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ドナー体験記



骨髄バンク登録から提供までに至った、6ヶ月間の記録です。

episode1 骨髄バンク登録

ある日、ネットサーフィンをしていると骨髄移植推進財団のウェブサイトにたどり着いた。

それまで骨髄提供の知識は少なく、昔、テレビのドキュメンタリーで見た映像や、
白血病をテーマにしたドラマや映画での印象を持っている程度だった。
ドナーの腰に大きな注射を刺して骨髄を抽出し、それを点滴のようにして患者の体内に送り込む−。

何気なしに、そのサイト内で提供者の感想や、患者さんの感想を読んでいるうちに、
「健康な人なら、誰でもひとつの命を救うことができる」という言葉に心が動いた。
そして、こんな自分でも人の役に立てるのでは、とそんな気がした。

これまで、経験にと一度だけ献血をしたことがあったが、
人の役に立つボランティア活動の経験は皆無で、機会もなかった。
そんなこともあり、提供を考えてみようかな、と思ったのがそもそもの始まりだった。

まず、詳しい情報を得るべく、そのサイトから資料を請求することにした。
住所、名前を打ち込んで、送信。ほんの数分の作業。ハガキを書くことと比べると、手軽なものだ。

それから、1週間もたたないうちに「チャンス!」というパンフレットが送られてきた。
全部で28ページの薄い冊子だが、登録の仕方や骨髄の説明、提供の方法などが詳しく書かれてある。

ほかにも、患者と非血縁関係で白血球の型が一致する確率は、数万分の一のこと、
骨髄液は、全身麻酔後に骨盤に数カ所刺して採取すること、
4日間前後の入院が必要になること、
事前に数回、健康診断が必要になること、
提供前に、本人のほか家族の同意が必要なこと、
などが項目別に分かりやすくまとめてあり、よく理解できた。

確かに、4日間の入院は今の仕事の関係上、難しいかも知れないし、
全身麻酔というのも、経験がないだけに抵抗がある。
また、提供者側(ドナー)の事故の可能性も0ではない、ということも引っ掛かった。

結局、即登録、という気にはならなかった。
「チャンス!」のパンフを鞄に入れたまま、答えは先延ばしになった。
それでも、なんとか決断できたのは、
患者さんはドナーの何倍も辛い目をしてるということと、
こうしている間に、救える命が消えていっている、という現実だった。

資料を受け取ってから2週間ほど経った頃だろうか、
意を決して、昼休み中に「登録を希望される方は」というページを見ながら
最寄りの骨髄データセンターに電話をしてみる。

担当の人に替わるまで少し待たされはしたが、慣れた手順で
登録の日時、場所を相互に確認して、最初のステップは終わった。
あぁ、これで一歩を踏み出したんだな、と感じた。

これで、自分自身の踏ん切りはついた。
ただ、いざ提供、となった場合、ドナーにリスクが伴う性格上、
ドナーの家族の了承も必要ということだったので、親にもあらかじめ伝えておくことにする。

だが、以前、臓器提供カードを前にして、どうしようかという話を親としたときに
すんなり答えが返ってこなかったことがあった。
確かに、脳死状態での臓器提供は自分が良くても、
肉親の立場になると判断に迷う気持ちはよく分かる。
結局、自分でも答えを出せず、カードには何も書けないかった。
そんなことがあったので、今回のことは賛同したもらえるか、少し気がかりだった。

実家へ行き、用事を済ませる中で、母親に登録する旨をさらりと伝えた。
すると、骨髄バンクのことはドラマなどでなんとなくは知っていたらしく、
私は登録したいと思っていたが、年齢的なこともありあきらめていた、という。
意外な展開に落ち着きを取り戻しつつ、パンフを前に詳しく説明をしたところ
「自分の気持ちを大切にするのが一番、それには反対しないから」
という言葉を掛けてくれた。
これで、吹っ切れた。

登録の日。
この日は土曜日だったが、昼前から出勤だったため、
その前に登録場所である献血ルームを訪ねた。
ここは、初めて献血をしたところで、馴染みと安心感があった。

受付に行くと、すぐに反応してくれて、
ポータブルDVDプレーヤーを待合室のテーブルの上に置かれる。
どうやら、先にビデオを見ないといけないらしい。

10分ほど、「チャンス!」に書かれた内容を
映像やイラストで分かりやすく説明しているビデオを見る。
情報はパンフレットの域を出ないので、再度確認といった感じだが、
入院のシーンが出てきたときは、幾分緊張した。

ビデオを見終わってから、登録のための問診票に記入してから、血液採取をされる。
この血液から、HLAという白血球の型を割り出して、コンピュータに登録するという。
患者さんとマッチングをするための第一歩だ。
思ったより、採取量は少ない。10cc。献血前の検査採取ぐらいだろうか。

採取後、自販機で無料のジュースを飲んでいると、登録は終わりました、と受付嬢が言う。
あまりにも早くて、拍子抜けした。30分ほどだっただろうか。

これで、第一関門は突破した。
あとは声が掛かるのを待つだけである。
適合するかしないか、こればかりはいつになるか分からない。
登録してからすぐに通知が来る場合があれば、数十年経っても声が掛からない場合もあるという。

いつになっても、今の気持ちを持ち続けよう、とそのとき心に決めた。

episode2 財団からの通知

やっとのことで登録を済ませた日から時は過ぎ、
登録のことは、仕事や生活の合間にふと思い出す程度になった。
通知が来たら来たで、そのとき考えよう、と登録する前の自分が驚くほど楽観的だった。
ところが、それは遠い話ではなく、突然やって来た。

ある日家のポストに、骨髄移植推進財団と書かれた黄色い封筒が入っていた。
それまで、日本骨髄バンクニュースという冊子が届いていたので、
あぁ、ニュースか、と思って何気なく封を開けると、そこに
「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」
という文字が目に飛び込んできた。

以下、文が続く。

「拝啓 ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 (中略)
この度、貴方様と骨髄バンクの登録患者さんのHLA型(白血球型)が一致し、
ドナー候補者のおひとりに選ばれました。
そこで、骨髄提供に向け、さらに詳しい検査や面談に進んでいただけるかどうかを
お伺いしたく、連絡させていただきました。」


そして、<今後の予定>という項目で、2通りの選択があった。

(1) ドナーコーディネートを希望する場合
(コーディネートの手順と進行の内容)

(2) コーディネートを希望しない場合

他のドナー候補者を検索する必要があります。
返信用紙の1枚目に、今後のドナー登録の希望(保留・取消のいずれか)を記入の上、
早めにご返送ください。電話でご連絡をいただいても結構です。

