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ドナー体験記

骨髄バンク

 骨髄バンクにドナー登録をしたのは七、八年ほど前であっただろうか。当時は献血時の登録が出来ず、日赤まで出向いて登録をしたものの、その後事務局からドナー依頼の連絡は全くなく、たまに忘れた頃に骨髄バンクニュースという読み物が送られてくるくらいだった。

 それがある日のことである。突然「あなたのHLA型がある患者さんと一致しましたので三次検査を受けてください」との手紙が事務局から届いた。その直後にコーディネーターを名乗る方から直接電話が入り、検査を承諾する旨を伝えると、具体的に日時を決めることとなった。コーディネーターというのは患者と事務局とドナーの間をとりもち、その後のあらゆる場面に立ち合ったり、全ての連絡や相談を担うという頼もしい存在である。

 三次検査というのは指定病院の個室で骨髄移植についての詳細とドナーになった場合の実際の事の流れを冊子を見ながら医師とコーディネーターに説明してもらい、納得できたらサインをしてさらに詳しい検査のために血液を採取するというものである。納得しなかったりドナーを引き受ける気持ちがなくなった場合は遠慮なく検査を辞退してよいことになっている。

 一方でいくらドナーになろうとこちらが思っても、患者さんのHLA型にもよるのだがドナー候補者が数名あがった場合は三次検査を受けた人のなかからより型の近かった人が正式なドナーに選ばれるということになっているそうだ。一体何人の人が同時に候補にあがっているのか、そういった情報は事務局やコーディネーターさんからは一切開示されない。

「ご縁があったらまたお会いしましょう」 そう医師とコーディネーターさんにつげて家路につくと、まだ当時結婚していなかった夫と両親に事の次第を説明した。「自分に万一のことがあったらどうするの」とどちらもとても心配そうだったが、私の気持ちは初めから決まっていた。もしドナーに選ばれたら引き受けるつもりだった。

 中学校の頃、五人しかいなかった同じ部活の友人を白血病でなくしたことがある。その当時日本に骨髄バンクはまだ発足していなかった。最後病状が悪化し、病院に向かう救急車のなかで「生きたい、生きたい、死にたくないよう」と叫びながら亡くなってしまったという友人のことを思うと引き受けるのは当然のことだった。しかし二週間ほど経ったところで事務局から「今回のコーディネートはこれにて終了しました」という内容の手紙が届いた。勝手に思いを巡らせていた時間はあっという間に終わった。いづれにせよ、誰か型の近いドナーが見つかったであろう患者さんの移植成功を願った。

 ところが事はそれだけでは終わらなかった。終了の手紙が来た翌々週のことであったろうか。再び三次検査の依頼の手紙が事務局から届いたのであった。八年も登録していてまるで連絡などなかったのにいきなり立て続けに二回、そんな奇跡のようなことがあるのだろうか? 一瞬間違いかと思ったがすぐに思いなおした。

 当時私は子宮筋腫で将来子どもがもてないかも知れない、などと婦人科の医師からなかば脅されて?深く今後の自分の人生や結婚について悩んでいる時期であった。

 これはきっと自分の体のことでくよくよと悩んでいる私に神様かなにかが「あなたは十分健康なんですよ、よそ様に骨髄液も生きる希望もあげられる、健康回復のお手伝いが出来るのですから」といってくれているのだ、悩む暇があったら人助けをしなさいということなんだと、思い込みの激しい私は解釈したのだった。そしてもし人の命を救うことが出来たなら、自分もいつか赤ちゃんという新しい命を授かることが出来るかも知れない、とも思った。

 不思議なことに今度はドナーに選ばれるような気がした。同じコーディネーターさんと同じ病院で再度三次検査を受けた時には(この検査はすべて患者さんの費用もちで、すべての患者さんに対して公平に行う為、客観的に見ると大変無駄にもかかわらず同じ検査をすぐに繰り返すことを省略出来ないそうだ)覚悟は決まっていた。

 そして私は本当にドナーに選ばれ、最終同意というドナーを引き受ける意思確認と誓約書のサインを行う機会が別にもたれた。

 私側からは財団の決まりで自分の親(結婚していれば配偶者)を連れて行かねばならず、事務局側からは医師とコーディネーターだけではなく弁護士が同席した。「いまさら断れないような威圧的な話し方を事務局サイドがしていないか」、「すべてのすべき説明がきちんとなされていたか」を公正に判断する為だという。最終同意のサインをするまでは辞退することは許されているのだ。

 親が気にしていた一番の問題は全身麻酔などによるこちら側の健康被害についてだった。日本の骨髄バンクではドナーが死亡した例はなかったが海外では血縁間を含めほんの数件あった。日本では万一ドナーが死亡した際には一億円の保険給付金がおりることになっている。しかし海外での事例も、きいてみれば未然に防げるであろう程度の内容であった。

 すべてのことにおいてノーリスクなことなどそうそうない、自分は一度は死んだ人間だと思っているのでこれで万一のことがあっても後悔はしないだろう、それよりも自分が断ることによって誰かひとりの命がそのままなくなってしまうかも知れないことの方が嫌であった。

 当時結婚していなかった夫は会社に休暇願いを出したり、決められた事前の健康診断や自己血採取(私の場合は二回だった、血管がとても細く出てきにくいので難渋した)などに忙しい私に「これが最初で最後だからね。自分と結婚したら絶対に同意のサインはしないから」と繰り返していた。実際本人はやる気なのに最後まで家族の同意が得られずにドナーを辞退する人も多いらしかった。万が一というのは道を歩いていたって眠っていたって起こりうるものなのに、いざ身内となるとハイそうですかとはいかないらしい。

