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ドナー体験記



以前から献血を趣味にしていた私。
結婚・出産などがあり、献血にも縁がなくなっていた。
次男が幼稚園に通い、時間がとれるようになったので献血を再開した。
骨髄バンクについても調べてみると、献血をしている血液センターで登録できることがわかった。
早速電話して、登録することにした。
ビデオを見て、説明を聞き、登録に及んだ。
血液を少し抜いて登録終わり・・
思ったよりも簡単に済んでしまった。

連絡のあった日

6月ある日
(財)骨髄移植推進財団より「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」が封書で届く。
内容は、骨髄バンクの登録患者さんと私のHLA型(白血球の型)が一致し、
ドナー候補者に選ばれたということ。
それから骨髄移植に向けての検査や面談にすすむ意思があるかどうかという意思確認だった。

問診表などは返信封筒で財団に送り返すことになっていた。


以下、バンクより注意書き

1.コーディネートを進められる方

(1)骨髄提供に健康上問題となりうる疾患や症状がない
(2)患者さんに移行する感染症がない


2.コーディネートを進められない方

(1)以下の方は今後も骨髄提供はできませんので、
   ドナー登録に関しても取り消しとさせていただきます。
  1. 悪性腫瘍(ガン)、膠原病、自己免疫疾患、麻酔時に危険性の高い心臓病および不整脈、脳血管障害、悪性高熱症などの既往歴がある
  2. 薬剤、食品による高度のアレルギー症状(血圧低下・呼吸困難、高度の薬疹)をおこしたことがある
  3. 頚椎・腰椎の手術歴、腸骨切除の手術歴がある
  4. 角膜等の移植を受ける予定がある
  5. その他、財団の定める基準に該当するもの

確認検査

バンクから最初に連絡があってから数日で確認検査(面談)の日程が決まる。
確認検査から最終同意までを行う病院、担当医師、コーディネーターが決まり、
バンクより封書で届いた。
それからはコーディネーターの方がまめに連絡をくれ、丁寧に対応してくれた。

さて、確認検査の当日。

コーディネーターの方から担当医師を紹介され、骨髄提供者となるための説明を受けた。


骨髄とは

骨の中心にある海綿状の造血組織で、白血球、赤血球、血小板がここで造られる。
骨髄にはこれらの血球のもとになる骨髄幹細胞(造血細胞)が含まれている。

赤血球は酸素を運搬し、白血球は外部から侵入する最近と闘う。
血小板は出血を止める働きをする。
これらの血液細胞は骨髄の中で造られて血液中に送り出される。

白血病、再生不良性貧血、免疫不全症などの病気では、骨髄幹細胞に以上が起き、
正常な血球を造れなくなっている。


骨髄移植とは

このような病気で化学療法や免疫抑制剤などで治療が望めない患者が
骨髄の移植によって治療を行うものである。
骨髄ドナーは皮膚から専用の針を刺し(ボールペンの芯ほどの太さ)注射器で骨髄液を吸い取る。
それを患者の静脈へ点滴で注入するものである。決して骨を移植するのではない。


これからの流れ
確認検査
最終同意
(自己血採血)患者が大人であった場合、採取する骨髄液が多いために
採取予定日の1〜3週間前に自己血を採取して保存しておく(骨髄液採取後、自分に戻すため)
骨髄採取方法

などなど、骨髄採取の方法やその安全性、危険などの説明をコーディネートさんから受けた後、
確認検査のための血液採取の同意書を書き、医師による問診、血圧測定、
そして血液を40CCほど採取した。

ドナーに登録した時点での検査で患者さんとのHLA(白血球の型)が一致して
今回のドナー候補に選ばれたわけだが、確認検査においてもう少し詳しく
(遺伝子レベルまで)調べるそうである。

つまり、まだ私はドナーに選定されたわけではなく、
この検査の結果をみて患者の主治医が選定するらしい。

確認検査では患者さんとHLAが一致したドナーが5人まで選定されていて、
一番ふさわしい人が最終的に選定されるのだ。
ドナー選定結果の通知は早ければ1ヶ月、遅くても3ヶ月の間には
コーディネートさんから連絡がある。(電話)

血液採取後は、「またお会いできるといいですね」と別れた。
選定されなければ、これっきりお別れだから。。
最終同意まで進む人はなかなかいないらしい。
ドナー都合によるもの(都合がつかない・家族の同意がえられない・健康上の問題)
患者都合によるもの(HLA(DNA)が不一致・他のドナーに決定・患者の病状変化等)