(2)の場合、「早めにご返送ください」という箇所に、太く下線が引かれている。
当然のことだが、急ぐ必要があるのだろう。

そして、この重要なカバーレターの後に、問診票の紙が5枚ほど入っており、
希望する場合は、これに書き込んで返信する必要があった。

まず、何よりも驚いたのが、登録して2ヶ月しか経っていなかったことだ。
まさか、こんなに早くHLAの型が一致するとは思ってもみなかった。
宝くじに例えると、1等当選、という確率だろうか。

そして、いざ「自分自身に本当に提供する意志があるか」と
改めて切り出された現実に、正直うろたえた。
突然すぎたかも知れないが、登録のときと比べてその現実感は大きかった

ただ、見方を変えると良いタイミングでもあった。
バンクへの登録の後、プライベートでいろいろあり、
新しい生活を歩み始めようとしていた頃だったので、提供を阻む制約はなかった。
まさに、自分だけの意志で決められる、幸いにもそんな時期だった。

次の日、冷静になって登録したときの気持ちと向かい合ってみた。
何のために登録したのか。
あのときの決心はどうだったのか。
自分が役に立てるかもしれない。

もう、迷いはなかった。
このことを両親に伝えた後、問診票と返信用紙に記入して送り返した。
いよいよこれから、骨髄提供の歯車が回り出すことになる。

episode3 初めての面談

提供の意志を伝える返信用紙を、財団に返送してから1週間が経っただろうか、
ポストに今度はピンク色の「重要」「親展」と書かれたA4大の封筒が投函された。

表に大きく、「骨髄移植推進財団 初期コーディネート担当」と書かれている。

封を開けると、「担当コーディネーターのお知らせ」とあり、
貴方様を担当させていただくコーディネーターが決定しました、とある。
そこに、コーディネーターの型の氏名と連絡先が書かれてあり、
今後はここに連絡すれば良いのだろう。

その中で、「現時点の患者さんの骨髄移植希望時期」がしっかり明示されている。
この通知から、3ヶ月後だった。

それに加えて「骨髄提供者となられる方へのご説明書」という、
「チャンス!」と比べてやや厚めの、A5サイズの冊子が入っていた。
中を開けると、計15章に渡って説明書きがある。
HLA型の詳しい説明や、骨髄の採取のしかた、麻酔の安全性や合併症について、
とかなり詳しく書かれてある。
一応、ざっと目を通すが、正直言って、これが自分に起こるという実感がまだ湧かない。

次の日、コーディネーターさんから電話が掛かる。
丁寧そうな印象の女性の声。
確認検査(面談)日の調整だった。

実際に病院へ行って、コーディネーターと一緒に医師から詳しい話を聞き、
その上で、再度提供の意思を示してほしい、とのこと。
それで提供していただける場合は、さらに詳しい血液検査と健康チェックを行うという。

病院は、こちらの希望を尊重してくれるらしく、自宅に近い病院を希望した。
次の日、再度連絡があって、希望通りの病院でOKとのこと。
最後に、双方の都合の良い日を伝えて、ようやく調整が終わった。

それから2週間後、確認検査を受ける当日。
指定された病院の待合い所へ行く。
10分前に着くと、コーディネーターさんが待っていてくれた。
声から想像した通り、丁寧できびきびとした印象を受ける女性。
これからよろしくお願いします、と双方挨拶をして、医師のいる診察室へ向かう。

10分ほど待って通された診察室は、小児科だった。
まずコーディネーターさんから、骨髄移植のシステムの説明を受ける。
ドナーとのやりとりは、すべてコーディネーターが間に入って行うこと、
患者さんの情報や、適合するドナーの人数はコーディネーター自身も知らないこと。
ドナーは、最終同意の前なら、いつ提供の意思を変えても(辞めても)構わないこと。

なるほど、しっかりしたシステムだと感じる。
ここまでしないと、いろんな問題が発生するんだろうな、と思う。

そのあとで、落ち着いた印象の女医さんから医学的な詳しい説明を受ける。
以前、送られてきた「骨髄提供者となられる方へのご説明書」の冊子を見ながら、
補足で簡単な図や絵を描いて説明してくれる。
そもそも骨髄とは、ということから、HLAの条件、採取の方法・・・
こちらの疑問や質問にも、納得いくまで答えてくれた。

医師にとっても、この説明時間はボランティアになるのだろうか。
骨髄移植に関わる治療を経験されているだけあって、
当然だが説明に真実味と真剣さが感じられ
ドナーの安全が何よりも優先される、という言葉に、納得できた。

確かに、説明の中では提供中の事故や、これまでの死亡例についての話が出る。
これまで死亡事故は4例あり、海外は3件、日本は1件という。
ただし、いずれも骨髄移植が始まった初期の頃で、
日本の例は麻酔の方法が腰椎麻酔だったことから引き起こされた事故で、
今ではより安全な全身麻酔に切り替わっているとのこと。
また、提供後に日常生活復帰に要する日数や、退院時のアンケート結果、
採取と麻酔に伴う合併症の諸症状について、など
リスク面についての説明を詳しくする。
事実、急性C型肝炎を引き起こしたり、腰痛の持続、血腫ができたりすることが、
これまであったという。

やはり、こういったドナーに掛かる負担が場合によっては大きな問題にもなり得るため、
このように事前説明に時間を掛ける必要があるのだろう。
人によっては、リスク面ばかりを強調されることに嫌悪感を感じることもあるようだが、
それは仕方ないだろう。
提供の意思は、ドナー自身だけが持つのだから。

コーディネーターさんが、提供をやめても全然構いませんから、と何回も言ってくれる。
事実、この説明を聞いて辞める人も中にはいるらしい。
ただ、そのような話は事前に資料やホームページを見て知っていたし、
そのリスクを怖がっていたら、何のために登録したか分からなくなってしまう。
現に、患者さんはドナーと比べようもないリスクを冒して、
骨髄移植を受けようとしているのだ。

初めてドナー適合の通知を受け取った時とはまた違う、
落ち着きが生まれているのが自分でも感じられた。
この気持ち、なんと言って良いか分からないが、ここまで来たら提供しよう、
という自分の意志の現れだったのかも知れない。

提供します、とコーディネーターさんと医師に告げ、次のステップに進むことになった。

医師の問診と診察を受けてから、看護士さんから検査の時の何倍もの量を採血してもらう。

あとは、最終のドナーに選ばれるのを待つだけである。
もし、複数ドナーがいて、私よりも条件が良い人がいた場合は
この時点でコーディネート終了となる。

ここまで来たら、ぜひとも提供したい、という気になってきた。

episode4 ひたすら待つ時間

医師との面談から1週間後、検査採血した結果が送られてきた。
「血液一般検査結果のお知らせ」の中で、
「財団の基準では問題ありませんでした」という箇所に、チェックがされている。
これで、血液に関してはハードルを越えたわけである。

