったのは、肺活量検査でした。吸って−吐いて−吐いて−吐いて、吐いて吐いて。。。。しんでまう〜〜〜どこまでも無理を言う医者を憎らしげに眺めていると医者はにこりと、上手でしたよ。息をすることを誉められたのが初めてだったのであっけに取られている内に、終わった。血を、80シーシー取られた後だったので、疲れと貧血で終わった。

駐車場の車の中で寝ていた旦那さんを起して帰路についた。果てしなく疲れた。。。1週間後には、自己血採血を行う。今回は、運転を旦那さんがしてくれたから、車でもOKだったけど、次回から一人で来るんだし、血を一杯抜くから電車で来てねと、あっけなく言われたのだが、群馬くんだりに住んでると、普段、移動手段は車ばっかりなので、電車の乗り方を調べる事から始まった。

自己血採血1回目

採取前健康診断と、最終同意確認が終ってから1週間後には、1回目の自己血採血で病院を再び訪れることになっていました。へいぽーの家から、病院までは電車を1回乗り継いで行きます。時間にすると丁度2時間半くらい。病院に着くとお昼ちょっと前で、そこでお昼を食べて、午後の診察開始一番です。

コーディネーターさんと待ち合わせをして、診察に挑みます。診察のお願いをしたりとか、病院の中の案内などは全てコーディネーターさんがしてくれます。ちょっとした検査などで移動をしても、必ず、検査室などの前でずっと待っていてくれました。

移植前には、全部で3回病院へ行きましたが、何度も血を抜かれていて、腕はすでに青くなっていました。元々、血管が深くて血が抜きにくい体でもあったので、採血をする人を悩ませていました。この病院は、大きな病院で採血部というのがあったので、必ず、ここを訪れて血を抜かれていました。

その後に、初めての自己血採血を行いました。自己血採血というのは、普通、輸血をする場合においては、自分の血が一番安全であるというところから、術前に自分の血を抜いて保存しておいて貰うのです。へいぽーの場合、この時点では1.1リットルの骨髄を抜くと言う話をされており、800ccの自己血を輸血するという事になっていました。この日は400ccの自己血を採血しました。

輸血部で右手の肘の内側から無事に400ccの血は抜かれました。

さすがに400ccも抜かれると、頭がボケラーしてしまいます。その日は、鉄剤を処方してもらう予定でいたのですが、採血が終ったらすっかり忘れていて、家に戻ってから気が付きました。

すぐにコーディネーターさんに連絡をして、郵送してもらいました。でも、鉄剤を飲まなくても、体調に変わりはなかったですね。でも、1週間後には、もう一度400ccの採血をする予定だったので、たくさん血を造らなくちゃと思って、ちゃんと飲んでましたよ。

自己血採血2回目と麻酔科の先生の問診

自己血採血が終ってから1週間後に、2回目の自己血採血で病院に行きました。入院10日前です。朝、家を出てから家に帰るまで一日仕事になります。

この日は、とても心配でした。何しろ、生理2日目。普通にしてても辛い日です。またもや、コーディネーターさんと待ち合わせをして、診察に挑みます。診察前に、コーディネーターさんには生理2日目であることは、話してありました。自己血採血の1回目の時には、すでに生理の予兆があったので、もし、入院中に生理になってしまったときのことなどを聞いていたので、安心はしていましたが、この日の採血は、ものすごく大変でした。あ!主治医は、女医さんだったので安心して話ができました。

例によって、検査で採血部に行くのですが、この日は、今までにも増して血が出ない。前回の輸血用の採血の時に抜いた血管は次回も使うから使わないように言われていたので、その旨を伝えたのですが、両腕を針で刺しても血が出ないのだから仕方ないと、その血管を使って採血を行いました。

輸血部に行って、いざ採血をしようとしたら前回の血管はすでにつかえない状態で、看護士さんはすこし怒っていました。使わないでと言ったのに・・・へいぽーに怒るでもなく、何となく怒っていた感じでしょうか。

結局、手首から抜く事になりました。しかし、、、これが、、痛いのなんのって、目から涙が出るくらい痛かった。下手とかいうよりも、へいぽーの血管から血が出ないんだよね。ぎゅーぎゅー針の刺された皮膚の上から押すんだけど、全然、出てこない。あげく100cc出たところで、血が固まってしまいました。

ここで、さすがに看護士さんも諦めて別の血管から抜く事にしましたが、ここでもしばらくどこから抜くかを考えていました。あ!この間に、その100ccもちゃんと保存をして使うからねと説明を受けている。

そして、看護士さんの決断は、通常はその血管からは血を抜かないという血管を使うことを決めたのです。はじめは何となく血の出方が悪かったのだけど、少しずつ針をいじり、ようやく血が出始めました。多分、生理だった事も手伝って血が出にくかったのでしょうね。この時点で、この日、針を刺された後が4箇所。ちょっとした麻薬中毒患者のような腕になっていました。手首に至っては、痛みがなかなか抜けずにいました。