確認検査における電車やバスなどの交通費、車ならガソリン代は実費で精算してくれる。

選定保留

8月の末、バンクから連絡があった。

選定保留のお知らせ

さて、過日行われました確認検査の結果、選定保留となりました。
第一候補の最終確認後、術前検診で健康上問題がないことが確認できるまで
お待ちいただくことになります。
期間は通常2〜3ヶ月程度ですが、三ヶ月以上になることもあります。
その場合は3ヶ月経過した時点でご連絡いたします。

第一候補者の骨髄採取が決定した場合には、コーディネート終了のご連絡をさせていただきます。
また、第1候補者が骨髄採取にいたらなかった場合には、次のドナー候補者として
「骨髄提供についての最終説明と同意の確認」のご案内をさせていただくこともあります。

つまり、私は第一候補ではなく、補欠になったわけである。
それでも、もしかしたら、ドナーになることもあるかもしれないので、
コーディネート終了までは献血はしてはいけないらしい。

コーディネート終了

コーディネート終了のお知らせ

骨髄バンク事業にご協力いただきましてありがとうございます。
貴方様の骨髄提供のご意志にそってコーディネートを進めさせていただいて
おりましたが、患者さんの都合により今回のコーディネートは終了となりました。

終了の主な理由は下記に示すとおりですが、詳細についてはお知らせしておりません。
これまでのご協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。

患者さん都合による主な終了理由
HLA(DNA)が不一致の時
他のドナー候補者の方が骨髄採取の運びとなったとき
患者さんの病状変化等により治療方針が変更、または骨髄移植を見合わせることになったときなど

今後のドナー登録は継続とさせていただきました。
ドナー登録を「継続」していただいた場合、
今後他の患者さんと適合した時には改めてお知らせいたします。
また、今回の患者さんが何らかの理由でコーディネートの再開をきぼうされたときには、
改めてご意向をお伺いさせて頂く事もありますので、ご了承ください。

こうして、私の骨髄移植ドナー候補者第一回は終了した。

確認検査

2005.4

病院にて確認検査。
2003年に続き、2度目のドナー候補に選ばれた。
選定通知は3月に受け取っていたものの、2月に受けた健康診断で
要精密検査になってしまい、先に進めるか危ぶまれた。
胃カメラを飲んだ結果、「大丈夫」ということで、
引っ越し先にて確認検査を受けることになった。

病院では、コーディネーターさんが待っていてくれて、
世間話を交えながら、自己紹介などをする。

時間になると、血液内科の部長先生も交えて、説明を聞く。
前回も同じような話は聞いているので、あちらも前と変わった点を中心に話してくれた。
提供するにあたっては、提供する側の体と意思を尊重してくれる。

血液検査のため、少量の血液を採取。
今回、患者さんに対して、提供側のドナーが何人選定されたのかわからないけれど、
検査の結果、一番適した人が選ばれるわけだ。

夜、旦那と移植について話す。
私が提供したいという意思は前から話してあるし、
旦那も「できる限り協力する」と言ってくれている。
ただ、リスクがあるという点だけは気にかけているようだ。
「どうして(骨髄提供を)したいの?」
旦那に聞かれて正直困った。
「したいから」
誰かを助けたいとか、そんなことを考えているわけではないような気がする。
ただ、したいだけなのだ。

この後、血液検査の結果、ドナーが選定され、最終同意を経て、採取にすすむ。

ドナーに決定!

2005

最終ドナー候補に選定されました。わたし。
先月の血液検査の結果、患者サイドがわたしを選定したということですね。
移植の日程、それに伴う入院、入院する病院もすでに決まっております。

これからやることは、「最終同意」
わたしの意思だけではなく、旦那の意思も確認するというもの。
これには第三者(弁護士?)も含めた打ち合わせのようなもので、
ここで家族の同意が得られずに移植を断念するドナーもいるとのこと。
やはり、入院や、全身麻酔など、家族にとっては心配なこともあるだろうし、
誰もが大賛成というわけにもいかないのが現実だろう。

実際、旦那も大賛成ではない。
わたしが何故ドナーになりたいのか、考えていた。
患者さんがそれで助かるのなら協力したい。
骨髄移植をしたところで、その病気が確実に治る訳ではなく、患者さんにもリスクはあり、
だけど、移植による治療しか残されていない患者さんがわたしを待っている。

