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ドナー体験記

「ドナー体験記〜アスリートとしてできること〜」

「自己紹介」

 トライアスロン選手の松井一矢です。ITU主催(現WT)トライアスロン世界選手権 in スペイン・ポンテベドラ大会(ロングディスタンス部門)で日本代表選手として出場したアスリートです。この大会に出場をした同年に献血は累計100回を越えました。鉄人レースと呼ばれる「アイアンマン・トライアスロン」(水泳3.8km → 自転車180km → ランニング42.2km)はマレーシア・ランカウイ島で開催された大会に挑戦し完走をしました。27歳になった年に、骨髄バンク・ドナー適合通知が届き、ドナー提供をしました。

マレーシア・ランカウイ島で開催された「アイアンマン・トライアスロン」大会に挑戦

「ドナー登録」

 私は17歳の時から献血ルームに通っており、骨髄バンクの存在については興味関心を持っていました。ですが、風のウワサを信じていたので、ドナー登録をする為にも手術室に入るものだと思い込んできました。21歳のある日。献血ルームに足を運ぶと、骨髄バンク説明員を名乗る女性が挨拶をしてくださり、骨髄バンクについて初めて詳しい説明を受けました。すると、自分が誤解していたことを知り、「そんなに簡単に登録できるんだったら、登録しよう」と決めて、その日のうちにドナー登録手続きを済ませました。

「ドナー適合通知」

 初めてドナー適合通知が届いたのは、ドナー登録をしてから約1週間後。登録して間もない頃にオレンジ色の封筒が届きました。すぐに両親に相談し、提供する意思を届けました。実際には、提供するまでに至りませんでしたが、「自分の登録を待っていた人が居た」という実感は、これからも健康な身体を維持しよう!という気持ちにも繋がりました。

 それから6年後、27歳になった時。2回目のドナー適合通知が届きました。ドナー適合確立は、兄弟で1/4、両親で1/8、ドナー登録者となれば、数十万から数百万分の1の確率でしか適合しないと聞いていたので、2回目のドナー適合通知は、私の人生においても意味のあることではないかと思いました。それも、自治体の助成金制度が開始された年であり、勤め先で骨髄バンクドナー休暇制度も同年に開始され、さらにコロナ禍によって、私が出場予定の世界選手権が延期となっていたことも重なり、提供する道が開かれていきました。

「ドナー提供までの道のり」

 適合通知が届き、提供する意思を伝えると、健康診断をする調整が行われました。健康診断では、登録時より詳細な白血球の型(HLA型)を調べる為の採血が行われ、医師の問診があり、骨髄バンク・ドナー提供をするまでの道のりについての説明を受けました。

■問診で主に聞かれたことは
  1. 家族構成
  2. 現在仕事の状況
  3. 家族の同意を得ること
  4. 検査通院の希望日時
  5. 疑問、不安点の確認
  6. 献血の禁止 (〜ドナー提供後、6ヶ月後まで)
■今後の流れに関しては
  1. 通知
  2. コーディネート開始
  3. 最終同意
  4. 健康診断
  5. 採取の準備
  6. 入院
  7. 骨髄液採取
  8. 抹消血幹細胞採取
  9. 退院

※ 骨髄バンクという組織が、患者さんと、私たちドナー提供者との縁を繋ぎ、各種手続きをしてくださることを「コーディネート」と呼び、担当者さんを「コーディネーター」と呼ぶそうです。

※1人の患者さんに対して「コーディネート」は同時に10名まで進めることが可能だそうです。日本は島国という歴史がある為、海外に比べれば適合確率はそれでも高い方だそうで、適合する人はするらしい。なので、もし自分が断ったとしても、他の人が居る可能性もあるから、心配しないでね!とコーディネーターから優しい言葉掛けがあります。実際のところ、何名が同時にコーディネートされているかは教えてくれません。実際は自分1人だけの可能性も考えられますがドナー候補者の精神的負担を軽くしたいのが目的と思われます。
2人以上同時にコーディネートが進んでいる場合は、患者さんの担当医が最善な人を選び、通達を送るそうです。