この後、輸血部を出てコーディネーターさんの顔をみて、ほっとしたんだよね。本気で疲れたなーと思っていたのだけど、この日は、麻酔科の先生と初めて会いました。

血液内科の診察室で待っていると、大きな体の男の先生がやってきました。ちょっと怖そうだったんだけど、実は、この先生が一番こまやかな気配りをしてくれました。ここでも、手術中に点滴を取る血管を探しましたが、先生もへいぽーの血が出にくいということは、聞いていたらしく、腕は少しだけみて、手の甲を良く見て、ここから点滴をすることになると思うよと教えてくれました。この先生に麻酔をされるのだと思うと安心できました。

この日は、本当に疲れてしまい帰りには、電車を待つ間に、自分の腕を見ては薬物中毒者のようだと思いながら家路につきました。

入院までの気持ち

移植の気持ちを固めてからというもの、色々な思いが浮かんでは消え浮かんでは消えた。正直言えば、生きて帰って来れない確立もあるわけで、本気でいろいろな整理をしておこうと思っていた。死んでもいい!投げやりな気持ちでも悲しい気持ちでもなく、ただ、死んでもいい!自分のやりたい事をやって死ぬのだからと思っていた。

夫は、はじめ結構反対していたのです。やめておけと、、、だけどね、へいぽーが聞くような性格じゃないことは、彼が一番よく知っています。直ぐに反対ではなくて、賛成してしまったのです。最終同意のときも、仕事明けで寝ないで行ったので、早く眠りたい一心で賛成しまくりでした。(笑)

移植前健康診断と最終同意の後、自分一人の体ではないということを思い知らされ、もう、後戻りできないのだということを先生たちから聞かされていた。もし、判子を押した後で、撤回するなら補償問題に発展していくだろうという事も聞かされていた。そりゃーそうだ。患者さんだって、後戻りできない治療に入っていくのだ。へいぽーがやめたと言えば、患者さんは死んでしまう。そういうことも話し合った上で、最終同意を行うのだ。

だから、普通の生活をするのにも結構、気を使ったよ。特に、外に出るとき車の運転をするへいぽーは、細心の注意を払った。怪我や病気にも注意した。薬は勝手に飲めない。飲むときには、必ず主治医の指示を仰ぐのだ。へいぽーは、病院で処方された鉄剤だけは飲んでいたが、他の薬は一切飲まなかった。

移植2週間前からは、運動の制限や、旅行も制限された。もっとも、運動はしないし(笑)旅行の予定など立てられる状況でもなかったので、そのあたりは、あまり気にしなかったが、温泉が好きなへいぽーとしては、温泉に行く事すら考えていた。だから、移植2週間前からは温泉さえも行かなかった。

移植に対する不安は、ない事もなかったけど、病院サイドでもバンクサイドでも万全の体制をとってくれていたので、そういう意味では、安心していられた。そして、何よりも心強い友人がいた。彼女は、鍼灸師であるので虚弱なへいぽーの体を整えるのを手伝ってもらっていた。週に一度か二度くらい通って、体質改善も含めて移植に適していくように調整をしてもらった。

心も体も万全の体制で入院までこぎつける事ができたと思う。それは、へいぽーを支えてくれる人たちのおかげであります。ありがとうありがとう。

入院当日と手術の朝

採取前健康診断と、最終同意確認、自己血採血1回目と自己血採血2回目をこなして1ヶ月。ようやく入院です。またもや、コーディネーターさんと待ち合わせをして、一緒に病棟の病室、それからしばらくの間いてくださりました。

へいぽーにとって、生まれてはじめての入院と手術です。

病棟は、血液内科。ドナーは部屋が開いていれば、個室になるのでへいぽーも個室。トイレも、シャワーも完備されている。割と広めな個室から見える景色は、高い階にあったので、眺めがさいこー!看護士さんから、色々な説明を受けて、まずは、検査に行く。検査は、2階が主なのであちこち回って採血とかレントゲンとかを撮って、病室に戻り除毛の儀式!

上は、裸で下は、半分くらいまでパンツを下ろしてあられもない姿でベッドにうつ伏せで寝ていると、看護婦さんがきて冷たい泡を背中からお尻にかけて塗っていく。そして、そのまま10分ほどほっとかれた後に看護士さんが、温かいタオルを持ってやってきて、そっと背中を拭いてくれた。

その後、直ぐにシャワーを浴びるように言われる。この後、しばらくシャワーも浴びれないよと言われていたので、丁寧に色々なところを洗ってパジャマに着替えてみる。これで、おおお!患者さんの出来上がり。

そのままの格好で、必要なものを買いに1階の売店へ行く。これがのーすげーんだ。ちょっとしたコンビニみたいなんだよ。しかも、売店はいくつかあってね。そこで、動けないだろう間のために飲み物やおやつなどを買いあさり、挙句は病室にない目覚まし時計を買う羽目になった。目覚ましは、持ち込みましょうね!