わたしにとって、助けたいのは患者さんよりも周りの人たちなのかもしれない。
「助かりたい」と願う患者さんはもちろんだろうけど「助けたい」と願うまわりの家族、知人たち。

今年の初め、父母があいついで倒れ、どちらも生死の境をさまよっていた。
母はもともと病弱だったものの、父が倒れたのはショックだった。
見舞いに行ったわたしの目に映った父の姿は今思い出しても涙が出る。
まわりの家族の思い・・・・

2月、引っ越しをひかえながら、日赤の救急救助員の資格もとった。
家族、周りの人が倒れたとき、自分で何かできる知識を得たかった。

3月、「ドナー候補」の話がきた時、どうしても受けたかった。
わたしが選ばれるかどうかはわからなかったけど、でも、協力したかった。

現在、わたしは希望通りに最終候補になっている。
わたしの家族の協力のおかげだと思う。
「おめでとう」旦那が言ってくれた。
わたしの希望がかなったことに対する言葉だと思う。
ありがたいことだと思う。
最終同意の時には会社も休んでもらわないといけないのに・・・

「情けは人のためならず。きっとまわりまわってボクのところにくるよ」
なんてわけのわからないことを言っている。

最終同意が済んだら、事前検診。
まだまだやることは残っているのです。

最終同意

2005.5

骨髄移植のための最終同意が行われた。
出席者は、私(ドナー候補)・旦那・骨髄バンクコーディネーター・調整医師・弁護士の5名。
旦那は会社を半日休んでの参加。

弁護士会から派遣された弁護士は、医師やコーディネーターの説明に対して、
きちんと納得した上でのサイン捺印になるかを見極める。
私にとっては三度目の説明になるため、旦那への説明が主体となる。
移植手術までの手続き、手順・・・・
リスク・起こりうる後遺障害・保障などなど。

説明後、サインし、ハンコウを押そうとしたとき、それまで聞き役だった弁護士が
「本当にいいんですか?」
旦那もハンコウをつくのを躊躇する。
「いいんですよ。じっくり考えた上で」
そう言われた旦那も、最初は「彼女の意思を尊重して」なんて言ってたのに。
まあ、それだけ重大なことにあたるわけだ。

さて、最終同意がまとまったことで、本格的に骨髄移植へとすすむことになった。
この先、わたしが「気が変わったので」と断ることはできない。
患者さんが抗がん剤治療、放射線治療など、移植に向けての治療に入るため、
もう、後戻りできないのである。


終わった後のロビー、旦那がぐったりしている。
自分の血液検査のときでさえ、横になってしなければならない人。
針を何百回も骨に刺すことだの、自己血を輸血することなどの説明を聞いているうちに
気持ちが悪くなったらしい。

コーディネーターさんにジュースを買ってもらい、会社に向かった。

骨髄を採取する病院も決定し、術前検診もそこで行われることになっている。

術前検診

2005.6

術前検診は骨髄採取病院で行われる。
採取する医師が私の主治医となる。
問診、内科検診、採尿、採血、心電図、肺機能検査、肺レントゲン・・
結果問題なしということで、今後のスケジュールを決める。

私がドナーとなる患者さんは私よりもだいぶ大柄な男性で、多くの骨髄液を必要とするらしい。
そのため、私からは採れるだけの最大量を採取することになった。
1000CC強抜くということは、結構な量である。
今後、二回に分けて自分の血液を抜いて保存する。
採取する際、自分の血液を輸血するのである。
400CC×2回。
現在、貧血でもないのに鉄剤を処方されて飲んでいる。

さて、骨髄液の抜き方・・・
私も最初誤解していたのだが、背骨に針を刺して抜くわけではない。
腰骨に針を刺してそこから骨髄液を抜取るそうだ。

一箇所で採れる量は1〜2CC。
私が抜くのは1000CC。
こりゃあ結構な回数骨に針を刺されちゃいますね。

患者さんの体重に比例した量を必要とするので、
小さな子供なら少しの量、大きな男性なら多くの量ということになる。
つまり、小さな子どもに提供するのなら、自己血も必要の無いこともあるわけだ。

自己血採血1回目

血液検査・尿検査。
内科にて、診察を待つ。しかし、診察室が混雑しているということで、「輸血室」に移動。
看護師さんが案内してくれて、そこのベッドに横たわって先生が来るのを待った。
血液センターで献血をするベッドに似てはいるが、もっと粗末なもの。
もちろん、テレビもDVDも無い。

