アクセス解析CGI

ドナー体験記

はじめまして無法松と申します。

この投稿を見ているみなさんは、これから骨髄バンクに登録しようと考えている方なのか、もしかするとドナーが決まり移植手術を待っている方かもしれませんね。

(実際、私はドナー確定以降移植手術前までこの経験者の投稿を参考に見ていたひとりです)

骨髄採取を終え、私の経験がひとつの事例としてみなさんの役に立てばと思い投稿いたします。

私は献血や骨髄ドナー登録をしていた父親の影響もあり、自然な流れで献血を定期的にし、5〜6年前献血の際にドナー登録をしました。登録自体は献血とは別に登録用の採血をするだけの、とても簡単なものでした。
それ以降骨髄バンクから郵便が届くたび、「決まったのか?」と思いつつ開封しましたが会報が入ってるだけ。

そんな中、昨年末にいつもと違う大きな封筒で、しかも速達で骨髄バンクから郵便が届いたのです。 私だけでなく家族も「ついに来たんじゃないの」と、ある種確信を持って開封しました。
思った通り「適合する患者さんが…」という内容でした。
封筒の中には自分の意思を確認するもの、連絡先を書くもの、多くの書類がありました。
年末だし、速達で来てるし、急いでいるのだと思い翌日に返信、もちろん”話を進めます”と。
封筒に入っていた冊子を元に、まずは会社の上司にドナーになるかもしれない事、これから何日かお休みをもらう必要があることを報告しました。
幸い上司はこのことに理解をしてくれ、総務に対して”特別有給休暇”として処理できないか掛け合ってくれました。
結果会社の規約にはないということで却下となりましたが、理解していただけるだけでも助かりました。

その後コーディネーターの方から電話があり、面談と最終検査の日程を決めました。
ドナーへの道のはじまりです。
コーディネーターさんの説明によると、同時に複数のドナー候補者がおり、最適な条件の方が選ばれるのだとか。
つまり時間を割いて最終検査に臨んだけど、自分ではない可能性もあるということ。
それはそれで構わないけど、結果を早く知りたいと思いました。

結局その結果通知が来るまでに半年の時間が経ち、”選定保留”となりました。
要は条件が一番よい方に何かあった場合のための補欠です。
とはいえドナーになる可能性もまだあるため、引き続き体調を整え、定期的に行っていた献血も控えておりました(コーディネート終了までは献血は控えるようにとのこと)。

1か月後、コーディネート終了の通知が届きました。
無事に移植手術されたのだろうなと思いつつ、何となく複雑な気持ちでした、自分は選ばれなかったなと。

そう思った1週間後、なんとまたあの大きな封筒が届きました。まさかと思いつつ開封すると、別の方と適合したということ、前回の確認検査から日が経ってないので前回のデータを使用すると書いてありました。
そんなに何人もの人と適合するのか?と思うのも束の間、2週間後には”ドナー決定”の通知が届きました(通知が来る前に事務局から電話で知らされた)。
前は半年近く待ったのに、今度は決定が早い。その後は

1.最終合意面談 (本人、家族が同意書にサイン・採取病院の希望聞き取り、採取候補日の決定)
2.術前検診(一般的な健康診断、肺活量の確認、執刀医・麻酔科医との面談)
3.自己血の採取(採取量は条件により変わるそうですが、私は300ml×2回)

会社を半休したりして、4回は病院に足を運びました。
そしてついに骨髄採取のための入院。
入院から退院まで4日、会社には規約に従い無給休暇の申請をしました。



○入院1日目(入院)

昼ご飯を済ませ、午後の入院。
これから数日過ごす病室(個室)に案内され、設備の説明から院内 生活の説明。
15時くらいからは予想通り暇な時間を過ごしました。
初めての全身麻酔&手術で緊張はしてましたが、普通に夕食も食べ、睡眠もできた自分が怖い。



○入院2日目(採取日)

9時には手術室に入るということで、8時過ぎには家族に来てもらいました。
この病院では自分が気にしていた尿道カテーテルも浣腸もなく、病室で術着に着替え歩いて手術室へ向かいました。