夕ご飯の時間は早い!何しろ、6時前にはご飯がくるのだ。意外においしかったんですよね。初めての病院食!感激しましたよ。何もかもが初めてづくし。夕食の後に、麻酔科の助手の人がやってきて、パッチテストをしてクリアーしたので、ほっと一息です。窓から見える夜景に、あそこの明かりはなんだろうなんて余裕をぶちかましていました。9時過ぎからは、絶飲食です。

夜勤の看護士さんが挨拶にきてくれて、何かあればナースセンターに遠慮なく来てねと優しく話してくれた。眠れなかったらお薬を出しますとも言ってくれた。そして、消灯の時間がきた。部屋は暗くなる。テレビも消してと・・・明日は、朝、早いし早く寝るかと思うが、枕が替わると・・いや、部屋が変わると眠れないへいぽーは、深夜12時になっても眠れなかった。

仕方がない深夜12時過ぎに薬を貰おうとナースコールしようかなと思ったけど鳴らしていいのかなと思い、ナースセンターへ自分から行った。そして、薬を貰って飲む。30分くらいで寝付いてしまったようで、目が覚めたら朝だった。目が覚めても起きないでいたら、様子を見にきた看護士さんは、まだ、眠ってると思い部屋を出て行った。

そのまましばらく横になってぐうたらしていたら、そろそろ7時半。看護士さんが部屋にやってきて、そろそろ支度をしてくださいと言われた。この朝、初めて担当看護士にあったのだが、小さくてかわいい子だった。夕べの看護士さんものりぴーに似ていてかわいかったのだけど・・・顔を洗ってはみがきして、髪を梳かして手術着になりT字帯をつけた・・・なんか、スースーするんだべが。

着替えて待っていると、看護士さんが赤いマジックを持ってやってきて、へいぽーの左手の肘から手首に掛けて、大きく名前を書いた。取り違いを起さないためらしいです。そして、車椅子を持ってきた看護士さんに乗ってくださいといわれて車椅子へ乗る。さぁーー手術室へ出発だーーー

手術

車椅子に乗せられてナースセンターの前を通るときに、看護士さんや病棟担当医の人たちに、かんばってねと言われた。多分、病棟に入院している患者さんも見ていたと思うけど、なんだか皆、顔が笑顔だったのが印象的だった。

そこから手術室までは、エレベーターに乗って下へ行くのだが、看護士さんは緊張してる?とか車椅子に乗るのは初めて?なんて会話をしながらだった。緊張してるっちゅうの!とか思っていたら、手術室へついてしまった。

おいおい!同じ格好した人が何人もいるぞ!そうか、大きな病院は手術室が一杯あるんだなと、変なことを考えていた。みんな、車椅子に乗ってやってきて、手術室入口にあるストレッチャーに乗り換えていた。出迎えるのは、手術を担当する人たちだ。名前とカルテを手術室の担当する人に渡すとその人たちがストレッチャーを押していく。

へいぽーも、ストレッチャーに寝た。すると担当してくれる人たちが出迎えてくれた。名前の確認をして、直ぐに手術室へ運ばれる。皆さー同じ格好で顔がわからないよ。(笑)

その中の一人が、おはよう!と声を掛けてきた。主治医だ!緊張してる?と聞かれて、はい、なんて答えていると麻酔科の先生がやってきて、点滴の針を刺すからね。左手から、左手はダメだったのだけど右手はうまく刺さったらしい。そしたら、今度は、麻酔を入れるよ!はい。

左肩のボタンが外れていたらしく、男性のスタッフがボタンをはめてくれている。ここで、なぜか瞼が重い!いや、閉じたくないんだけど勝手に閉じていく。ボタンをはめてくれたスタッフにありがとうというと、意識はなくなった。実は、友達と幾つ数を数えられるかと話していたので、数えたら5くらいまでは数えた。(笑)

手術開始からどのくらいの時間が経ったのかわからないけど、大きな声で名前を呼ばれていて、麻酔科の先生だと思って目をあけた記憶がある。聞こえますか?聞こえたら大きく息を吸ってーと言われた。息を吸ったかどうかは定かではないけど、直ぐに眠ってしまったようだ。

どうやって戻ったのかは意識がはっきりしてないんだけど、ベッドごと病室に戻った記憶があるのだ。麻酔を入れられたのは、8時半頃。意識がはっきりと戻ったのはお昼ちょっと前である。そのときの苦痛は、物凄かったのだ。

酸素マスクを当てられ、手には点滴、尿道カテーテル。。。。すっかり病人らしくなったへいぽーだった。苦痛で居ても立ってもいられず、看護婦さんに痛みを訴えた。飲み薬では効きが遅いから、座薬をと言うことで、右向きになってと言われた、しかーし、しかしなんだよね。動けない。全く自力では動けない。ベッドの右側に、手すりがついていたのでありったけの力でそれを引っ張って、痛さにも負けずに右向きになった。普段なら一瞬で動けるものが、時間にしたら数分はかかったかしら。まだ、完全に麻酔から覚めていたわけではなかったので座薬を入れる不快感も半減。あとは、酸素マスクが気になって仕方なくてね、ブルブルと頭を振ってたら取れてしまったようだ。(笑)

痛さは、座薬を入れて少しましになったけどそれでも痛いのはかわらず。一人で病室に残されてじっとしていると、辛かったよ。しかも、仰向けじゃないと駄目とか言われてじっと我慢。一定の時間ごとに看護婦さんが、見にきて体温、血圧を測っていく。2度目か3度目のときに、あら、酸素に繋がってなかったわ。おいおい、私は普通の空気を吸っていたのか。この頃に、顔に違和感を覚えて、触ってみるとなんだかゼリーのようなベタベタしたものがついていてね、看護婦さんに顔拭いてほしいとお願いしたのだが、それから、数時間たってようやく綺麗に拭いてもらった。

