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ドナー体験記

骨髄バンクへの登録(2004.04某日)

僕が骨髄バンクを意識したのは、登録より1年ほど前でした。
テレビCMや街頭ポスタ〜は今よりもまだ少なく、たまに夏目雅子さんのCMを見るかなといった程度。
僕が骨髄バンクの存在を知ったのはCMではなく献血センタ〜。
16歳から献血を始めていたので、2か月間隔で行っていました。
そこで何度か目にしていた骨髄バンク。
登録は20歳からという事を知り、20歳になったら登録しようと考えていました。

そして20歳の誕生日を迎えたのが2003年の7月。すぐに登録したわけではありません。
当時忙しくて献血からも足が遠のいていたのですが、ふとテレビから
骨髄バンクのCMが流れてきたのを機に、2004年4月、登録を決めました。
思い立ったが吉日、骨髄バンクがどういうものかという下調べもせずに
骨髄移植推進団体JMDPから、登録のための情報誌『チャンス!』を取り寄せます。
(このサイトと通じるタイトルでもありますが、無関係です)
『チャンス!』に目を通すや、すぐに検査のための採血施設(新宿の献血センタ〜)に電話予約。
数日後に、実地に向かいました。

新宿の献血センタ〜自体には何度か献血をしに行っていました。
大勢の人が行き交いする中で、まず『予約していた●●ですが…』と伝えた時点で、
周囲の献血者から訝しがられます。予約?みたいな感じで。
担当の方から問診表を渡され、それを書き終えるとビデオを見ます。
大抵の献血者は、待ち時間や終わった後の休憩にビデオを楽しんでいますが、
僕は明らかに曇った(落ち着かない)表情で見ています。
おそらく異様に映ったことでしょう。
ビデオ自体の時間はそんなに長くなく、骨髄移植や骨髄バンクについての概要がメイン。
見終わってから採血して、その日は終わり。あっさりと終わってしまいました。

後日、登録したという書面での知らせが届き、それからは季刊ペ〜スで
骨髄バンクの情報誌がうちに届けられるようになりました。

ドナ〜候補者選定通知(2004.12)

以前から興味のあった骨髄バンクへの登録を済ませた僕。
時々届く季刊の情報誌で『あぁ、俺、登録してたんやったっけ。』と思い出しながら、
自分が登録していたこともすっかり忘れ、骨髄提供なんて夢にも思っていない頃。
登録から8か月。事態は急転しました。

12月、看護大学での病院実習中で忙しくしていました。
帰宅後、疲弊しながらもポストをのぞくと封筒が入っています。
『あれ?いつものにしては封筒がちょっと大きい…しかも親展って?』
もしかしたらという思いを抱きながら、こらえられずエレベ〜タ〜内で開封。

『骨髄ドナ〜コ〜ディネ〜トのお知らせ』が同封されていました。
中には、説明書や問診票が添えられています。
事実上、僕がドナ〜候補者のひとりに選ばれたのです。
早すぎる…。心の準備は完全にはできていませんでした。
しかも、実習中のこのタイミングはどうしたものか…。
その重さは、疲れた身でなくても重すぎるものです。
立ちくらみのような、めまいのような、目の前がグルグル回った感じが忘れられません。

この事を誰に相談しよう。僕は真っ先に親友の顔が目に浮かびました。
いつも隣にいて、どんなにつらい時でも僕を励ましてくれる子。
この子なら信頼できると思って、すぐに電話をしました。
案の定彼女もびっくりした様子ではありましたがゆっくり話を聞いてくれました。
自分でも何を言ってるのかわからないくらい動転しているのがわかります。
その子との電話は僕にとってどれだけ安心できるものだったでしょうか。
実習中で忙しいにも関わらず話を聞いてくれ、僕の心は平静を得る事ができました。
後にも先にも、骨髄バンクでコーディネ〜トが終了するまで、相談した人は
家族以外にはこの子しかいません。絶大な信頼は裏切られませんでした。
みなさんも、誰か1人でも、真剣に話を聞いてくれる人を持っておくと
その後いくらか楽に進められると思います。