また、検査結果報告書として2枚の紙が同封されていた。
多岐に渡る検査項目と、その検査結果、財団基準の数字が並んでいる。
検査結果と基準を並べて見ると、すべて基準内にあった。
健康体、ということなのだろう。
健康診断をしてくれたことになるので、お得感がある。

お知らせの中で、骨髄採取を実施するかどうか担当医師が検討するため、
結果を知らせるまで2〜3ヶ月かかることもあるのでご了承ください、とある。

その文章の通り、これから合否を知るまで、ただひたすら待つ時期が続くことになった。
スケジュール帳を見るたびに、なんとなく落ち着かない気分になる。

そうして、2ヶ月が経っただろうか。
早く結果だけでも教えてくれ、という気持ちが強くなった頃、
黄色い封筒が届いた。

急いで開けると、「ドナー選定のお知らせ」とある。

先日の検査の結果、最終的なドナー候補者に選ばれました。つきましては・・・

ついに、選ばれた。
なんとなく選ばれるような心境になっていたため、意外とそれほど驚きはなく、
むしろ最初の通知から早くも3ヶ月が経っていたため、やっと、ようやく、
という気持ちの方が強かった。
これで、あとは最終同意に駒を進められることになった。

次の日、コーディネーターさんから電話があり、日程調整を行う。
今度は家族の同意が必要なため、両親に連絡して
都合の良い日時を確認してからの調整になった。
場所は、2ヶ月前に面談した同じ病院。立ち会いの医師も同じ人だという。

面談には第三者の立会人が同席する。
昔は弁護士が同席したらしいが、最近は特に誰でも構わないらしい。
こちらでぜひ、という人もいないため、財団にお願いすることにした。
おそらく、病院内の他の医師が第三者として同席することになるようだ。

とにかく、すんなり終わってくれることを望んでいた。

episode5 最終同意

最終同意。
これは、提供する側にとっても、提供される側にとっても大変重要なイベントである。
これがターニングポイントとなるため、ドナーは最終同意後に提供を取り消すことはできない。

患者さんは、提供者の最終同意をもって移植に備える。
化学療法や放射療法によって骨髄を空にし、血液をつくる機能を失うわけである。
そのため、この段階での撤回は患者さんにとって致命的なものになるのだ。

もちろん、そのことは事前の説明によって十分知っていたため、プレッシャーを感じていた。
同意後は、健康面に気を遣う必要があるし、無茶なことはできない。
風邪を引いたり、事故に遭うことはもちろん、
体調も整えて移植時には最高のコンディションで望まなくてはいけない。
まるで、大きな大会をひと月後に控えるアスリートの気持ちになってしまう。

それほど大事な最終同意のため、事前に両親への説明も慎重になった。
自分としては、ここに来てドナーに掛かるリスクに心配した親が、
提供を断ることを恐れていた。
実際に、本人は良くても家族の反対によって土壇場で断念するケースが多いとも聞いていた。
だが、登録時点からの説明が功を奏したのか、心配は杞憂に終わり、
両親はすんなりと理解してくれた。
これで、あとは合意に望むだけである。

そんな状態であったが、
最終同意の4日前、予期しないことが起こった。
身内に不幸があり、予定していた日に病院へ行けなくなったのだ。

葬儀場からコーディネーターさんに連絡して、延期をお願いする。
ひとまず、状況が落ち着いてから再度こちらから連絡します、とだけ伝えた。

数日後、ようやく予定にメドが経ったので、再度日程の調整に移った。
すでに患者さんの移植希望の日が決まっているらしく、それはちょうど40日後だった。

最終同意をしないと、事前の健康診断や自己血採取ができないため、
心持ちコーディネーターさんも焦っているようだった。
もし無理でしたら、断っていただいても構いませんから、と何度も言ってくれる。
もしダメだったら、早急に他のドナーを探す必要があるからだろうが、
自分の提供の意思に変わりはない。
なんとか日程の調整がつき、仕切り直しとなった。



最終同意の日がやってきた。
約束の時間に両親と病院へ行く。
奇しくも、この病院は兄を出産した病院で、両親はよく知っていた。
改築していたので、それこそ建物には馴染みがなかったが。

待ち合わせの場所で、すでにコーディネーターさんが待っていてくれた。
お互い挨拶をしてから、医師のいる診察室へ。前回と、全く同じ場所だ。
少し待ってから、皆で診察室に入る。
医師、コーディネーターさん、第三者の立会人、両親、そして私の計6人で診察室は満員となる。

最初にコーディネーターさんが口を開き、今回の主旨と最終同意の説明を行う。
一同に緊張が走る。
次に、医師から前回自分が受けた説明が、今度は両親に向けて行われる。
冊子を元に、骨髄のこと、HLA型とは、移植のしかた、など医学面から丁寧に説明される。
両親も神妙な顔持ちで聞いているが、途中で疑問点があるとすぐに質問をしている。

最後に、問題のリスク面の話になると、語り口調がますます慎重になった。
肝炎や死亡例など、自分も事前に両親に対して説明をしていたが、
やはり医師の口からとなると緊張感や真実味が増す。
ただ、両親もいくつか質問をして納得したようだ。

コーディネーターさんから、お気持ちはどうですか、と振られ
両親は「本人さえ良ければ、特に何も言うことはありません」と言ってくれた。
その瞬間、部屋の中に張りつめていた空気が、幾らか和んだ。皆に笑顔が浮かぶ。
この時点で、修羅場になるケースがこれまであるのだろうか。

最終同意を書類で残すため、それぞれ署名と捺印をする。
医師、第三者の医師、両親、そして私。

これで、正真正銘、引き返せなくなった。
というよりは、ようやく提供に近づいたということだ。

すべてが終わった後、コーディネーターさんがホッとした面もちで、
本当に仲の良い親御さんですね、と話してくる。
一番の峠を越えて、安心されたのだろう。改めて大変なお仕事だと思う。
駐車券をもらってから、コーディネーターさんと別れて両親と病院を出る。
理解のある親で本当に良かった、と思う反面、
自分を信頼してくれているんだな、ということが分かって嬉しかった。

帰り道、ファミレスに寄って一緒に昼食を取ってから別れた。
これで、今までつかえていたモノが取れたような、そんな心境になる。

いよいよ、これから提供に向けて本格的な処置が始まる。

episode6 提供までの処置

最終同意から1週間後。
さすがに提供までの時間がないので、急に忙しくなる。

採取病院は、説明を受けた病院とは違う病院のため、
自宅からは遠くなってしまった。
ただ、経験も豊富で専門の先生もいるようなので、その点は安心できる。

指定された時間に、その病院へ行く。大きな病院で、患者の数が多い。
コーディネーターさんから、今日は診察を受けた後で各種検査をするので、
時間が掛かるかもしれない、という説明を受ける。
それは覚悟していたので、なんでもして下さい、といった心境だ。