しばらく待つと先生が現れ、血液検査と尿検査の結果を確認し、採血。
「移植用マニュアル」というのがあるらしく、普段の採血とは少し手順が違うようだ。
担当医師しか知らないことが多く、スタッフが右往左往する場面も。

無事採血が始まり、400CCが抜かれていく。
献血で経験しているものの、やはり勝手が違う。
採血し終わってからも「絶対に立ち上がらないでね」と念を押された。
その上、医者は「この人、元気ですぐ立ち上がりそうだから、見張っててよ。
30分は寝かしといて」と外来に行ってしまった。

そして看護士に見張られてただただ時間が過ぎるのを待つ。
採血よりもつらい。
「あなたが転んだりしたら、大変なんだから。あなたもだし、患者さんもね」
この言葉に観念し、じっと耐える。
「起き上がらないで下さいよ。信じてますからね。」
看護士が姿を消す。

「絶対に、起き上がらないでよ。信じてますよ」
念を押してドアを閉める看護士。
・・・・・見透かされているというか、信用されていないというか・・
献血ならこの後、ジュースでも振舞ってもらえるのだが、そうもいかない。
そんなこんなで、特に具合の悪くなることも無く、終了。

前回処方された造血剤。本当は採血後から飲み始める物だったらしいが、
すでに服用していたので、また4週間分処方してもらった。

そして・・・・
採血2日後、生理が始まり、造血剤を飲みながらの出血。
「この年齢でこれだけのヘモグロビンを持つなんて凄い事ですよ」
と太鼓判を押されるほど貧血とは縁の無い私だが、自分の造血力を信じるのみ。
一週間後にはまたもや400CCの採血がまっている。
自分の体に戻す血液なのだから、できるだけ健康な血液にしたいもの。

自己血採血2回目

採血1回目から一週間後のこと
検尿・血液検査後、採血。
前回同様、輸血室にて行う。
看護師さんが、いつもと違い、元気な人で、ちょっと安心。
いつもの看護師さんは、先生に叱られてばかりで、こっちが不安になってしまう。

さて、採血開始。
前回は左手だったので、今回は右手。
「あ、たくさん出てるから握らなくてもいいよ」
ニギニギは渡されただけで、その役目を果たすことは無かった。
そして「15分以内で」採血しなければならないところ、
5分弱で400CCの血液を抜いてしまった。
その早さには看護師さんも感心していた。

今回は、前回の反省もあり、30分間の安静時間を充実したものにするべく、
単行本とイオン飲料を持ち込んでいた。
おかげで、快適な・・・とまではいかないが、時間を過ごすことができた。

さて、いよいよ採取の日が迫ってきた。

骨髄移植 入院初日

10時に病院玄関でコーディネーターさんと待ち合わせ。
朝、慌てて書いてきた書類を提出して入院手続きをしてもらう。
窓口はコーディネーターさんがやってくれて私はソファーに座っているのみ。
病人でもないので、「持ちますよ」という病院の方の申し出を断って、
自分で荷物を担いで病室まで案内してもらう。
病室は「血液腫瘍内科」の6人部屋。
窓側でも廊下側でもない、真ん中に自分の小さなスペースができた。

「では、ここで寝巻きに着替えて待っててください」看護士さんが姿を消す。
「コーディネーターはここまでですから」
コーディネーターさんが帰り、とうとうひとりになってしまった。

治療のためか、髪の毛の抜けた患者さんたちの中、健康な私は居心地が悪い。
採血、バイタルチェック(体温・血圧)
「入院のしおり」なるものを頂き、病院のきまりについてひと通りの説明を受ける。

身長・体重測定。
お風呂の予約。明日からはしばらく入れないかもしれないので、しっかり予約。
病院のフロアを簡単に案内してもらう。

さて・・・自由な時間がやってきた。
本は何冊か持ち込んでいるが、とりあえず「タイ語」の勉強なんかをやってみる。

昼食。もちろん、食事制限も無いので普通の病院食。結構ご飯の量が多い。

読書。
バイタルチェック。
エレベーターを降りて、売店に行こうとしたが、
結局たどり着けず、自動販売機で水とイオン飲料を購入。

お風呂・・
ひろ〜いお風呂場で、なんだか落ち着かず、シャワーを浴びて、
さっさとあがってしまったため、同室の人に「あら、早かったわね」と驚かれてしまった。

看護士さんが現れ、「明日の手術に使うので」と、
T字帯・圧縮タイツを買ってくるように指示を受ける。

またまたエレベーターで冒険に出かけ、介護ショップという名前の売店にて購入。
圧縮タイツは、いわゆるエコノミー症候群を予防するためのものらしい。
手術は全身麻酔で行われるため、体位の変換ができないのが原因で
血栓ができるのを防ぐのに必要らしい。
看護士さんには「Mでいいかな」といわれたけれど、「L」を購入。