電話を切ったのち、今度は母親に電話しました。
その場では『ふ〜ん。ふ〜ん。』と聞いていた母ですが、ここからが難関でした。
簡単に事が進むと思っていた僕に、大きな壁が立ちはだかります。

家族の説得(2004.12〜2005.01)

ドナ〜候補者に選定された通知を受けてすぐ、親友と母親に相談した僕。
親友は背中を後押ししてくれましたが、家族の反対は強かった。
みなさんにとっても、おそらくここがいちばんの難関だと思います。

まず初めに口をついて出たのは『あんた、なんでわざわざ自分からケガしにいくんや?』。
たしかに、自分に病気や具合の悪いところがないのに手術をすることはリスクが大きい。
献血と違って、血を抜いてはい終わりではありません。
入院もしなくてはいけない、日程を調整して通院しなくてはいけない、
そして、もしかしたら後遺症が残るかもしれない。
僕は小さい頃から激しいスポ〜ツばかりしてきて、腰に爆弾を抱えています。
現段階で椎間板ヘルニア疑いと診断されていることもあり、術後の腰痛がもっぱらの心配。

母親だけではなく、父親、妹も大反対、絶対に同意しないと言ってきました。
たまに実家に帰っても、愛犬さえあまり寄ってくれなくなる始末。
あまり他言はしていませんが、父親は昔大事故を起こして生死の境をさまよった経験があり、
妹も膝のケガで入院し、どちらも全身麻酔を受けたことがあります。
母親としては、どちらの時にもごく身近におり、その怖さは重々承知しています。

僕自身は、反対されることは考えてもいませんでしたが、親友とは違う視点で考えてくれる親もまた大切です。
大反対を押し切るほどの動機は本当に自分にあるのか。
簡単に考えてはいなかっただろうか。自問する機会にもなりました。

前述しましたが、ドナ〜候補者選定通知には問診票が同封されています。
それの返送期限が12月下旬です。しかし、12月中旬の時点で家族と決裂してしまい、
説得に時間を要すると考えられたため、延期を願い出ました。
できるだけ早く返送をして欲しいという財団からの返事を受け、冬休みに入ってすぐ実家に戻り話し合いの場を持ちました。

実家に帰ったものの、顔を合わせるのはお互いつらく、なかなか話を切り出せません。
切り出しても極度に重い雰囲気に耐えられず流してしまうこともありました。
それでも、少しずつではあれ話し合わなければならない。
なんでわざわざクリスマスや正月にこんな重くて嫌な話をするのかとも言われます。
でも、僕の意志は変わらず、強い気持ちで話し合いました。
主に話し合った内容は、家族が反対する理由、僕が骨髄提供したい理由に絞られました。

家族の反対理由は、後遺症への心配、術前後に見舞いに来れないこと(自営業なので休めない)、
どのような手術が行われるかわからない、全身麻酔で意識が戻らないかもしれない、などでした。
中でも後遺症については、先々ずっと持ち続ける不安要素です。
この点は、説明書や自分自身の看護学生としての知識を用いながら説得にあたりました。

対して僕の提供理由は、他の誰でもない僕が誰かを助けられること、
薬物療法などでは望みの薄い人を社会復帰させられることを挙げました。
特に、当時僕は自分の存在価値を見出せず、何に対しても『別に俺じゃなくてもいいやん』と
悲観的に思う事が多くありました。そのため、"僕にしかできないこと"というのは
僕が自信を取り戻すために最も有効なことでした。
そのために多少の痛みがあることは覚悟していたつもりです。

僕の当時のつらさは家族には伝えていませんでしたが、
再三にわたる説得でなんとか熱意は伝わったのか、
当初『絶対に反対!家族の縁を切る!』とまで言われていたところから、
『意志はわかった。積極的賛成はできないが、同意はできる』というところまで家族は納得してくれました。
ここから、やっと骨髄提供がはじまる事を意識しました。