「最終同意日について」

 事前の健康診断を通過し、患者さんの担当医が私を最善の人だと選び、最終同意をするという1日に臨みました。ここでサインをした場合、ドナー提供に向けての段取りが開始され、断ることができなくなります。提供する際のリスクについて再度説明を受けた後、家族同伴で同意のサインを行います。家族が同伴できない場合は、親しい友人でも、彼氏・彼女でも可能だそうです。この時、ドナー提供手術をする日を決めて、逆算してスケジュール調整を行います。

「ドナー提供手術をする病院の選択」

 ドナー提供者には、手術をする病院を選ぶ権利があります。事前に自宅に届くお手紙の中に、骨髄バンク・ドナー提供の手術ができる病院リストがあり、これまでの累計手術回数と、病院の住所、各病院の入院計画が記載されています。信頼性から手術回数で選んで良し、自宅の近くの病院で選んで良し。最大3枠まで希望を届けることが可能です。交通費は全額支給される為、遠い病院を選んでも大丈夫です。

「ドナー提供方法は2種類ある」

 骨髄液採取、抹消血幹細胞採取と2種類あります。私は骨髄液採取を選びました。違いについては担当医から説明を受けます。大きい違いは、手術室に入り全身麻酔をして注射によって採血する方法が骨髄液採取。献血と似た形で起きた状態で採血する方法が末梢血幹細胞採取となります。必要となる入院日数や、段取りが異なる為、説明をよく聞いたり、調べたりして、どちらにするか考えて頂ければと思います。

「事前・健康診断」

 提供する直前(1ヶ月以内)に行う健康診断。ここでは下記検査が行われました。

  1. 血液検査
  2. 身長体重測定
  3. 胸部レントゲン
  4. 肺活量検査
  5. 尿検査
  6. 心電図
  7. 血圧測定
  8. 問診(麻酔科の先生からの問診・説明)
  9. 問診(造血幹細胞移植科の先生からの問診・説明)

 この他、血液(造血幹細胞)を採取した後に貧血にならないよう、事前に自分自身の血液を採血しておき、ドナー提供手術時に自分の身体に戻す為の採血(自己血採血)が別日で2日間ありました。体重によって採血量が異なる為、自己血採血をする量も異なります。

  • 自己血採血1回目 提供予定の1ヶ月以内 400ml 採血
  • 自己血採血2回目 提供予定の2週間以内 200ml 採血
  • 「ドナー提供のための入院」

     いよいよっていう感覚。私の場合はコロナ禍の影響があり、提供日が延期になったこともあり、ドナー適合通知から、ドナー提供までに約半年間も期間が掛かりました。PCR検査を行う関係で、入院日数は、これまでより1日間増えて、最低4泊5日となりました。

     最初は大部屋の入院病棟に案内して頂き、PCR検査と血液検査の結果を待ちました。どちらの検査結果も無事通過したのは夕方頃。その時に、大部屋から、無菌室という特別な部屋(個室)に案内して頂き、そこで生活をすることになりました。

    「入院時の過ごし方」

     私が入院した病院では、朝8時、昼12時、夜18時に必ず3食の食事があり、それぞれ栄養価の考えられた食事が提供されました。飲み物は自分で用意する形でしたが、食事の時間は、とても嬉しい時間でした。血液検査は毎日実施され、体調確認は朝晩2回以上の見回りがありました。今回の担当医や、看護師さん、麻酔科の先生と、みなさんが手術前に挨拶をしてくださり、とても安心してドナー提供手術に臨めたことは、心強かったです。

    コロナ禍の影響でドナー提供者も家族・友人と病院内での面会禁止。なので、スマホやPCを使って、zoom面会をして過ごしました。人と関われることの幸せを感じたひとときでした。

    zoom面会

    「ドナー提供手術 当日」

     前日の夜から絶食して、朝5時以降は飲料も禁止。8時40分頃に看護師さんが迎えに来て、手術室まで歩いて移動をしました。緊張する気持ちもありましたし、やはり土壇場で不安な気持ちも出ましたが、患者さんが元気に社会復帰されることを願い、それだけに集中をして臨みました。手術室に入り、周りを見渡し、ドナー提供手術に挑むプロジェクトチーム一同に「お世話になります。宜しくお願いします。」という言葉が沸いて出てきた。そして、左手の甲に針を刺し、麻酔(点滴)が1滴入るのを感じた瞬間、目の前がぼんやりし、数秒で意識を失った。