コーディネーターさんの後について諸手続を行う。
初診受付から診察予約と、すべてシステム化されているが、
患者が多いので一つの手続きだけでも時間がかかる。じっと待って耐える。

ようやく、順番が来て担当医の先生の診察を受けられることになった。
40代ぐらいの、気さくな先生。内診を受けた後、
各種検査の結果を見てから自己血を取るかどうかを決めることになった。

自己血。あまり聞かない言葉だが、要は自分の血を事前に取っておくということ。
骨髄採取は、患者さんの状態に依るが、一般的に1000mlほどの量が
必要になるので採取と同時に輸血しないと、貧血になってしまう。
そのとき、他人の血ではいろんな問題が起こる可能性があるため、
問題がない自分の血を採取時に輸血するという。
スポーツ選手が自分の記録を上げるために、自己血を使って
血液内の赤血球の数を増やすことがあるという話を聞いたことがあるが、
今回は減った分を補うので、総血液量はほとんど変わらない。

検査を受けるため、カルテを持って順番に検査室を回る。
まずは、胸部レントゲンの撮影をしてから、血液検査のための血液採取、
それから呼吸機能の検査と、心電図測定を受ける。
呼吸機能の検査では、なかなか想定した結果が得られないらしく、
検査員から何度もやり直しをさせられる。
この検査が一番自信があったのだが、楽器と息の出し方が違うので苦戦してしまった。

検査の待ち時間中に、コーディネーターさんと話をする。
骨髄は白血球の型の一致という性格から、バンクの登録にはまだまだ数が必要らしい。
これまで、骨髄移植をテーマにしたドラマや映画がヒットするたびに
提供者はグンと増えたらしいが、それは一過性のもので、
一定で増え続けることにはならないようだ。

ようやく、全部廻り終わった頃、血液検査の結果が出て問題がないことが分かったので、
最後のメニューである、自己血採取にたどり着くことができた。

輸血部へ行き、自己血管理の書類にサインをしてから、
歯医者のようなリクライニングの椅子に座って針を刺される。
献血並みの量のため、10分ほど時間が掛かる。
自己血はもう一度採る必要があるので、もう一度来なくてはいけない。
次の採取日を決めて、ようやく今日の検査が終了した。
始まってから、3時間ほど掛かっただろうか。
コーディネーターさんが、お疲れさまでした、と声を掛けてくれる。
いちいち検査に付き添ってくれたので、こちらこそお礼を言わないといけない。
大変なお仕事だと思う。



それから2週間後、予定の時間に指定された場所へ行き、残りの自己血の採取を受ける。

採取のパックには、自筆でサインをする。間違わないようにするための配慮だろう。
ここまでして他人の血を入れられたら、たまったもんじゃない。
医療事故は人間が関わる以上、絶対無くならないとは思うが、
やはり自分の身に何かあるかも知れないと思うと怖くなってしまう。

これで、提供までにするべきことはすべて終わった。あとは採取を待つだけである。
手帳にも書き込んでいるが、いまひとつ実感が湧かないのは何故だろうか。
採取をしてから、初めて湧くものだろうか。

とにかく、2週間無事に過ごさないといけないので、気を遣う。
もう自分だけの身体ではないのだから。

episode7 入院の日々

バンクの登録から早くも半年が経ち、いよいよ提供の日が迫った。
提供には全身麻酔が必要のため、採取前日から入院をして臨まなくてはならない。
入院は、4日間の予定である。
身の回りのことをすべて整え、満を持して病院へ向かった。

これからの入院の体験は、病室にノートパソコンを持ちこんで、
ほぼリアルタイムにそのときの出来事や気持ちを書きつづったものである。

episode7-1 入院日記【一日目】 「採取前日」

8時起床。朝食、荷物の準備をして、父親の運転する車で病院へ。
事前検診や自己血採取で、今まで2回来ているので問題なく到着。
正面玄関前で降ろしてもらい、大きなバッグを肩に掛けて入退院受付へ向かう。
途中の廊下で、コーディネーターさんと会うことができた。
「いよいよですね。お気持ちはいかがですか?」と聞かれるが、
まだ実感が湧かないのが正直なところ。

受付を済ませて、病室があるエレベーターで病室のある階へ向かう。
降りたのは、整形外科の階。ナースステーションで受付を済ませ、病室へ案内される。
通されたところは、なんと広い個室。窓からの眺めが良く、遠くの山々がよく見える。
コーディネーターさん曰く、病院によっては相部屋になるけれども、
ここは良く配慮してくれる病院とのこと。
感謝である。

退院は今日から3日後の予定であるが、
もし前日に退院する場合は一人で手続きをしなければないないので、必要な事務手続きの話をする。
ひと通り話が終わり、次は明日の午後に様子を見に来ます、と言って
コーディネーターさんは部屋を出ていく。
採取が朝からなので、次にお会いするのは、すべてが終わっている頃だろう。
そのときに痛みに関するアンケートに答えて渡す予定である。

それから20分ほど、持ってきた荷物を整理していると、
受け持ちの看護師さんがやってきて、検査用の採血、血圧測定、手術前の問診を行う。
途中で病院着に着替えるが、これを着たところでいよいよだな、
という実感がふつふつと湧いてきた。

問診では、健康に関すること、緊急連絡先、家族構成、
自分が思う性格などけっこう突っ込んだ質問をされる。
細かいところまでを聞いておかないとケアができないからなのか。
宗教に入っているか、とも聞かれたが、
これは輸血などの問題があるので大事なことだと思う。

問診の途中で、3人の医師が入室する。
明日、執刀するS先生と、手術に立ち会う2人の先生であった。
S先生が、手術のスケジュールと内容を詳しく話してくれる。
マスクをしているので全体はわからないが、目が鋭く、しっかりした顔立ちの先生である。

昨日、院内で小会議を開き、採取する骨髄液の量を決めたそうだ。
私の健康状態や血液の質から、1,000ml以内の骨髄を取るらしい。
ただ、安全を優先するので、採取中に問題がなければ、という条件付きの量となる。
提供する患者さんは成人らしいので、それぐらい必要になるのだろう。

ひと通り話が終わってから、何か質問はありませんか?と訊かれるが、
事前に何度も説明を受けているし、
入院も手術も初めての経験なので特別に訊くこともない。
よろしくお願いします、とだけ伝える。

医師たちが出て行ってから、引き続き看護師さんの問診を受ける。
終了後、このフロアの説明を受けに、あちこち歩き回る。
トイレ、洗面所の場所、電話、テレビカードの自販機。
整形外科のフロアのため、やはり車椅子の患者さんが多いように感じる。
ナースステーション前に置いてある身長台と体重計で測定して、
ひとまず最初の問診は終了と相成った。

次の検査までの指示が来るまで、部屋で待機する。
特にすることもないので、持ってきたノートパソコンで日記を付けようと起動させる。
これで、ずっと書いていなかった旅行記が書ける。