期間にして3週間でしょうか。クリスマスや元日をはさんで、最も楽しい時期のひとつに家族でけんかばかり。
親をあまり泣かせた事のない僕が何度も何度も説得し、その度に泣かせました。
その時は非常につらかったですが、今になって思えば、きちんと自分の思いを伝えられた事、相手の思いを聞いた事、 お互い包み隠さず気持ちを話し合えた事は、骨髄提供に関してだけではなく、家族の絆という点でも大事だったと思います。

帰京後、すぐに問診票の記入に取りかかります。

問診票の記入(2005.01)

『縁を切る!』とまで言っていた家族をなんとか説得し、問診表の記入までこぎつけた僕。
問診表の返送期限は12月下旬から若干遅らせてはもらいましたが、できるだけ早く返送しないと、
苦しむのはレシピエント(受け取る側)の患者さんです。
実家から戻ってすぐに記入にかかりました。

A4用紙にしておよそ2,3枚あったように思います。
現在の自分の意志、家族の同意の状況、話し合った家族メンバ〜、
今まで自分がかかった病気のこと、麻酔のこと(大手術以外にも、歯科麻酔などを含む)、
現在ある症状のこと、不安に思っていること、面談の希望病院などなど…。
急いで『健康体です。今すぐ骨髄を吸い出してくださいっ!』という態度は御法度。
アトピ〜性皮膚炎の既往(現在は完治)や、腰痛の不安など、家族とも確認をとりながらひとつひとつ質問に答えていきます。
ひとつ答えるごとにプレッシャ〜が肩にのしかかるのを感じながら。

問診票を返送したのが1月上旬。その頃には大学の冬休みも終わろうとしていて、次の実習の準備をはじめていたところでした。

そして、実習再開。
ここで僕の意志をさらに強くする出来事がありました。

病院実習中のできごと(2005.01〜2005.02)

自分の過去と向き合いながら、ひとつひとつ質問に答えていき、
問診票を返送して病院実習を再開した僕。(看護学を勉強しているため)
小児科での実習中、思わぬところで"骨髄移植"を意識するできごとがありました。

僕が受け持ったのは、幼稚園児の男の子。
(看護師になるための実習では、それぞれ受け持ちの患者さんを決めます。
2週間程度の実習の中、その患者さんと関係を築きながらケアを計画し、実行します。)
その受け持ちの子が入院した理由が、白血病でした。

簡単に説明すると、白血病には、原因となる場所による分類と進行する速さによる分類があります。
僕が受け持った子は、骨髄移植の適応とならない方の白血病でした。
(子どもの場合、大人と比べて治癒の見込みが高い白血病です)

はじめは特に骨髄移植に関して意識することが少なかった僕。
この子がつらい薬物治療をしているのを見て、考えることが多くありました。

点滴がつながれて身動きできない。痛い。
髪の毛が抜けて、自尊心が傷つけられる。
手洗いや転倒の予防、出血しないようにするなど、注意点が多い。
まわりの子が遊んでいるのに自分は遊べない。
お母さんやお父さん、兄弟姉妹が近くにいない寂しさ。
絵本では優しい看護婦さんやお医者さんが、痛いことをする怖い人に見える。

いつも元気で明るい子から笑顔が消えていきます。
毎日付き添いに来ている母親も、非常に悲痛な表情を浮かべています。
『笑顔を取り戻す看護』をしたいと思う僕は、見ていてすごくつらかった。
頑張っている患者さんに対して自分は何ができるだろう。看護師として、人間として、
僕が何かもっと役立てることはないだろうか。

そう考えた時に頭をよぎったのが骨髄提供でした。

実際に僕がその子に提供ができるわけではありません。(白血球HLAの型や面会制限という意味で)
ただ、同じように苦しむ他の人を助けることはできる。
回復の可能性が低い人に、笑顔を分けてあげることができる。
それによって、家族の笑顔も取り戻すことができる。
骨髄提供の重要性、自分の意志を再認識する機会になりました。
ここからしばらくして、問診票の内容を受けてコ〜ディネ〜タ〜さんから電話があります。