     「松井さん!」声を掛けながら肩を叩いてくれた。これは夢なのか現実なのか。意識朦朧とした中、睡魔に襲われながら。意識がハッキリしたのは14時頃。手術跡の止血の確認で看護師さんが声掛けをしてくださった時。そんなに早く止血できるのか?と思いながら、確認をしてもらう。あと少しだね〜ということで、再び睡眠。16時頃には止血を確認。それでも、感じる痛みを考えると、大きな穴が開いてる気がして(実際は小さいけど)、怖さが勝り、再び睡眠。18時頃に夕食が運ばれてきた。今日初めての食事。手術後に初めて起き上がり、食事をするも、その後は一早く痛みが無くなることを願いながら、再び睡眠。

    「ドナー提供手術後」

     一夜明け、初めて歩くも痛みが強く、ほぼ1日中ベッドの上で過ごした。今、自分は生きていることに感謝する気持ちと、これからの日々も一瞬一瞬を大切にしたい気持ちを濃密に味わいました。食べられること、歩けること、トイレをすること。何気ない一瞬一瞬、すべてが大切な一瞬だなと感じるようになりました。身体を動かせるのが当たり前で、さらに記録向上を目指して一喜一憂する自分が恥ずかしく思えた。どんな記録であれ、思いっきり走れるって幸せなこと。思いっきり挑戦できるって幸せなこと。この幸せを感じられる日々へと変化したのは、私の中では大きな変化だと思う。

     提供から2日後。朝に血液検査があり、異常無ければ退院ということで、午前11時頃には退院をすることができた。しかし、歩くのが大変なくらい手術跡に痛みがあった。麻酔が切れてから、自分の予想より痛い感じ。会社のドナー休暇制度の枠組みを越えて、有給休暇も取得をして、しばらく自宅で安静に過ごしました。(ほぼ寝たきり状態)

     提供から1週間が経ち、徐々に動けるようになっていった。痛みを感じずに動ける範囲が1日経過する毎に大きくなり、身体を動かせることの嬉しさを実感した。歩けるという行為も今までは当たり前のように感じていた自分でしたが、歩けることへの感謝の念も抱くようになりました。

     私の場合は、手術跡の痛みがかなり軽減したと感じるまでに3週間〜4週間程かかりました。手術した後、すぐに動けると思い込んでいた自分でしたが、ここまで長く続くとは予想外でした。もっと長期間痛みが続く人も居れば、すぐに治る人も居るそうで、ここは個人差があるとのこと。手術前までに、いろんな想定をして、どんな事態が起きても受け入れる心を育むことが大切ですね。

    「ドナー提供を終えて」

     ドナー適合通知が20歳〜54歳までに届いた場合、人生で累計2回まで提供することが可能です。ドナー適合通知は55歳の誕生日を迎えた日に資格を失います。(54歳に適合通知が届いて、コーディネート中に55歳を超えた場合に限り、55歳でのドナー提供が可能になります。)つまりは、私は現在27歳なので、もう1度ドナー適合通知が届く可能性があります。ドナー提供後に感じた痛みは、患者さんの闘病のことを想うと軽いものだと思います。もし2回目の通知が届いたら、私は提供したいなと思いますし、その可能性も考えて、これからも健康維持向上に努めていきたいなと思います。

     今回、ドナー提供までに、コロナ感染することなく、体調不良になることなく、交通事故に遭遇せず、無事に手術を終えることができて良かったです。今回の歩みを共有することによって、1人でも多くの方が骨髄バンクについて興味・関心を持って頂ければ嬉しいなと思いますし、伝えていく役割があると自分で思うので、1人でも多くの方の命を救うことができるように、アスリートとして活躍をすると共に、骨髄バンクのPRをしていきます。

    骨髄バンク登録資料

    「最後に」

     患者さんみんなが、元気に社会復帰されることを願います。
    私もドナー提供者として、できる限りを尽くします。
    共にがんばろう。

     
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