それから、夕方までは大人しくしていて、ようやく酸素マスクが取れてカテーテルも取れて、動く許可が出た。ただし、部屋の中だけだったけど。まず、水を飲まされるんだよ。酸素を直接肺に送り込むための管が喉をいためてないかのテスト。これは、難なくクリア。しかし、風邪を引いたときのように喉は痛いし、重い。その後、すっかり冷えたお昼ご飯を少し口にした。前の日の夜から、絶飲食だったので、もっと食べれるかと思ったけど食えなかったね。

そのあと自力で部屋のトイレまで歩いて数歩を数分掛けて歩いてトイレに入った。うーん、違和感ありありの体を目の前にして情けないやら悔しいやら、点滴は相変わらず引きずっているが、心は、その時に既に移植をされてるだろう患者さんへ向いていた。私の手術日イコール患者さんの手術日なので、苦しい思いをしながら私の骨髄を受け入れてくれてるのだろうと思うと、がんばってほしいと自然と思いましたね。不思議なもので、血を共有する仲間の様子は、私の体を通してなんとなく分かるような気がした。

最終的に、へいぽーの体から抜かれた骨髄は800ccだったということだ。抜きながら骨髄のなかにある細胞を数えるらしく、思っていたよりも細胞が多かったので、800ccで済んだようだ。最初は、1.1リットル抜くと言われていたので300cc少なかった。

面会の時間になると、コーディネーターさんがいらしてくれた、お礼ですと、図書券を頂いた。少し質問をされて、わずか15分ほどで帰られた。そうこうしてるうちに、夕飯、さすがに動けなくて看護婦さんが、運んでくれたんだけど、夕飯は全部食ったぞ。

その日は、何人かの手術を担当してくれた先生が来てくれた。麻酔科の先生も、ニコニコしながらやってきて、どう?とか言いながら少し雑談をして帰っていった。(この先生、まじで顔が怖い、体がでかいのよ)その後、横になりながらTVを少し見て、今夜は早めに寝るぞと思っていたら、なんだか直ぐに寝ちゃったみたい。翌朝まで、ぐっすり見回りも気がつかずに寝てました。病院は、夜中に見回りがあるでしょーこれが、気になるのとさすがに病棟が病棟だけに走り回る音が気になって寝れないんだよね。この日だけでしたよ。ぐっすりと眠れたのは、おまけに仰向けになった日には起きることが出来なくなるので、横向きになったまま、この後、数日を過ごしました。

入院3日目

ガラガラ、ドアをあける音で目が覚める。反射的に時計に目がいく。まだ、5時過ぎじゃねーかと思っていると、看護士さんが「おはようございます。血を抜きますね」ゲゲゲ、朝っぱらから血を抜くのかよーーうぉぉぉぉと思っていても、なぜか腕を出している自分がいる。(笑)

骨髄を800cc抜かれて、自己血採血で800cc保存したやつを体に戻したので、プライマイゼロではあるけど、朝から80ccくらいの血を抜かれるのは辛かった。

だけど、夕べはぐっすりと眠れたので、なんとなく爽快感があった。とはいえ、腰がねーー痛いし、重い。検温も一緒に済ませて、熱はあまり出ていなかったので、朝からベッドの上で、うだうだとしていた。

朝ご飯も、お昼ご飯も残さず食べて、薬を飲んでと・・病室からの景色の中に、綺麗な公園がいつも目に入っていた。病院の隣は公園だったのね。んで、思いついたわけだ。あそこで電話をしようと!ついでに、売店で色々と買ってこようと思いながら、午後一から1階へ向かったのです。

公園は、すばらしく気持ちが良かった。だって、2日ぶりに外に出たんだもん。ただし、へいぽーは人よりも腰の痛さや重さが酷かったので、この公園まで来るのに、結構な時間を要しています。壁に手をつきながら、手をつかえないところはそっとそっと歩いてね。公園にベンチがあったので、持ってきた携帯の電源をいれて、友人へ電話をした。その時間は、わずかな時間だったけど電話を切って、暑いから病院に戻ろうとベンチから立とうとしたときだった・・・

うーん、なぜか体がいうことを聞かないのだ。げげげ!立てねーーーあんで立てないんだろう。腰に負担を掛けるような歩き方もしてないのに、痛くて立ち上がれない。いやーここからは、必死でしたよ。誰かを呼ぶにも、人はいないし、何よりも頭に浮かんだのは、怒られる!だから、必死に立とうとしました。

どのくらいの時間、格闘してたのかなー時間にすると数分くらいだろうと思うんだけど、ようやく体勢を変えて腕で体を支えて立つ事ができたのだ。しかしねーこの格闘で相当な体力を使ったのは言うまでもなくて、病院まで僅か100メートルに満たないのに、玄関まで5分くらいを掛けて歩いた。

今、病室に戻ったら動けなくなる。そう野生の感が言ってました。だから、そのまま何食わぬ顔して売店へ直行。売店は、玄関の直ぐにあった。そこで、またもや本やら食い物やら飲み物やらを買って、病室へ戻った。要した時間は、1時間ちょっと。