※勘違いして欲しくないこと。
実習中は骨髄移植のことを考えている余裕は全くありませんでした。
その子がいかに苦痛が少なく、楽しく毎日を過ごせるか、家族の不安を軽減できるか、
ケアプランを立て全力でその子と家族にケアを実行していくので精一杯です。
実習期間が終わって休みに入った後、振り返りのひとつとして移植がでてきました。
自分の骨髄提供のことばかり考えてケアがおろそかになったというわけでは決してありません。

問診・確認検査(2005.02上旬〜下旬)

小児科での病院実習で白血病の男の子の受け持ちになり、
骨髄移植の重要性を間接的に意識することになった僕。
問診票の内容を受けて、コ〜ディネ〜タ〜さんから問診・確認検査の日程調整の連絡がありました。
それが2月の上旬のこと。

骨髄の提供予定は最短で3月中旬だったのですが、僕の予定と
レシピエント(受け取り側)の患者さんの予定の折り合いをつけるのが難しく、
4月以降ということになりました。幸い病状は緊急を要するものではないようです。

ただ、いざという時のために問診と確認検査は早めにしておきたい。
実習が一段落する2月の下旬に予約を取りました。
希望していたのは僕が通う大学の付属の病院でしたが、希望はかなわず。
都立の某院に向かうことになりました。交通費は返還されます。

まず、医師との問診の前にコ〜ディネ〜タ〜さんから骨髄バンクについて
詳しく説明がありました。今辞退することはできるが、最終同意をしたら、
以降の取り消しはできないこと(患者さんが移植準備の治療に入るため)。
家族の同意も必要なこと。僕に後遺症が残る可能性はないとは言えないこと。
これからの日程調整が大事で、学校を休むかもしれないこと。

実は、この確認検査の日の前に僕は親友とすれ違いをしてしまい、
現在持っている不安や今後の心配事(休んだ時のノ〜トをどうするかなど)を
相談することができずにいました。
すれ違っていたので、『もうあいつには相談しない』と意地を張っていました。
ただ、このとき頼る人がいないという不安は相当のものでした。

コ〜ディネ〜タ〜さんの説明の間も『仲違いしなければよかった』と後悔しっぱなし。
本当はその子のこと、すっっっっっごい頼ってたんですよね。
今はなんとかひとりで耐えるしかない。もしかしたらこの先もずっと。
心細いまま説明を受けていました。だいたいそれが1時間程度。

その後医師から問診がありますが、既往や後遺症の可能性について
ちょこっと話をする程度でした。5分くらい。これにはちょっとがっかり。
『〜でいいですね?』という聞き方は、『いいえ』と言わせない質問の仕方で、
患者(僕)の不安を拭い去ることはできていません。
調整医師(採取はしない)であるとは言え、僕はこの医者を信頼しませんでした。

医師の問診の後は採血です。
ベテランとおぼしき中年無表情ガリガリナ〜スが、何も言わず腕をブスリ。
さすがはベテランと言うべきなのか、痛みは全くありません。
痛みと同様、何の説明も優しい言葉もなく、真空採血管を何本も交換し、
終わったことも知らされずいつの間にか闇に消えていきました。
あぁ、患者ってこんなに不安なのか。

すべて終わった段階で、コ〜ディネ〜タ〜さんから『1〜2週で結果を郵送します。』と伝えられ、
交通費を受け取って帰途につきました。
その途中、親友から『検査どうだった?』というメ〜ルが来ました。
確認検査の日程を事前に伝えていたからですが、涙が出るほど嬉しかった。
不安な状況の中、友情を再確認する機会にもなりました。

さて、次は結果の通知。どうなるのでしょうか。

確認検査の結果(2005.02下旬)

親友との友情の再確認の機会ともなった確認検査を終え、結果を待った僕。
長いような短いような1週間が過ぎ、封筒が届きました。
この先に進むのか、それとも進めないのか。ハラハラしながら書面に目を通しました。