そして・・・ようやく売店発見。
特に買うものも無く、ラムネ菓子のようなスースーするのを買って帰る。

病室に戻ると、「挨拶が遅くなりました」と研修医を含めた医師三人が登場。
こちらこそ、どうぞよろしくって感じ。
夕飯・・・・夜9時以降は絶飲食になるため、しっかりおなかに詰め込んだ。

7時半ごろ、麻酔医登場。
問診を受け、同意書などをつくる。
全身麻酔のため、呼吸の確保をする必要がある。そのときの危険性を話してくれる。
  • 人工呼吸のための管をのどに入れるが、そのことによって、歯がぐらつくようになることがある。
  • 終わったあと、のどに違和感が残ることがある。
  • 体質で、麻酔によって高熱を出すことがある
    (家族でそのようなことがあった場合、同じことがおきやすい)
  • うつ伏せで採取を行うので、頬の神経が圧迫されるために、麻痺が出てしまうことがある
    (手術中、手を入れたり、顔の向きを変えたり、充分気をつけるようにする)
などなど・・・

読書・・・・もともとごろごろしてるのが好きだし、寝るのも好き。
手持ち無沙汰になることも無く、夜は更けてゆき、消灯。

特に不安も無い。
なんだか、明日はどんなことをするんだろうとか、
わくわくした気持ちと、いよいよなんだなって気持ちと。
不安といえば不安なのか、それは、終わったあとの痛み。
明日は痛くて起きれないのかな〜〜〜なんて考えながら眠りに就いた。

骨髄移植 入院2日目(採取当日)

骨髄移植 採取当日

6時 起床
7時 採血 バイタルチェック(血圧・体温)
8時 手術着に着替え (下にT字帯・圧縮タイツ着用)
8時半 お迎え  車椅子にて手術室に移動
全身麻酔前に、ボ〜〜っとする注射をするようだが、私の場合、必要ないということで(なぜ?)
ベッドでなく(フツウはベッドのまま手術室に運ばれるらしい)意識もしっかりしたまま雑談しながら移動。

9時 手術準備室(?)
手術着・T字帯をはずされ、太ももまでのタイツだけの上に、青いシーツをかけた姿に

9時15分 手術室  麻酔開始
右手に点滴、左手に血圧計・胸に心電図のパッド 腕は枕木(?)に固定
「ちょっと注射するけど、せきが出るからね」
医師の言葉通り、その注射をされるとせきこんでしまった。
酸素マスクのようなものからシューシュー・・・今考えると、あれが麻酔だったのね
・・・そして私は意識をなくしていく。

自分から目覚めたのか、起こされたのか、気づくとベッドに寝かされていた。
自分ではすっかり目覚めたつもりで、看護士さんたちに話しかけたりする。
真っ先に口にしたのは「どのくらい抜いたんですか?」だったような。
意識がはっきりしているつもりだったけれど、やっぱり寝ぼけたような状態だったような気がする。

1時半(多分) ベッドごと病室に移送。
酸素マスクと点滴が2本、それから導尿のためのカテーテルが自分につながっていた。
痛みはどうか、他におかしなところはないかなどを聞かれたような・・

3時  安静解除
導尿のためのカテーテルが抜かれる。男性はこの痛みに耐えられないようだが、
私には、抜く瞬間に「おっと」って感じの違和感がある程度。
T字帯のお役目は終わった。とはいえ、ほとんど使われていなかったような・・??
タイツも脱ぐ。T字帯はもう使うこともなさそうなので処分をお願いする。