やはり緊張は隠せなかったのか、手術台に寝た後麻酔科医の方から「緊張してる?」と聞かれたので、「緊張はしてます、初めてですし」と正直に答えました。
「今から眠くなる薬を入れます」と言われたあたりから、安心させるためか看護師さんが私の肩をずっとさすってくれてました。
裸眼視力0.04の私には顔が見えずちょっと残念。
麻酔をかけ始めてすぐに意識がなくなったと書いている人が多くいますが、私は長く感じました。
まず体が宙に浮いたかのようにふわっとした感じが襲い、体が自分のものでなくなったような感覚になりました。
耳の感覚は最後までの残ると聞いたことあったけど、自分の心電図の音がずっと聞こえていた気がします。
次に記憶があるのは恐らくICUに移り、先生と家族がベッドを囲んで何やら話しているところ。
視力が悪いので声で判断するに、先生と妻、そして次女(4歳)。

その後何時間ICUにいたかわかりませんが、「病棟が迎えに来ましたよ」と声をかけられ、ベッドを移乗させられ、病室に戻ったのが15時過ぎでしょうか。
妻に聞くと11時過ぎには手術が終わっていたそうです。
16時過ぎに先生が来られ、「そろそろ起き上がっても大丈夫ですよ」と言われたので、病室の中をうろうろしていたら後から来た看護師さんにびっくりされました。
針を刺した腰には止血のためのパットが貼られ、特に痛みはありませんでした。 
でも紙おむつを履かされていることに気づき、さっさと着替えました。
術後の痛みを”鈍痛”と表現しているのをよく見ましたが、私はじっとしていれば痛みはありませんでした。
体を動かした時に少しズキっと痛むくらい。
だから夜寝る時、姿勢を決めるまでが少し大変でした。



○入院3日目

朝先生が来られ、止血用のパットを外して絆創膏に貼り替えられました。
私には見えませんが、どうやら2か所針を刺したみたいです。
2か所交互に押さえ、「こっちは痛い?」と聞かれ「痛いです」と答えた方は少し腫れているようです。
明日の朝血液検査して、貧血等の問題がなければ退院だそうです。
昼ころからちょっと熱っぽくなり、1日3回ある検温では37℃でした。



○入院4日目(退院)

朝から通常の検温の後採血、退院前の血液検査です。
結果問題もなく退院が決定、病室を追い出される準備をしました。
9時頃にコーディネーターさんが来られ、いろいろ話し込み退院の処理を終えて病院を出たのは11時前でした。帰路は父親が迎えに来ましたが、運転は私がして帰りました。
特に腰の痛みはないと思っていましたが、車のシートがちょうど当たるのか車がバウンドする度にズキっと痛みがありました。
まあ仕方ないと思いつつ、その後は自宅でゆっくりしました。



○退院翌日

予定通り仕事に復帰。
リハビリ中(?)なので定時で帰ろうと思っておりましたが、普通に残業。
幸い椅子に座ってパソコン作業の仕事なのでよかったですが、重いものを持つ仕事だとちょっと厳しかったかもしれません。



○退院1週間後

腰に違和感がまだありますが、普通に生活しております。
来週の術後検診で今回のコーディネートが終わります。
そんな中骨髄バンクから封書が届き、中に患者さんからの手紙が入っておりました。
恐らく手術前に書かれたものを骨髄バンクに預けておられたのだと思います。
今ごろ拒絶反応など大変な状況で、手紙なんて読んでいられないのでは・・・。
そう思いつつ、コーディネーターさんの勧めもあり返事を書いて骨髄バンクに送付しました。



今回の経験を通して

今回の経験を通して思ったことは、自分の体に全く影響がないというわけではありませんが、不安に感じていたほどのことではありませんでした。
ただ休業補償等がないのだけは、これから影響が出るかもしれません(今月の給料が心配)。 
公務員や一部の会社には移植休暇が設定されていたり、自治体、保険会社によって骨髄ドナーになった方に助成金がでるものもあるようです。一度自分が住んでる自治体、入っている保険会社の状況を確認されるのもいいかもしれません。

不思議だけど、麻酔で少し朦朧としている中ICUから出る際、そこにいた医師、看護師の皆さんが「ありがとうございました」と一斉に声をかけてくれたこと、今でも覚えている。

考えてみたら、医師や看護師の方にお礼を言うことはあっても、言われることはあまりないかもしれませんね。



※原作者のホームページは、こちらになります。

掲載されている文章・写真・図表などは、原作者の許諾を得て転載しております。 無断での転載を禁じます。
このサイトは、チーズとチーズケーキの専門店、オーダーチーズ・ドットコムと、フランス・ボルドーより、ビンテージワインの直輸入販売を行なうオールドビンテージ・ドットコム、フラワー電報のボックスフラワー電報により運営されております。