看護師さんが、腕に装着するリストバンドを持ってくる。
検査や治療の際に患者を特定するため、
バーコード付きのリストバンドの装着を義務づけているらしい。
よく遊園地へ行くと、パチンと手首に留めるものがあるが、
それと見た目は同じ。小型端末を使って、照合させている。

それと、室内で使う電化製品は許可が必要というので、許可証に署名と捺印をする。
電気代は別で請求されるとのこと。なかなかシビアだ。
結局、持参のノートパソコンと液晶テレビを記入して、使用が許可される。

そんなこんなで、時刻はすでに正午を回っている。
お昼ご飯はまだかな、と待っていると、
12:15、支度ができたので歩ける人は取りに来てくれ、という
館内放送が入ったので、御膳を取りに行き部屋まで持ち帰る。
見ると、ボリュームがあってなかなか豪勢なメニューだ。

【昼食献立】

きつねうどん、白身魚のお好み焼き風フライ、さつまいもの甘煮、
レタス、白玉入りフルーツポンチ
昼食献立


食べ切ると満腹になる。栄養も良く考えられているのだろう。夕食が今から楽しみである。
明日は麻酔の関係で、昼食はナシ、夕食は柔らかくて食べやすいものになるという。
今日が最後の晩餐、ということなのか。

十分食べたからだろうか、眠気を感じたのでしばらく昼寝をする。
少し開けた窓から風が入ってきて心地良い。鳥の鳴き声が遠くの方から聞こえる。

13:30頃、ノックの音で眼を覚ます。
受付の人が、出血時間の検査に行ってくれ、と受付用紙を持ってきてくれたのだった。

何の検査か良くわからないまま、エレベータに乗って血液検査の部屋へ。
検査受付の紙を渡すと、検査技師の女性に椅子に座るよう言われる。
検査内容を聞くと、出血させて、どのくらいの時間で止血するか計る検査だと言う。
右の耳たぶに針を刺される。ブスッ。
唐突だったので、かなり痛い。ピアスの孔を開けるときは、もっと痛いのだろうか。
20秒ごとに針を刺したところに紙を押し当てて、止血を確認する。
3分ぐらい経っただろうか、無事に止まったようで、検査終了。部屋へ戻る。

14:10、看護師さんが手術のときに必要な血栓防止用のストッキングの採寸を
しに来る。爪切りを持ってきてくれたので助かった。

14:30、担当医師が承諾書を持ってくる。
「説明と了解についての覚書」
「手術(検査)承諾、申込書」
の2枚。

やはり、全身麻酔をかけることと、骨髄穿刺をするため、
出血、ショック、感染、神経損傷の可能性がゼロとは言い切れないとのこと。
それは、事前説明でも聞いていたことなので、了承するしかない。
了承の署名と捺印をして、手術に承諾した。
しかし、さすがに書面になると緊張する。何もなければ良いのだが。

O医師は、何か聞きたいことがあれば遠慮無く聞いて欲しい、
というので自己血の戻し方について聞いてみた。
以前、ウェブサイトで手の甲に針を刺して血を戻すと聞いていたからだ。
先生によると、麻酔がかかるときに針を刺すので、痛みはそれほど感じない、とのこと。
はっきり目を見ながら話してくれるので、こちらも安心する。歳の頃は、同じくらいだろうか。
あと、今晩下剤を飲み、明日の朝の手術前に浣腸をすると言われるが、お腹のことなので気になる。

16:30頃、お風呂の番が回ってきたので、入浴へ。
浴室には介護用のチェアがあり、広々している。
明日は入れないと思うので、のんびりとお湯に浸かる。

17時頃、最初の問診をしてくれた看護師さんが手術を受けるに当たっての説明をしてくれる。
手術は明日の朝9時より行われるので、8時には入室するらしい。
術前には、6時に浣腸をし、髭を剃っておかないといけない。
また、今晩の食事を持って昼まで飲食はできないとのこと。明日は昼食からいただけるようだ。

麻酔科の検診のお呼びはまだかからない。それが気がかり。
時間があるので、借りているDVD(世界の中心で愛をさけぶ)を見る。
まさに、旬。ドラマ版だが、見ていない回もあって釘付けになる。

18時、夕食のアナウンスが入ると同時に、配膳場所まで取りに行く。
昼と同様に、なかなか豪勢。味もイケる。

【夕食献立】

白米、クリームシチュー、白菜の人参・アスパラ巻き、南瓜の玉子焼き、 ほうれん草のおひたし
夕食献立


就寝は21時なので、自由な時間も、あと数時間を残すのみとなった。
麻酔科の診察がないのが気がかりだが、医師たちを信頼したいと思う。
次にここに記すのは、手術後。率直な感想を書きたいと思う。

episode7-2 入院日記【二日目】 「緊張の当日」

昨日の続きより記入する。
昨夜、21時前だろうか、ベッドで半分寝ているとドアをノックする音が聞こえたので
目を覚ますと、先生が2人、枕元で立っている。
麻酔科の先生が、ようやく説明に来てくれたようだ。

明日の手術のとき、どのように麻酔をかけるか、丁寧に説明してくれる。
まず朝の7時に、精神を落ち着けるための安定剤を飲み、
手術室では導入剤入りの点滴を打つと同時に、ガスを吸って麻酔をかけるそうだ。
よく理解できたので、書類に署名をして、よろしくお願いします、と挨拶をする。
来る先生、みな丁寧にわかりやすく説明をしてくれるので、この病院に好感を持つ。

21:30、消灯時間になるので部屋の照明を消し、横になる。
でもさすがに初めての経験なので落ち着かない。緊張もあるのだろう。
ようやく眠りに就いたのは、0時を回ってからだった。



いよいよ採取の日の朝がやってきた。
朝5時頃に起きる。外はすでに明るく、ブラインドカーテンの隙間から真っ青な空がのぞいている。
朝6時には、採血と浣腸をするとのことだったが、全然看護師さんが来ない。
待っていても1分1分、時間が経つのが遅く感じる。
あと2時間後には、手術室にいることを思うと緊張が高ぶってきた。

少しもよおして来たので、トイレで用を足すが中途半端に終わる。緊張が影響しているようだ。
すると、看護師さんがトイレ個室のドア越しに自分の名を呼ぶ。
やはり、浣腸をしないといけないようだ。初めてなので、心理的に抵抗がある。
いざ液が注入されると、お腹がグワッと熱くなり、とたんにもよおしてくる。
3分我慢して、と言われるが、1分と持たない。
効果テキ面。注入前の抵抗感は無くなり、気持ちもスッキリした。

あとは部屋に戻って窓からの景色を眺めながら、ひたすら待つ。
7時20分頃、看護師さんが精神安定剤を持ってきてくれる。
看護師さんも興味があるのか、骨髄バンクのことを聞いてくるので、いろいろ話をする。
熱を測ると、37.1度で微熱があるようだ。