ナースセンターを通り過ぎるときに気がつかれないように、笑いながら通り過ぎたのは言うまでもない。(笑)

部屋に戻ってしばらく横になっていたら、だいぶ復活してきたところで、丁度面会の時間になった。コーディネーターさんが15分くらいいてくれて、あーでもないこーでもないと話をした。このとき、初めて移植された相手の方のことを聞いた。

この日の夜には、腕に書かれた名前も消してもらってご機嫌だった。油性マジックで名前を書くなんてナンセンスだと思っていた。しかも、消すときにはベンジンで消すからね。いやはや、この日の夜は風呂に入りてーーーと泣いていた。ベッドの横には、洗面台があって、ベッドから起き上がれば直ぐに使えた。しかも、滅菌された水が出てくるのですよ。お湯も出たからね、ここで、内緒で髪の毛を洗おうと思った。しかし、この日は、絶対無理だった。疲れと痛みで、腰を曲げられる状態ではなかったからね。

入院4日目

病院は、24時間体勢で動いている。夜は夜で、見回りの人が来るのが気になっていたし、夜中とか廊下を歩いたり走ったりする音が気になって、2日目の夜以外は中々熟睡とまではいかなった。へいぽーの病室は、無菌室に近くてね、病室を出たり入ったりすると中が見えるんだけど、そこはドアを隔てて、また、病室が分かれているらしかった。一度だけ、帽子をかぶった人が、病室の外にいるのを見かけた。一度だけ深夜に、無菌室に向かって走る「パタパタ」という音を聞いて目が覚めた。その音は、多分、ずっと忘れないと思う。

2日目の夜から、へいぽーは仰向けで眠れなくなっていた。腰が痛いと云うのも合ったが、自力で起き上がるのが大変だったからね。元々、横向きで眠るのが好きだという事もあったので、苦にはならなかったが腰が、どこかに触れると痛かった。

4日目の朝も、早朝に採血で起された。またかよーと思いながらも、1回起されると二度寝ができなかった。だけど、この日は、本当に昨日が嘘のように良くなっていた。体が楽なのだ。だから、気分爽快で起きた。

頭があらいてーーという念願を実行するのは、今日だなと思っていた。朝食を取りに行くときに、昨日ほどでもないけど腰の痛みも重みも、まだ、残っていたので、壁に手をつきながら歩いていた。歩く振動が痛いのだ。ナースセンターの所で医師に、「まだ痛い?」と聞かれたので、「はい」とか答えながら、ご飯を持つと両手が塞がってしまうので、そっとそっと歩いていた。この日も、残さずに食べて、薬を飲んだ。

午前中に、掃除の人が来る。この人が出て行くとお昼前まで誰も来ない。この時間を逃したら、頭を洗う機会を逃してしまうと思っていた。午後は、売店へ行きたいしコーディネーターさんもいらっしゃるので午前中は逃せなかったのだ。準備をはじめた。ところがある、ここで病棟担当医が来た。

病棟担当医の口からは意外なことが告げられた。血液検査の結果が芳しくないというのだ。芳しくないとは言っても、微々たる物ではある。明日は、退院でウキウキしていたのにだ。退院を1日か2日延ばしてみたらどうだろうというのだ。うぉぉぉ、絶対、ありえない。嫌だ。明日には、退院する。絶対、退院するんだと思っていたので、先生のその申し出は丁重に断った。だって、病院で骨休めしてと先生たちは言ってくれたけど、休むどころか寝不足だっちゅうの!家に帰って寝ていたほうが、いいと思っていた。

先生は、確かに数値的にはあまりよくないけど退院はできると。ただ、家が遠いので電車に2時間も揺られなければならない。その間の苦痛や、体力的なことを考えて入院を延ばそうと言ってくれたのだ。だけど、2時間我慢しても家に帰りたかった。予定通り、明日の退院だ!

腰を曲げるのは辛かったけど、何とか短時間で頭を洗った。気持ちよかったよ。本当に本当に。そして、シャワーを浴びたいと思っていたけど、まだ、許可も下りてなかったので、体は拭いて終わりにした。外は、晴れている。気持ちがいいくらいに。

お昼ご飯も残さず平らげた。さぁーめくるめく売店へレッツゴーの時間だわ。だけど、最後の入院生活。病院の中を探検してみようと思っていた。いざ探検へ!とにかく痛いとか重いとかよりも好奇心で一杯だった。壁に手をつきながら、あっちこっちと巡って、この日、初めて階段の上り下りをしてみた。歩くよりも楽ってどういうことだと思いながら歩きまくりました。そして、最後には売店で最後の飲み物や、デザートを買って部屋に戻った。

そして、またもや面会時間になる。コーディネーターさんとお話をしたりした。毎日、遠くから僅かな面会のために来てくれるコーディネーターさんには感謝していた。病院まで遠かったので、へいぽーは入院してる間、夫も友達も来なかったからね。アンケートされたり、明日の退院の打ち合わせをした。そして、またもや僅か15分ほどで病室を後にされた。

入院最後の夜は、静かに静かに色々なことを考えていた。患者さんは、どうしただろうかとか家に残してきたネコや夫の事。友達の事を考えたりもした。この日の夜は、病室の窓からの夜景を長く眺めて過ごした。