 移植の日が決まってからはとにかく健康に留意して日々を過ごした。患者さんは移植の日にあわせて完全無菌室にこもって前処置をする。自分の体にある骨髄液をゼロにしてしまうのだ。ゼロにしたところで採取されたばかりの骨髄液(同じ病院に患者とドナーが入院することはないので、骨髄液のみが患者さんのところへ即搬送される)を点滴の形で体内にとりいれる。それが骨髄移植なのだ。なので万一私がなんらかの事情で決められた日に骨髄液をあげられないとその患者さんはそのまま亡くなってしまうのだ。それが一番責任が重かった。患者さんが前処置に入られたであろう時期からは車にも風邪にもとにかく気をつけて過ごしていた。

 入院は三次検査とは別の病院だった。ちょうどN.Yのテロからまだ日も浅く、病院の立地が米軍の基地に近かったので窓の外には空軍の飛行機がいきかっていた。日本にある基地を攻撃するかもしれないという一時的なデマが流れたのだった。しかし六人部屋の病室はテロの衝撃から抜け出せない私とは裏腹に日当たりがよく、明るく、まるで静かな別世界だった。

 血液疾患の患者さんたちは二十代から六十代まで、話を聞いていると何十年も前から入退院を繰り返しているのか、病院の事情に精通している方も多かった。なのに皆明るくてとても優しかった。病気でもないのに見舞い客がある私を逆に励まし、いたわってくれた。ドナーをやって一番よかったことは普段知りえない人々と話すことが出来たことかも知れない。

 骨髄採取は朝から行われた。といっても全身麻酔をうっている間の出来事だったのでまるで自分にはわからない。ただ、事前の説明では骨盤(おしりの上あたりの位置)の左右それぞれ三箇所に針を刺し、その同じ穴から針の角度を変えながら骨髄液を採取し、トータル数十回から百回以上、骨盤に針を刺すということだった。骨髄液はゼリー状で5〜10ccほど採るとあとは血が採れてしまうのでどうしても刺す回数が多くなってしまうらしい。採取量はドナーの血液の濃さや患者さんの体重などで決まってくるが上限はあるそうだ。私の場合、患者さんは男性だったが男性が小柄だったのか、私の体重が十分過ぎたのか採取量は少し多めだったものの問題なく終了したということだった。

 一番つらかったのは全身麻酔から目が覚めた時だった。初めに天井が目に入ってきた時、思わずうつで睡眠薬を飲んでICUに入れられた時のことを思い出した。病院の風景というのはどこもさしてかわらない。違っているのは窓際で明るい光が燦燦と差し込んでいることだった。覚醒と共に途端に点滴と導尿管が不快になってくる。看護婦さんに導尿管をはずしてもらうように頼むと、まだ歩けないからとおまるのようなものをもってきてくれた。それに座ろうと立ち上がってみたものの次の瞬間意識を失っていた。

 気づいたらベッドに倒れこんだ姿勢で、担当医師に脈をとられていた。肝心の骨盤の痛みは思ったほどではなく、医師が何度もきいてくれたものの痛み止めは一度ものまなかった。麻酔が抜けるのは遅く夜までかかりその間は胸がむかむかして苦しかったが、後になってみればそれも耐え難いというレベルではなかった。そのほかには幾度にも渡る採血がつらかった。これは私の血管がとても細く浮き上がってきにくいせいなのだが、日常的に多数の血液疾患の方の採血を行っている専門医ですら失敗することが度々だった。

 夜になって「採取した骨髄液はちゃんと患者さんのもとに届きましたからね」と医師に言われひとつ役目を終えたようなほっとした気持ちになった。翌日、骨盤の痛みを散らすためにそろりそろりと不思議な歩き方をしていたものの、お見舞いにいただいたお菓子を食べながらパソコンをひろげている私を見て、同室の患者さんたちが感嘆の声をあげていた。「昨日手術室から戻った後は瀕死の病人みたいだったのに、もう今日は元気にパソコンやってるんだもの、若いって、健康って、すごいわ」 そう、私は確かに健康なのであった。

 私の骨髄液を移植したという患者さんがその後どうなったか、私にはわからない。その方の在住地域と年齢、性別までは入院する時におしえてもらったものの、それ以上の情報は一切与えられないのだ。なるべくHLM型の近い骨髄液を移植するものの、体がそれを敵とみなして闘い、残念ながらその闘いに負けてしまう方も多数いるという。(詳しいデータに興味のある方は、骨髄バンクのHPをご覧になるとよい。様々な角度から丁寧にデータがまとめられている)

 もし患者さんがご無事であればその方は私と全く同じ血液型になっている。聞いた話では患者さんの血液型は移植後はドナーの血液型に変わってしまうそうなのだ。しかも血液型にも厳密には性別があって、血液だけ見るとその方は女性になってしまうらしい。自分の子どもでもないのに自分と全く同じ血液をもつ人が生まれる、というのは実に不思議なことである。

 それから数ヶ月経って、思いがけず私は妊娠することとなった。婦人科の検診で医師に告げられた出産予定日が骨髄移植の日から一年後の日とたった一日違いだったことには思わず運命のようなものを感ぜずにはいられなかった。テロに衝撃を受け、健康とはなにか、生きているということはなにか、などと病院のベッドで考えていた時には、まさか一年後の同じ時期に自分が赤ちゃんを産むことになるとは考えもしなかった。

 私の腰には六つの茶色い点がある。骨髄提供の際の針の跡だ。時折鏡で偶然それを見かけるといろいろなことを思い出す。名前はわからないけれど「なにかの星座みたいだな」とふと思う。いづれ消えてしまうものではあるけれど、これは私の健康と命の証なのである。
(September 2003)

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