手術室まではストレッチャーに乗せて運ぶと言うので、大袈裟に感じて、
歩いて行って良いかと聞くが、どうもこの病院では歩いて手術室に入れない決まりがあるらしい。
仕方なく横になり、毛布を被せて貰って、看護師さんに引っ張ってもらいながら手術室へ向かう。
初めての体験で、動揺を隠せない。廊下の天井が流れていく。
「白い巨塔」の音楽が頭の中をリフレインする。

8時ちょうど。手術室に着くと、ほかの手術をする人が2、3人
ストレッチャーに乗せられた姿で集まっている。
濃紺の布を被せられ、その下でT字体を取って全裸になる。さすがに寒い。
病室の看護師さんから、手術担当の看護師さんに受け引き継がれて、いよいよオペ室へ。

よくドラマで見るような、丸い光の塊のような大きい照明が中央にある。
そして、ひんやりとした部屋。
すでに、5、6人の先生が手術着姿でスタンバイをしている。
昨日、説明をしに病室に来た先生たちだ。

1、2の3で手術台に移され、いよいよ骨盤穿刺骨髄摘出術の開始である。
自分の脈拍の音が手術室に響く。プッ、プッ、プッ。
緊張をしているためか、心持ち速い。
まず、骨髄バンクに提出する検査用の血液を右腕から数cc取られ、
左腕の手首より少し下の部分に点滴をが刺される。
事前の説明の通り、導入剤が入ると同時に、マスクを付けられる。
「今からガスを入れま・・・・」
ストン、と目の前が真っ暗になった。




意識が朦朧とする中、「○○さん、○○さん」と、自分の名を呼ぶ声で目を覚ます。

「終わりましたよ」と先生の声。
どうやら、無事に済んだようだ。だが、意識はまだ夢の中で、
まるで別の世界の出来事のように感じる。
うっすらした意識の中で「1リットル取れましたか」と先生に聞くと、
「ちゃんと取れたよ」と答えてくれる。良かった、これで役に立てたと薄い意識の中で安堵する。

エレベーターで病棟に戻り、部屋に入ったのも、ぼんやりとしか憶えていない。
穿刺部分の腰と尻の間には、クッションが2箇所、テープで固定されて点滴は付けられたまま。
腰の方に、ずーん、と鈍い痛みを感じる。
それに、尿道にカテーテルが入っているのがわかる。
病室に戻った時刻は、11時半ぐらいだろうか。
ぼんやりした感覚のまま、再び眠ってしまった。

14時頃、看護師さんの声で目を覚ます。
血圧を測った後、失礼します、と言って導尿カテーテルを抜いてくれる。
一瞬、痛みがあるが、ホームページの体験談で聞いていたほど悶絶するほどの痛みではない。
個人差があるのだろうか。熱は37.5度に上がっている。

変な残尿感があるのでトイレで小をしたところ、炭酸飲料を飲んだ後のような、
空気だけがプスプスと出る。
初めての経験なので、なかなか面白い。

部屋に戻ると、看護師さんがお昼ごはんの御膳を持ってきてくれる。
昨日と同様、なかなか豪勢な献立だ。
食欲はあるので全部食べ切った。

【昼食献立】

白米、若鶏のぽん酢漬け、キュウリとパスタのサラダ、竹の子と南瓜の筑前煮
昼食献立


昼食後、点滴のスタンドを転がしながら洗面所で歯磨き。
部屋に戻ると、ちょうど両親が着いたところだった。
まだ麻酔が完全に切れていないためか、終始ぼんやりした感じ。
下の売店で新聞を買ってきてもらい、3人でお茶を飲みながら今までの状況を話す。
元気な様子だったので、安心したみたいだった。

途中で偉い先生の回診があり、胸に聴診器を当てるとすぐに去っていった。
教授回診なのだろうか。「白い巨塔」を思い出す。

母親が、冷蔵庫の上にコーディネーターさんの手紙があるのに気付く。
どうやら、13時頃に来たところ私が寝ていたために、メモを置いていってくれたようだった。
退院は明日を希望しているが無理をせずに、明後日にすればどうか、と書いてくれている。
明日、前から決まっていた用事があるので、できれば明日の昼頃に退院を考えており、
コーディネーターさんに前もって相談していた。
ただ、痛みが残ってることと、休日に入ると病院の外来も閉まってしまうこと、
それに両親もゆっくりしたら、と勧めることも勘案して、退院は予定通り明後日の4日目にする。

30分ほど、ゆっくりしたところで両親が帰っていく。次は、4日目の朝に迎えに来てくれるとのこと。
ベッドで横になりながらテレビを見て、うつらうつらするのを繰り返す。
看護師さんがときどき来てくれて、点滴量のチェックをしていく。
また、手術担当の先生が来て、声をかけてくれる。
それが何回か繰り返されるので、のんびり寝ていられない。

17時頃、看護師さんが交代して申し送りをしている。
今日のお昼から御世話になったMEGUMI似の看護師さん、どうもありがとう。
最後に測ってくれた体温計では、37.2度に下がっていた。

その後、血液検査の結果を持って医師が入室する。
説明によると、白血球数が減っているが、退院するまでにはある程度回復するでしょう、とのこと。
全体の血液量も、自己血を戻しているのでほとんど減っていない。

18時、夕食のアナウンスが入るので残り少ない点滴と共に御膳を取りに行く。
今回はシンプルなメニュー。
【夕食献立】

白米、春巻き、キャベツ、チンジャオロース、ワカメのコンソメスープ
夕食献立


夕食後、点滴が終わったことを確認して、
新しい受け持ちの看護師さんが点滴の針を抜いてくれる。
この一連のことで、針が怖くなくなったようだ。
腕をマジマジと見つめながら、抜かれる作業を見守る。

点滴がなくなったことで、物理的にも精神的にも自由になった。
ようやくノートPCで日記を書き始める。
こうして書き連ねると、今日一日長かったことに気付く。
あの緊張に満ちた朝から、こうして使命を果たし終えた夜まで、
同じ一日とは思えない。

21時半、就寝。明日は一日ゆっくり過ごそうと思う。

episode7-3 入院日記【三日目】 「暇な一日」

6時起床。
昨夜10時に就寝したので、実によく眠れた。
眠る前、熱が37.5度あったので看護師さんが氷枕を持ってきてくれたので、
それを枕にして眠った。
そのおかげか、午前2時に測ったときには36.1度まで下がっていた。

夜間は1時間おきにドアが少し開かれ、こちらを確認している気配を感じる。
看護師さんが見回りに来てくれているようだ。
わずかな音であるが、眠りが浅いときは目が覚めてしまう。