退院

やっと退院の朝を迎えた。気分が軽いと体も軽くなるらしい。(笑)昨日の探検が体に影響してるのはわかったけど、帰れる歓びのほうが大きかった。朝食は、ちゃんと食べた。

へいぽーの入院した個室は、その月、殆どがドナーのために空けられていた。へいぽーが退院すると、3日後には、またドナーが入るのだということを看護士さんに聞いた。そっかーと思うと、部屋に置いてあるものにへいぽーの嬉々とした感情を残しておこうと思って、さわりまくった。

朝食後に、術後診察の予約と退院した後の傷の消毒方法や、飲み薬の事、生活のことなどを指導してもらった。そこで、看護士さんに聞いてみた。帰るまでにシャワーを浴びていいかと。しばらく待たされたが、担当医からOKが出たので、4日ぶりにシャワーを軽く浴びた。軽くならいいよと言われたからなのだけど。術後、初めて自分のお尻を鏡で見た。お尻と腰の間に、背骨を挟んで4つの穴があった。穴は、少し腫れてる。そして、赤い。だけど、あの物凄い痛みを出していた穴だとは思えなかった。あの痛みは、骨の穴の痛みだったのだろうか。骨の穴は、いくつも開けられたと聞いているので、きっと触ると痛いよなと思って、消毒して直ぐに服に着替えた。

お昼前には退院許可が下りているので、支度をしてコーディネーターさんが待っている、ナースセンター前の待合所へ行った。なんだか、すごく嬉しかった。この人の顔を見るとほっとできた。そして、今日が、最後なのだと思うと寂しかった。最後に、ナースセンターに挨拶をして病棟を後にした。

この病院から駅までは、バスで5分ほどなのだが、体のことを考えてくれて、コーディネーターさんがタクシーで送ってくれる事になった。そのタクシーを待ってる間に、へいぽーは「このくらいなら、また、移植してもいいなー」とコーディネーターさんに話していた。本当にそう思っていたんだよ。だから不思議とそう言う言葉が口から吐き出されていた。コーディネーターさんも、その言葉をニコニコしながら聞いてくれた。

駅までの僅かな距離なのに、タクシーの背もたれにもたれかかると痛かった。まじっすかーと思っていたけど、帰れる嬉しさは痛みなど笑顔に変えてくれていた。

へいぽーが家に帰るためには、1回乗換えをする。そして、始めの駅についたときに携帯から着信を知らせる音が鳴った。友達だった。へいぽーは知らなかったのだが、その友達が入院していた。頭の病気で。数日後には、開頭手術をするのだという。本当に不安だったのだと思う。その友達は、へいぽーが入院していた事は知らなかったので、今、退院したばかりと話したら驚いていた。やるせなかったよ。なんでだろうと思うとね。そんな事を考えながら、乗り継ぎ駅まで電車に揺られた。痛かったけどね。(笑)

乗り継ぎ駅では、電車が来るまでに少し時間があった。そこで、各所に電話をしていた。さっきの友人のこともあったりしたし、家にも電話した。今から、帰るよと。そんなこんなで電車がきた。坐れてよかった。それが、電車に乗ったときに思ったこと。立ってるほうが楽かななんて思っていたけど、坐っていたほうが痛みは避けられるからね。

とにかく長かった。乗り継ぎ電車に乗ってから、目的の駅までは時間にして1時間半。ローカルなので特急とか走ってないんだよね。(苦笑)学生とかサラリーマンとか買い物客とか色々な人が乗り込んでいた。へいぽーは、窓から見える景色を見ながら、これで、しばらくはこの景色ともさらばじゃとか思っていた。不思議といたいのは痛いけど、耐えられない痛みではなかった。

ちょっとの距離でもタクシーで帰ってくださいね。そう言われていたので、目的の駅から自宅まで10分ほどタクシーに揺られて帰った。家に入るとやけに家に中が綺麗になっている。夫が気を利かせて掃除をしてくれたらしい。しばらく動けないだろうからと思っていたらしい。ネコも嬉しそうにしていた。そこで、へいぽーはある場所へ行こうと準備をはじめた。

退院 -家に帰ってから-

家に戻るとわずかな時間で出かける準備を始めた。どうしても行きたい場所があった。へいぽーにとってその場所は、特別だ。1年間、毎月一度、休むことなく行っていた場所。退院した日は、丁度そこへ行く日だったのだ。そして、何よりも寝ているよりも起きてるほうが楽だというのもあったのだけど・・・・

自力で運転をして30分。その場所へ着く。なんだか、妙に懐かしさを覚えていた気がする。見慣れた景色に、見慣れた仲間たち。

いろいろな話をしたけど、大丈夫なのかと逆に心配をさせてしまう結果にもなっていたと思うんだけど、へいぽーは満足だった。もちろん、痛みはあるけどね。しかも、時間が経過するほど腰はズキズキしはじめていた。

夕方、家に戻ってみるとなんだか妙に体がだるい。やばすぎると思ったのだが、後の祭りでした。熱が出ました。病院に電話しようかどうしようかと迷ったのだけど、寝てれば治るさと思ったので、そのまま、布団に潜った。