安静解除のため、もう、トイレでもどこでも行っていいとのお許しが・・
しかし、逆にそんなに簡単でいいの??って感じでなんだか不安。。

痛み??腰には傷口を保護するためなのか、大きなテープが
背中からお尻にかけて貼られており、さわるとさすがに痛みがある。

それより、声がかすれている。
呼吸確保のために差し込んであった管の後遺症だね、きっと。

3時半  コーディネーターさんが来て、アンケート
痛みとか、ほかにどんなところに違和感があるかとか、
旦那に無事終わったことを連絡してもらったが、「留守だったので
メッセージ残しました」とのこと。
実は、携帯番号を間違えて教えてしまい、多分そのメッセージは私の携帯に入っている。
コーディネーターさんは、元気そうな私の姿を見て安心したと帰っていった。

痛みは、じっとしていれば、特にひどくも無いが、せっかくなので(?)痛み止めの座薬をしてもらう。

6時 酸素マスクはずす。
それ以前から、邪魔だったので、時々はずしていたけれど、
すっかり自由の身になった(点滴一本はつながっていたが)

冒険・・・トイレに行ってみる。点滴を引っ張りながら、でかけたが、それほど痛くは無い。

お待たせしました〜!
夕飯が出される。朝食・昼食抜きの久しぶりの食事。

実は、麻酔からさめたときからおなかが鳴っていて、
看護士さんには「もうちょっとだからね」とはげまされ、安静解除になったときには
「売店に行って何か買ってきて食べてもいいよ」なんて言われていたのだ。

夕食メニューは「うなぎ」土用のうなぎだね。しかし・・・・全粥にうなぎは悲しい。
それから・・・・うなぎにうめぼしって、食い合わせが良くないのでは??などと
つまらないことを考えながら頂く。

感想としては、こんなに元気でいいのかしら・・って位の回復力。
予定通り、1000CCの骨髄液が私の腰椎から採取されたそうだ。

夜、普通に読書していると・・・・
カーテンが開き、「間に合った〜」と汗びっしょりの旦那が顔を出した。
「別にお見舞いなんて来なくていいよ」と言ってあったが、来てくれるとうれしい。
「こんなに元気でごめんね」なんて言いながら、旦那の持ってきてくれたプルーンを受け取った。
30分ほどで面会時間が終わり、旦那が帰っていった。

消灯。。。。痛みに苦しむことなく、眠りに就く。
痛みは、筋肉痛のような、そんな感じ。寝るときに、患部がベッドに当たる瞬間とか、
ちょっと痛むけれど、寝てしまえば特に感じることも無い。

骨髄移植 入院3日目

目覚めると、足首が痒かった。
虫にでも刺されたかな?なんてかいていると、ますます痒くなり、両足のひざ下全体が痒くなった。
看護士さんに痒みを訴えると、アイスノンを二つ持ってきてくれ、
「とりあえず」冷やして痒みを抑えることに。
冷やすことにより、赤みと痒みがひけたものの、朝食を食べるとまたぶりかえしてきて、
両膝下は赤くなってしまった。

医師二人が現れ、症状を見て・・・
「接触性蕁麻疹」との診断が下った。
どうやら、手術の際に使った圧縮タイツにやられたらしい。
確かに今までも靴下やパンツのゴムの後が痒くてたまらないことがあったが・・・

ステロイド剤と、痒み止めの軟膏を処方してもらう。
手術の際、テープにかぶれるかどうかのテストはしていたが、まさかゴムにかぶれるとはね。。。
(この痒みは、退院後2日くらいまで食事をした後とか体温が上がると再発を繰り返すことになる。)

となりのベッドに入院中の患者さんと話をする。
同室の患者さんは健康そうなのに入院した翌日に手術をした私が一体どんな病気なのか
気になっていたようだ。
実は病気でないことを話し、その方の闘病について話を聞いたりした。
(あとでこぼれ話にでもまとめるつもり)

採取痕を保護するテープが痒くなってきたころ、副部長先生登場。
「こんなもん、すぐはがさなくちゃあ」なんて言いながらメリメリっとはがす。
どうやら皮膚には4箇所穴があいているらしい。
「これ、デジカメで撮っといた方がいいよ。」なんて助言もあったが、
その時は自分では見ることもできない。
骨には「ブスブス刺して数え切れない」ほど穴が開いたのだと。

もう、シャワーを浴びてもいいし、普通の生活をして良いと。
ガーゼをはがしたあとにも何も処置しなかった。
何日かは消毒したり・・・なんて考えていただけに、
「あら、そんなに簡単なものなの?」と肩透かしされた感じ。

それでも、しばらくは重いものを持たないこと、
お風呂は退院後3日ぐらいしてからにすることなどの注意を受けた。
「もう退院してもいいんだけどね。まあ、明日予定通り退院ということで」