最上部に書かれていたのは『コ〜ディネ〜ト終了のお知らせ』の文字。
一瞬『?』が頭の中でぐるぐる回っていましたが、しばらくしてやっと理解。
つまり、この先の移植には進めないということです。

この場合何通りか可能性が考えられます。
1, 僕の健康状態が悪く、移植に適さない。
2, レシピエント(受け取り側)が急変した。
3, 白血球のHLAの型が一致しなかった。
4, HLAは一致したが他のドナ〜候補者に決まった。

検査結果に添えられていた文書には、僕の健康状態に問題ないとされていました。
移植にも適した状態であることから、1はないでしょう。
また、移植時期の照準を3月に合わせていたことから、2もなさそうです。
他のドナ〜候補者に決まった場合でも、そのドナ〜が家族の同意がもらえなかったなどで
移植に進めない場合があります。その時のために、残りのドナ〜(僕)は保留にされます。
ただ、今回は保留ではなく完全終了だったので、4もないでしょう。
ということは、考えられるのはHLA不一致。こればかりは仕方ない。

『終了』の2文字を見つめながら、いろいろなことが頭の中を駆け巡りました。
残念な反面、後遺症が残る不安がなくなってほっとしたこと。
家族の安心する顔。患者さんの残念な顔。
家族と話し合ったことや、親友の大事さを痛感したこと。
しばらくはぼ〜っとしながら考えていました。
考えていたというよりは、力が抜けて、思念が頭の中で勝手に動いてた感じでしょうか。

それから、家族と親友に連絡しました。
『コ〜ディネ〜ト、残念やけど終了した。』と。
家族は喜んでいましたし、親友は親友で心配してくれてたようで、
複雑な思いの僕に優しく声をかけてくれました。

改めて自分の考えを整理したあと、骨髄バンクに関するアンケ〜トに回答。
コ〜ディネ〜タ〜や調整医師の態度はどうだったか。
不安に思っていたことはなんだったか。それは解消されたか。
提供の意志に関する質問もありました。
この先仮にHLAが一致する可能性がある患者さんが現れた場合、
僕は再度提供に向けて進んでいくつもりで、"登録を継続"に○をつけています。

回答後、コ〜ディネ〜タ〜さんから改めて連絡があり、僕の骨髄バンク体験はひとまず幕を閉じました。

あとがき

他の誰でもない自分が誰かの役に立てるかもしれない期待。
後遺症や日程調整など、先に進めば進むほど現れる不安。
複雑な思いを抱えながら進んだ僕の骨髄バンクドナ〜としての体験は、
今回は移植にいたらず終わってしまいました。

ドナ〜になるかもしれないという体験はもちろん貴重です。
しかし、今回、他にも多くの大事な経験をしました。

患者がいかに不安な状況下にあるか、身をもって体験しました。
看護師や医師がいかにこわい存在であるか、目の当たりにしました。
これからの自分のナ〜スとしての生き方に反映されるでしょう。

家族が自分を本当に心配してくれていることがわかりました。
親友はいつも僕の気付かないところで支えてくれていることを知りました。
本当にありがとう。多くの人に守られていることに気付けました。
家族については敢えてここでは深く言う必要はありませんが、親友について、もう少し言わせてください。

自分に病気がないのに、ダメ〜ジの大きい手術を受けるのは本当に不安です。
情報を提供されればされるほど不安は増し、先に進めば進むほどこわくなります。
そんな時、ずっと支えてくれたのが僕の親友でした。
後にも先にも、相談したのは家族を除いてはこの子ひとりだけです。
すれ違いがあった時でも、僕が明らかに関わりを避けたがっている時でも、
僕のことを避けようとはせず、エ〜ルをおくってくれました。

そのおかげで、どれだけ不安が和らいだかわかりません。
どれだけ前向きな強い気持ちをもらえたかわかりません。
その子の大事さを、心から感じることができました。

普段は恥ずかしくて言えませんが、この場を借りて言わせてください。
ほんまにありがとう。これからも、ずっとずっと、親友と呼び合えますように。

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