次の日には、熱も下がった。いつもどおりの生活をするのは確かに辛い。数日は、腰を労わっていた。ただ、毎日、少しずつ痛みも重みも取れていった。

退院して1週間が過ぎる頃には、重みは取れたのだ。痛みのほうも、当たると痛いんだよーという感じになってきた。この当たると痛いというのが結構、長く続いた気がする。ともかく、忙しい日々が戻りつつあったので、その痛みも気にならないようになっていた。退院して2週間、術後検診で、病院へ行く日が来た。

術後検診

久しぶりに病院への長い道のりを電車に揺れられていた。これが、最後だなと思うと、なんだか時間はあっという間に流れていた。いつもの景色も、少し季節が進んだ。

病院でコーディネーターさんと待ち合わせをして、最後の検診をした。久しぶりに主治医にあったのだが、お元気そうでした。問診をされて少し痛みが抜けるのが遅いのが気になるという話をしたが、人によってはしばらくは痛みが抜けないという話と、体的には、何の問題もないと調べてもらってわかった。

これで、通院も終りました。この日を最後にコーディネートも終了です。本当に1ヶ月ちょっとありがとうございました。

なんだか、これで、この病院に来る事さえもないのだと思うと少しだけ寂しかったですね。へいぽーにとって生まれて始めての入院と手術は、こうして幕を閉じました。そして、1年間は登録保留されるので間違っても1年が経つ前にドナーの連絡が来る事はないのです。

なんだか大きなことをやり遂げられた気持ちで一杯でした。帰りの電車からの景色は、へいぽーにとって最後の景色になります。へいぽーの家から遠い遠い病院でした。片道2時間も電車に乗って通うなんて、二度とないでしょう。本当にありがとう。

骨髄移植を経験してみて

骨髄移植を経験してから2年が経過しました。何か変わったことがあったとしたら、心の中味ではないでしょうか。人から見ると多分、なんも変わってないさ!というかもしれないけど、あの手術の日から命については随分と色々と考えてきました。

へいぽーのお尻には、まだ、4つの傷跡が残っています。消えかけている傷を見るたびに思い出します。一人の命の重さを支えた人たちの顔を。そして、全力でへいぽーを支えてくれた人たちの顔を。だから、そんな人たちにはたくさんの感謝をしたい。本当に本当にありがとうございました。へいぽーの命をありがとう。へいぽーを支えてくれてありがとう。

命の重さを量るはかりはありません。だけど、一人の骨髄で助かる命があるのだとしたら、その重さは、ずっしりと重たいはずです。決して落としてはいけない。決して軽く扱ってはいけない。

もし、今、ドナー候補になって悩んでいる人、骨髄バンクへの登録を悩んでいる人がいたら、こう考えてほしい。もし、自分が移植の必要な病気になったとして、病室から出られない、自由が利かない体で窓の外に元気に走り回る人がいたら、悔しくて拳を握り締めるのではないだろうか。家族が病気になって、目の前でどんどん弱っていく。力のない笑顔を向けられる。そうだとしたら、あなたならどうするだろうか。自分の体が病気なら治りたいと思うだろう。家族なら自分の骨髄をあげたいと思うのではないだろうか。どうか、目の前にある命があなたを望んでいるのなら、命をつなげて欲しいと思うのだ。どうかどうか命の温もりを繋げて欲しい。あなたは、そう選ばれた人なんだよ。あなたは、選ぼうとしてるんだよ。命の温かさを繋ぐ人に。ね!あなたの血は温かい。あなたの心は温かい。あなたの命は温かい。ありがとう。読んでくれて。

この移植後、2度ほど、この経験を文章にしたことがある。

どちらも、ある機関誌に提供してるのだけど、平気だろうということで発表!(笑)
* 生まれて初めての経験(はーと)
* 800cc

生まれて初めての経験(はーと)

今年、私は生まれて初めての経験をした。骨髄移植である。いいことをしたと手放しでは、喜べない現実もあります。移植をされた患者さんの容態が何一つわからないからだ。骨髄移植は、骨髄バンクを通しておこなわれたために、個人情報というのは、性別、居住地方、年代しか知らされない。それ以上のことは、何も知らない。しいて言えば、患者さんの血液型が私の骨髄を移植したことで同じ血液型に なったことと、およその体格くらい。最も、相手の状況を知っていると、責任が重過ぎて耐えれなかったかもしれない。

骨髄を取るのは、全身麻酔でおこなわれるために、事前に最終同意書と言うものに印鑑を押す。私だけでなくて、家族の印鑑も押す。しかも、その場には弁護士が同席をし、きちんとした説明の上で納得して印鑑を押したと証明してくれる。その話し合いの最中、決して骨髄移植に協力をお願いしますとは言いません。むしろ、この移植手術は危険だがいいのか?なんで移植をする気になったのかなどと、拷問のような質問が繰り返され、それをクリアして初めてドナーとなる資格を得ることができるのです。殆どの人は、ここで諦めていくそうだ。本人よりも、多くが家族の反対に合って諦めていくそうだ。私も、その難関を無事に突破し、晴れてドナーの資格を得た。