エレベーター前のホールで漫画を読んだり、自動販売機に出かけたり・・・
前の日に全身麻酔で採取を受けたなんて信じられないほど行動ができる。

看護士さんによると、痛みを訴えるのも人によって違うらしい。
女性は出産を経験しているし、強いのかしらね。
とにかく、その日の私は痛みよりも痒みのほうが気になる一日だった。

骨髄移植 入院4日目(退院)

1000CCの骨髄液を抜きながら、こうして元気でいられるのも、
自分の血液を800CC輸血したためかもしれない。
他人の血液を輸血することによって違う病気になることを防ぐために、
事前に二回に分けて自己血を採取し、保存してあったのだ。
輸血は手術の間に終わったらしく、目が覚めたときには輸血の管は無かった。

さてさて、退院のこの日、毎日あった採血は無く、血圧と体温を測ったのみ。
痒みはまだ治まらないものの、痛みのほうはそれほどではない。
朝食を終えると、担当医が現れ、
「蕁麻疹が退院を引き止める理由にはなりませんので」とあらためて退院の認定。

9時前には看護士さんが「次回の予約票」を持ってきて「会計はありませんから」と。
いつでも帰っていいらしい。
ところが12時に退院と聞いていたので、旦那の迎えはまだだし、
コーディネーターさんも来ないのでまだ帰るわけにもいかない。

お隣のベッドの患者さんと話したりして時間をすごす。
10時過ぎ、旦那が現れ、ベッド周りの片付けと着替えをする。
コーディネーターさんが来てからは、荷物をまとめ、
同室の皆さんに挨拶をしてエレベーター前のロビーに出る。

骨髄バンクのアンケートも終え、いよいよ退院。

「ねえねえ、これからどっか行く?」車に乗り込んでから旦那に聞いてみたが、
車はまっすぐ自宅へ。

家に帰ってまずやったのはデジカメで写真を撮ったこと。
旦那に撮ってもらったのだが、傷???は注射のあとが腰に4個あるだけ。
蚊に刺された痕のほうが赤くなってるだろう・・
とにかく、思ったよりも何も無い。

一応退院したばかりだから・・・堂々と昼間からベッドに横になることができた。

骨髄移植 こぼれ話 その1 <トイレ>

入院中、私の腸は動きを止めていた。
おならをしちゃいかんという緊張感が、その動きにストップをかけたのだ。
あたしは すかしっぺ をすることができない。
あたしのそれは、旦那に言わせると「地響きのような」ものらしい。

毎朝、このガス抜きで一日が始まる。
始まるだけでなく、一日中、ガス抜きをしているのだが、さすがにカーテン一枚の仕切りじゃあ、無理・・
いかに私でも・・・・無理・・・むり・・・爆音をとどろかせるわけにはいかない。
ガス抜きができないってことは、大物も出てこない。

ありがたいことに病院のトイレはウォッシュレットだった。
これで刺激して・・・・・
でも無理・・・むり・・・だって、共同トイレじゃん。やっぱ気になる。

あと数日で自宅に帰るんだから。。と開き直って膨らんでくるおなかをさすってすごした。
あと数日退院が遅かったら、あたしゃガス爆発してたかもしれない。

ちなみに、放射線治療を行うと全身の皮膚が弱くなって、とても紙でなんか拭けないんだと。
ウォッシュレットがなきゃダメなんだって、隣の患者さんが教えてくれた。

骨髄移植 こぼれ話 その2 <看護士さん>

「あたしなんておばさんですよ」
そう言う看護士さんは28歳だった。そっか、28っておばさんなのかあ・・・

わたしの入院した病棟は特に若くてきれいな看護士さんが多いと有名らしい。
確かに、みんなかわいくて・・・それに優しかった。
20代前半の看護士さんたちで、中には研修中のコもいるのかな??