6:20頃、昨日ストレッチャーで運んでくれた看護師さんが採血に来る。
朝っぱらからすみませんね、と声を掛けながら、針を刺す。
採血はまったく気にならなくなった。慣れとは怖いものだ。
熱を測ると、36.6度。ようやく平熱に戻ったようだ。
窓を開けると、醒めるような快晴。気持ちが良い。

7:30、朝食のアナウンスが入ったので取りに行く。
が、配膳庫の中には自分の分がなかった。傍にいた看護師さんに言って、持ってきてもらう。

病院に来て初めて摂る朝食は、パンが2つ。久しぶりに牛乳があったので嬉しい。

【朝食献立】

コッペパン2個、りんごジャム、みかん、牛乳
夕食献立


朝食後、薬を飲む。昨日の昼から毎食後、これが1週間続く。
部屋にいると、看護師さんが2人ペアになってシーツ交換に来るので、
その作業の間、廊下に置いてくれたパイプ椅子に座って待つ。
見ていると、結構な重労働だ。改めて、大変な職業だと思う。

今日の担当の看護師さんは、新しい人で一番若く見える。
看護学校を出て間がないんじゃないだろうか。
退院のことを聞くと、会計に時間が掛かるらしく、
午前中に退院の予定でも、場合によると昼頃までかかるという。
階別に上がってくるようなので、順番が来るまで待つしかないようだ。

ナースステーション横の公衆電話でコーディネーターさんに電話を掛けて、そのことを伝える。
お疲れさまでした、ゆっくりお休み下さい、という言葉が嬉しい。
明日は10時頃に来てくれるとのこと。親にも時間を連絡しないといけない。
買い物をしに、1階の売店まで降りる。売店は人が多く、レジには行列ができている。
品物で溢れる棚から、アップルジュースと朝刊を取って会計を済ませる。

部屋に戻ると、先ほどの看護師さんが清拭に来てくれる。
背中を拭いてくれるが、蒸らしたタオルがこんなに心地よいとは思わなかった。
ただ、ほどよく蒸気を逃がさないと熱くて火傷をしてしまう。
残りのタオルを使い、自分で全身を拭いてスッキリする。これなら風呂に入らなくても大丈夫だ。

患部というのだろうか、採取のための注射跡の痛みは、それほど感じなくなってきた。
外から押さえると、痛みを感じるぐらいである。

昼まで時間はたっぷりあるので、ノートPCでDVDを見て過ごす。
並行して付けている旅行記は、ようやく半分を書き終える。

うとうとと横になっていると、O先生が回診に来る。
術後検診の日程の確認である。3週間後の都合の良い日に変えてもらう。
あと、風呂はいつから入れるか聞いたところ、明日からでもOKという。
ただし患部を押さえながら入ると良いとのこと。プールは、1週間後に良いらしい。

12時過ぎに、昼食のアナウンス。
こんなに食事の時間を待ちわびるようになるとは、不思議なものだ。今回は豪華にすき焼きがある。

【昼食献立】

白米、鮭のクリーム焼き、トマト、すき焼き、レタスとキュウリの酢の物
夕食献立


窓から外を見ていると、どこかへ出掛けたくなってきた。
そういうわけで、院内を散歩することにする。

2階の待合室に行くと、ぎっしり人、人、人で埋め尽くされている。さすがに盛況だ。
外へは出られないと思い込んでいたため、1〜3階までをうろうろする。
途中、公衆電話から両親に連絡して近況を伝えると、安心した様子だった。
明日、病院まで迎えに来てもらう予定。

病室へ戻り、日記を付ける。
14時頃、主治医の先生が様子を見に来てくれる。
採取した骨髄液は、昨日のうちに患者さんに投入されたらしい。
向こうの担当医の方が、御礼を言って帰ったという。
先生も、私がなんともない様子を見て安心していた。

14時半頃、担当の看護師さんが血圧、酸素飽和度、体温を測りに来る。
記念にデジカメで写真を撮ってもらおうとすると、戸惑っている。こんな患者はいないのだろうか。

15時頃、O先生が再び様子を見に来る。
退院は、予定通り明日の午前中。痛みはどうか、と心配してくれるが、ほぼ無くなっている。

それにしても、丸一日をベッドで過ごすのは苦痛だ。
窓から緑豊かな街が見下ろせるだけに、勿体ない気分になる。
明日退院したら、さっそくどこかへ出掛ける計画を立てたい。

夕方は旅行記の入力に没頭する。
もう2週間前になる旅行だが、印象深いことは、はっきりと憶えているものだ。
旅に出たい虫が騒いできた。

18時過ぎ、夕食のアナウンスがあるので飛んでいく。
配膳庫が停まるのを待って、看護師さんが少し笑いながらトレーを渡してくれる。
これが入院生活最後の夕食となる。メインは豪華な天ぷらだ。

【夕食献立】

白米、麩のおつゆ、エビと野菜の天ぷら、キュウリと白菜のリンゴ酢漬け
夕食献立


薬を飲み、歯を磨く。規則正しい生活。
今まで、こんなきっちりした生活を送ったのは、修学旅行以来ではないかしらん、と思う。
腰に巻いている包帯が厚く、寝返りを打つのも難しいので看護師さんに取れないかと相談する。
が、包帯の様子を見ると、明日、医師から取ってもらってほしい、と残念な顔をされる。

今日一日、最後の日でもあるし、辛抱するとしよう。
荷物をまとめ、いよいよ明日の退院に備えることにする。
21時前、血圧測定と体温確認。37.1度と、少し上がっているが、
別に身体はだるくもないし、痛みもない。明日の退院が待ち遠しい。

DVDの「世界の中心で愛をさけぶ」の3枚目を見終わった。
結末を知っているだけに、回を重ねる毎に淋しくなる。
このドラマで亜紀は逝ってしまったけれど、
私が提供した患者さんは、なんとか持ち直して回復してほしいと思う。
結果がわからないだけに、出来ることはただ、祈るしかない。

21時半、就寝。

episode7-4 入院日記【最終日】 「退院の日」

6時半起床。
昨日は夜9時半に就寝したが、夜中に何度も起きて寝付きが悪かった。
自由に歩き回れないことや、自由に食べられないことなど、
これ以上の入院は、さすがに負担に感じる。
今まで散々自由な夜型の生活をしてきた報いだろうか。

今日の午前中で退院の予定のため、気はとてもラクだ。
思えば、入院してから丸3日が経った。3泊4日の入院生活だったわけだが、
規則正しい生活は、思いのほか辛く感じた。
だが、親身に接してくれる看護師さんや、病状を見に来る医師たちのおかげで、
この入院生活も、幾分過ごしやすくなったと感じる。