手術そのものは、全く覚えてないです。あーんなことやこーんなことをされた記憶もないのです。(笑)覚えているのは、麻酔科の先生に大声で呼ばれた記憶だけ。

次に、目が覚めたのは病室のベッドの上だった。朝、麻酔を打たれてはっきりと意識が戻ったのがお昼過ぎ。目覚めてあまりの痛みに、看護婦さんに痛み止めをしてもらった。そりゃぁ〜痛いよね。止血の意味もあり、患部に厚めにガーゼを貼ってあお向けで寝てるんだもん。しかも、思い切り圧迫されていた。(笑)手術室へ行くときには、健康だったのに、病室に戻ったら患者さんに変身。もっとも患者さんらしくしていたのは、その日だけだったけど。(笑)

採った骨髄は、手術終了後、その場に待機していた患者さんの担当医によって、患者さんの元へ運ばれて移植されたと言うことだった。

移植が終わった後に考えたことと言えば、この移植に、たった800ccの骨髄のために一体どれほどの人が関わっていたのだろうという事だった。

入院は、4泊5日でした。入院自体先生は、骨休めだと思ってゆっくりとしていきなさいとか言ってたけど、休めなかったのが現実でしたね。病院は、24時間体制で動いてると実感しました。本当は、もう少し入院とか言われていたけど、予定日には退院をしてしまいました。この後、2週間ほど間を空けて術後検診をおこないましたが、問題は殆どなく晴れてドナーから解放されました。最も、患者さんの体内にいる私の骨髄が戦っていないと、今度は血液を輸血することになるそうだ。

こういう機会をくれた患者さんには、感謝をしている。そして、この移植に関わった全ての方へお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました。

この移植前に、胸に刻んだ言葉があります。

「この思い また 逢えるまで さぁ 風に乗れ」

最後に、患者さんの全快を心よりお祈り申し上げます。

800cc

私の体から患者さんの体800ccの骨髄が移植されました。この800ccには、たくさんの人の暖かい気持ちも一緒に入っています。移植から2年が経とうとしていますが、私の腰には、まだ、4つの後が残っています。この移植は、とても忙しく行われました。書類の殆どが後手後手になるほどです。

最終同意のときに、説明をしてくれた医師から「へいぽーさんの骨髄を患者さんへ移植することで、患者さんはへいぽーさんと同じ血液型になり、もしかしたら、外見や性格も似てしまうかもしれませんよ」ユーモアのある先生の言葉のおかげで、命の重さも神秘さも改めて考える事ができました。もし、自分に骨髄移植が必要になったら、家族が必要になったらと考えたら、お互い様ではないのかと思うし、目の前に私の骨髄で希望を見出せる人がいるのならと思うと、何の迷いもなく提供することができました。

元々、体は強い方でなく、また、提供する骨髄の状態を良くしておきたいという思いもあり、友達の鍼灸師に体調管理を無償で手伝ってもらい万全の体制で移植に挑みました。手術前夜は、生まれてはじめての入院で緊張していたのもあって、薬を貰って眠りました。手術自体は、あっという間でした。残念だったのは、手術室がどんなところなのかを見ようと思っていたら、主治医におはようと声を掛けられて直ぐに麻酔で眠ってしまった事です。手術が終ったときだと思いますが、麻酔科の先生に大きな声で呼ばれた記憶がありますが、目が覚めたのは病室に戻されてからです。まず、はじめに看護婦さんへお願いしたのは、顔を拭いて欲しいということでした。こまめに見に来てくれて、痛み止めを飲ませてもらったり、暖かいタオルで顔を拭いてもらったり手厚い看護をしていただきました。

主治医、麻酔科の先生、病棟担当医、看護婦、コーディネーター、たくさんの方が通院、入院をバックアップしてくれたので、なんの不安も迷いもなく安心してお任せする事が出来ました。入院した病棟が血液内科で無菌室の入り口に近く、時々窓から見える無菌室の様子を見たりしましたが、この中でがんばってる人も居るんだと思うと、弱音も吐けなかったし、朝昼晩と食事を取りに行くと患者さんと出会うのだけど、彼らの笑顔を見てると、自分のやったことは正しかったのだと思えました。

「この思い また 逢えるまで さぁ 風に乗れ」

この言葉を胸に刻んで移植に挑んだのですが、これは、10年程前に大好きだったシンガーが残した言葉です。彼は、白血病で亡くなりました。一度も逢える事もなかったけど、ドナーに負担を掛けたくない、彼は、そう言葉を漏らしていたそうです。その言葉を知ったとき、なんて悲しい優しさだろうと思いました。骨髄を提供してもらえば、自分が助かる希望が持てるのに、自分よりも提供者を心配する、その言葉に絶句しました。だからこそ、私は自分の体で証明できるチャンスを貰えてよかったなと思います。全然、負担になんてなっていないし、今、こうして移植前よりも元気に存在していることを証明できました。

骨髄移植は、命のボランティアと呼ばれていますが、私は、命のリレーだと感じています。私も、患者さんも全速力で走りました。私の骨髄を移植された患者さんが今、元気になってると信じています。そして、これを読んでくださる皆さん、そして、勇気をくれた皆さん、ありがとうございました。


*氏名については、変えてありますよ。(笑)別に本名がわかってもいいんだけど、普段のイメージ通り「へいぽー」で行きますね。

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