「ごめんなさい」「まだとれない?」「ごめんなさい」「まただめ?」
カーテン越しのやり取り。
なかなか採血ができないらしい。
腕をかえて針を刺しても取れない様子。
しまいには「あとで上のものに来てもらいますから」と看護士さんは立ち去った。
「とれなかったみたいですねえ」あとからやって来たベテランそうな看護士さん。
一発で採血していた。そのときに「あら、たくさん穴開いてるわね。検査の時の?」なんて言ってたけど・・
「さっきの若い奴がやったのよ」・・・・告げ口したかったけど言えなかった。
患者さんは・・・文句を言えるような状態になかったのにね。

男性の看護士さんもいるのね。
足の蕁麻疹を「見せてください」って言われてもねえ〜恥ずかしいじゃん。
医者には全部見せるけどさ。。。
相談しやすいのも・・・やっぱ女性かなあ。
慣れ・・なのかなあ。

<コーディネーターさん>

病院とのつなぎはすべて同じコーディネーターさんがやってくれる。
私の担当はOさん。女性で私と同じくらいの年、同じように子育て中。
そんなわけで長い待ち時間にも飽きることなく世間話をしたり、質問したり。
コーディネーターさんって大変だなあって思ったこと。

・風邪をひくわけにいかない
  ドナーに風邪をうつしたらいけないし、病院でのコーディネートにもさしつかえる

・家族の一大事でもコーディネート中心
  今回、私の入院と、Oさんの娘さんの入院(ドナーじゃないけど)が重なってしまい、
  Oさんは娘さんの病院から私のところに来てくれてた。

・医者とドナーの板ばさみ
  とにかく低姿勢。ドナーを大切にしてくれるが、
  時としては医者にきついことを言われることもあるそうで・・

やっぱり安心してコーディネートから移植まですすめたいので、信頼できる人がいいものね。
私も興味持ったけど・・・ちょっと無理だな。

骨髄移植 こぼれ話 その3

生活のこと
入院中はともかく、退院後のことについて


退院した日  腰が、おもた〜い感じ。筋肉痛のような、生理痛のような・・

退院した次の日 旦那が休みだったので、家事放棄

退院 2日目  買い物のため、自転車に乗る
        寝ていた生活のため、さすがにだるかったけど、結構元気

退院 4日目  映画「ウブメの夏」鑑賞  隣駅までバスに乗る
       途中腰痛に襲われたらどうしようかと思ったけど、
        睡魔に負けるアクシデント(?)はあったものの、最後まで鑑賞

退院一週間  実家に預けてあった子供達を迎えに行く
       信州まで旦那の運転でドライブ  帰りは高速バス

退院二週間後 術後検診
       骨髄採取した病院にて血液・尿の検査
       検査の結果、特に問題なし。

       採取した部位の骨のところが少しこぶになっているが、
       針を何度も刺した部位を再生しているためとのこと
       (実際、一ヶ月後にはすっきりした)

退院三週間後 コーディネーターさんから経過伺いの電話

退院四週間後 コーディネーターさんからの電話。
       術後、特に問題無しとのことで、コーディネート終了。
       これからはコーディネーターさんとのかかわりはなくなり、
       連絡事項は事務局に連絡するようにとのこと

骨髄移植財団からの書類を返送する

中身・・・請求書(支度金5000円+事前検診から術後検診までの交通費)
      ※5000円は入院にかかわる費用のためにと決められた金額

骨髄移植体験 コーディネート終了

骨髄移植のための採取から一ヶ月、私の健康に問題無しということでコーディネートが終了した。
コーディネーターさんからの電話のあった前日、移植財団から一通の封書が届いていた。
中には白い封筒。
その中にはワープロ打ちされた手紙。

日付けは6月。ドナーが見つかり(←これは私のことだね、きっと)
幸運に恵まれた・・・・というような内容。

最後は、「みなさん、長生きしてください」で結ばれた手紙。
移植から一ヶ月たった後にこの内容・・日付けも移植よりもずいぶん前のもの。

もしかしたら・・・ダメだったのかな〜??
一瞬・・・やっぱり淋しい気持ちが・・・・
私のしたことが無駄に??
でもね、わたしはやってよかったと思ってるのよ。
自己満足と言えばそうかもしれないけど。

骨髄移植の治療はずいぶんつらいものらしい。
移植前の処置も、術後の治療も、健康体であってもすざまじいものらしい。
実際、移植による生存率も高いものではないと言う。
それでも、移植でなければ助からない命・・・・

コーディネーターさんからコーディネート終了の電話のあったとき、
この手紙について触れることはやめておいた。

それから2週間・・・
財団から筒状の宅急便が・・・・
中身は厚生労働大臣からの感謝状。

もしかしたら、助けることのできなかった命。
それでも、少しでも希望をあげることはできたかな。

私の骨髄移植ドナー体験・・・・・貴重な貴重な夏でした。

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