7:20、血圧、体温、酸素飽和度の測定。
7:30、朝食のアナウンス。病院での最後の食事である。

【朝食献立】

コッペパン2個、マーマレード、バナナ1本、牛乳パック
朝食献立


食べ終わって、薬を飲み、歯を磨くと8時になる。
退院まで、いよいよ残すところ2時間となった。
まずは診察を受けて、腰の包帯を取ってもらわなければならない。

9時半頃、コーディネーターさんが来る。元気な様子を見て、安心されたようだ。
退院手続きが済んだので、次の診察の予約伝票をもらい、帰ってもらっても良いとのこと。
医師の診察も受けなくて良いみたいだったので、アンケートを渡してお礼を言う。
「本当にいろいろと御世話になりました」
ただ、術後の容態確認のため、電話でのコーディネートがあるみたいなので、まだ御世話になるのだが。

実家に電話をして、迎えに来てもらうてはずを整う。
あと1時間ほどで、ようやく退院できる。

看護師さんに患部の包帯を取ってもらうと、茶色く丸い血の跡が4箇所残っていた。
絆創膏を貼ってもらい、患部の周辺をおしぼりで拭いてもらう。
これでおむつのような負担がなくなり、スッキリする。

親が来て、荷物を持ってナースステーションへ。
休日のためか、いつもより人数が少ない。退院手続きを済ませて、看護師さんに御礼を言う。
3日ぶりに建物から外へ出ると、空が眩しかった。
ようやくこれで役目は終わったな、と感じて心底、ホッとした。

episode8 提供を終えて

提供を終えて、無事にドナーの務めを果たすことができた。

が、さすがにずっと張りつめていた気が切れたためか、
退院後に風邪を引いてしまい、珍しくこじらせてしまった。
1週間、高熱と喉の痛みに苦しめられた。
だが、これは提供とは関係がないもので、単に精神的なものだと思う。

ドナーの健康管理のために、コーディネーターさんから週1回、電話が掛かってくる。
項目ごとに体調を答える、といったものである。
2回目からは、特に痛みもなく体調も回復していたので、コーディネートを終えてもらった。

その後、退院して3週間後に受けた術後検診では、
HGB(血色素量)の数が基準値よりも少なく、検査前と比べて完全に戻っていないため、
念のため再度検査を受けることになったが
その1ヶ月後に受けた際検査では、問題なく数も提供前の水準に戻り、安心した。
結局、事前に説明されたドナーに起こる可能性があるリスクも起こることなく、
無事に提供をすますことができた。

参考: 採取跡写真  【注意】弱い人は見ないでください


■採取2日後

採取2日後
穿刺跡が生々しく残っている。場所は背中側の腰部。(骨盤上部)
穿刺数は計4箇所。


■採取2週間後

採取2週間後
穿刺部分のカサブタが取れた跡。窪んではいるが、十分にふさがっている。


■採取2ヶ月後

採取2ヶ月後
触ると凸凹もなく、穿刺部分の跡のみ。跡が消えるのも時間の問題と思われる。



すべてが終わって提供に関わる一連のことを振り返ってみると、
肝心の提供については、採取自体は全身麻酔で意識がなかったため、
アッという間の出来事で、むしろ前夜の緊張感や、
術後の麻酔が覚めきれない中での痛みなど、前後の印象が強く残った。
ただ、それは予想していたよりもずっと軽く、こんなことで一人の命が助けるなら、
一人でも多くの人がドナー登録をしてほしいと思う。
対する患者さんは、数ヶ月、数年のスパンで苦しみ、家族の心配は図り知れない。
そして、何よりも焦燥感とともに、諦めに近い思いがあるかも知れない。
そう考えると、自分のたった数日間の我慢など、比べられないほどの小ささだろう。

提供後に主治医の先生から、自分の骨髄がその日のうちに患者さんの体内へ送り込まれた、と聞いた。
ぜひとも骨髄細胞として定着して、血を作り出して患者さんを助けてほしいと思う。

今まで、私は献血ぐらいでしか人を助ける行為ができなかった。
阪神大震災の時も実際にボランティアに行く勇気もなく、ただ端から見ているだけだったし、
他の震災や天災のときも少額を募金することしかできなかった。
ときどき自分が持つ力って、こんなに小さなものなのか、とつくづく感じていた。

でも、今こうして役目を終えて、満足な自分がいる。
それは自己満足かも知れないけれど、また、実際に役に立ったかどうかは知る由もないけれど、
提供したという事実が患者さんだけでなく、自分にとってもいろんな意味で
勇気を与えてくれたと思う。

骨髄提供は、生涯で2回できるという。
逆に言うと、あと1人の命を助けられる機会があるということだ。
この1年間は保留扱いで出来なくなるが、1年後の保留が解けたときには
ドナー登録を再開して、患者さんの助けになりたいと思っている。

ドナーの骨髄を使うといっても、この骨髄移植はドナーだけでは成り立たないシステムである。
患者さんとドナーを繋ぐコーディネーターさんの存在、
骨髄を採取、また送り込む医療機関の存在、そしてそれを取り囲む支援者や家族の存在など、
本当に社会の中での理解と協力があって、出来ることだろう。
今回、いろんな人と接する機会があったが、人間の心の温もりというのを身近に感じた。
助け合いって本当に大切なんだなと、心底感じた。
初めて通知を受け取ってから4ヶ月で、それを知ることができる機会を得られて、
本当に良かったと思う。

最後に、今回、私の骨髄提供に携わったすべての方々に、心より感謝したい。
ありがとうございました。



(追記)

つたない文章で書いた提供の記録をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
上記の記録に続けて、追記しておきたいことがあります。

今回、私の場合は提供がスムーズに運んだケースになりましたが、
やはり幾らご自身に提供の意思があっても、ご家族の理解が得られなかったり、
年齢や体調によって結果的に提供できない、といった事があるかと思います。
また、提供者に対する社会的補償があまりにも認められていない現実に、
仕事上の都合から物理的に時間が取れない事だって多々あるでしょう。
私自身、もし当時に仕事をしていてどうしても抜けられない時期に重なった場合、
最悪、提供できなかったかも知れません。

提供の体験談そのものは、骨髄バンクのサイトでも多くの方のインタビュー等が載っていますが、
今回私がこうした記録を書こうと思ったのは、登録から提供、
そして完全に回復するまでの一連の流れがつぶさに書かれた体験談が少なかったからです。
部分的な感想や体験だと、読む人によってはあらぬ誤解を生んでしまったり、
一片の出来事に恐怖を感じることがあるかも知れません。
こうしたことを憂慮し、あくまでも一個人の体験ですが、
できるだけ詳細に手続きや起こったこと、そのとき感じたことを綴ったつもりです。

白血球の型の適合する確率が非血縁者だと限りなく小さくなるという骨髄移植の性格上、
バンクにはより多くの登録者が必要で、現在はまだまだ足りない状態です。
まずはドナー登録をすることが最初の一歩になるため、
この体験記が少しでも骨髄移植に関する理解を深める一助になれば、幸いです。

以上

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